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「改邪鈔」

「改邪鈔」(覚如/石田瑞麿訳/平凡社東洋文庫)

→「口伝鈔」を書いたもののまったく世間から認められなかった覚如が、
「口伝鈔」から6年後に書いたのが「改邪鈔」である。
邪を改めるって、おまえ、親鸞の曾孫ってだけで、どうしてそんな偉そうなんだよ?
しかも、このとき覚如は68歳だとか。
とにかく出世欲、名誉欲、金銭欲のかたまりで、
にもかかわらずまったく報われなかった老人が憤怒の形相で邪を改めるのである(笑)。
他宗の悪口がこれでもかと書かれている。
おれが悪いんじゃない、悪いのはおまえらだ! と覚如68歳はシャウトしている。
親鸞の血統はやばすぎるんじゃないのか、おい。

のっけから当時大流行していた踊り念仏の一遍の悪口である。
根拠も書かずに、あいつらは後世者(ごせしゃ)ぶりをしているのが
気に食わんと覚如老人はたいへんなご立腹である。
覚如にとっては親鸞に逆らうものはみんな邪宗なのである。
そして、だれがいちばん親鸞を知っているかといったら曾孫の自分のほかにいようか!
おれがダメというものは、親鸞聖人がダメ出ししたのとおなじことだと知れ!
売れているもの(一遍の時宗)への嫉妬をまるで隠さないところがすばらしい。
史実を書くと、たしかにこの時代は一遍踊り念仏の大勝利だったが、
8世の蓮如がまさに覚如の恨みを晴らすべく時宗をほぼ壊滅状態に追い込んでいる。
すなわち、時宗メンバーのほとんどを浄土真宗に改宗させている。

禅の悪口も書いている。禅は当時、仏心宗とも呼ばれていた。
心のなかに浄土があるというのが禅の考え方らしく、
一休禅師も「自心の外に浄土なし」と書いている。
まあ、わたしなんかどっちでもいいと思うけれど、
お偉い親鸞の曾孫さんは自分の考え以外はひとつとして許せないようだ。
このへんの批判は読んでみればわかるが、もうめちゃくちゃである。
「わが心の中の浄土」などあるのは聖人で、
浄土門は愚かな人のための教えだから、わが身に阿弥陀仏はない。
その後いきなり竜樹を引用して、
「竜樹菩薩の判定にどうしてあやまりのあるはずがあろうか」と恫喝する。
ほとんどヤクザの親分のような物言いなのである。
おそらく、覚如は人の身でありながら自分を絶対者かなにかと錯覚したのであろう。

そうそう、禅の話をしたついでに覚如の説く「自力、他力」を紹介する。
これは「口伝鈔」に書いてあった話だが、まあ許してくだされ。
自力は、夜が明けてから太陽が出ること。
他力は、太陽が出てから夜が明けること。
禅のバカどもは夜の闇をなんとかしようと迷っているが、愚かなことよ。
うちら他力の浄土門は、太陽(阿弥陀仏)が出るから夜が明けるんだ。
いくら自力で夜の闇をどうにかしようと思っても禅のみなさん、難しいでしょ?
――最初はなんだかすごい真理を教えられたような気がしたものである。
しかし、太陽が出る理由を覚如から聞いてずっこけた。
前世での善根があるから太陽が出て夜が明けるというというのである。
あれ? 自力の人たちも修行していたら、いつか太陽が出るんじゃない?
他力でも自力でも、待っていたら太陽(阿弥陀仏)が出るわけだから、
だとしたら前世はあまり関係ないような気がするのだが。

「改邪鈔」最後は恨み節の爆発だ。
うちが正統なんだ。なぜならうちの寺には親鸞の墓があるからだ。
おまえらは恩知らずだぞ。だれのおかげでいま念仏をしてるんだ?
それは慢心というのだよ。おまえらは悪魔みたいなもんだ。
思い上がるのもいいかげんにしろよ!
――とどう見ても慢心の極みで思い上がった覚如が、
まるで悪魔のような呪いの文句を吐き散らすのである。
いやあ、人間って黒いもんですな~と微苦笑したものである。
最後に本書の内容を一行でまとめておこう。

「親鸞の曾孫であるおれは絶対正義だから、
おまえら邪をなんとしてでも打ち砕く!」


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