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「執持鈔」

「執持鈔」(覚如/石田瑞麿訳/平凡社東洋文庫)

→なんで有名人の子孫とかって自分も偉いとか勘違いしちゃうわけ?
こちら両親ともにまったく無名のクソ庶民だったからぜんぜんわからん。
どれほど系譜をさかのぼってもひとりとして偉人はいない。
まあ、どうやら犯罪者もいないようだから、そこは引け目を感じないけれど。
親鸞の息子の善鸞とやらは、自分は父から秘伝を教わったなどと主張して
東国で偉ぶった罰としてパパから勘当されたわけである。
本書の著者、覚如は親鸞の曾孫で、こいつにも悪い血がふんだんに受け継がれたのだろう。
親鸞のただの墓守に過ぎなかったのだが(それも訴訟をして勝ち取るえげつなさ!)、
自分こそ全国にいる親鸞の弟子を統率する最高権威者だとか妄想しちゃったわけ。
むかしから著書を出すと威張れたのだろう。
ただ偉い人の曾孫というだけで聖者ぶりやがって、いっぱしに本を出したわけである。
それが「執持鈔」である。

まあ、中身はこいつの書くものはみんなそうなのだが、
「末燈鈔」(親鸞の手紙)や「歎異抄」(親鸞の弟子唯円の著書)からのパクリ。
ほとんどオリジナリティというものがない。
ああ、あれは「末燈鈔」のあそこに書いてあったなとすぐにわかってしまう。
ついでだから解説しておこう。
我われは子どもだというのである。
で、名号(南無阿弥陀仏)は父、阿弥陀仏(不可思議光如来)からの光は母である
言い方を換えると、光は往生の間接的原因で名号は直接的原因だという。
それから臨終念仏を否定しているのも曽祖父ゆずり。
死ぬ直前に念仏しないと往生できないよ、というのは誤りだと言っている。

唯一、覚如に好感を持ったのは「歎異抄」の強い影響を受けているところ。
実際の親鸞はどうやらあまり宿業思想を積極的には説いていなかったようである。
宿業絶対主義は唯円「歎異抄」の特徴だと思う。
覚如もわたし同様、唯円の宿業思想にシビレたのだろう。
以下のようなことを力強く言い切っており、なかなかのものである。
現代の真宗の坊さんはこれを確信を持って言えますか?

「一切の生を享けたものの有様をみると、
その現在を決定した過去の行為はまちまちである。
また死に様も、数知れない。病におかされて死ぬものあり、
刀にふれて死ぬものあり、水に溺れて死ぬものあり、火に焼けて死ぬものあり、
ないしは床に臥して死ぬものあり、酒に狂って死ぬたぐいもある。
これらはすべて前世の行為が原因となってはたらいたものである。
けっしてこれから逃げることはできない」(P93)


ならば、モチをのどに詰まらせて死ぬのも、トラックに轢かれて死ぬのも、
まだ若いのに遠い異国で強姦されて死ぬのも前世の行為が原因なのである。
いまこれを信心込めて恐れず言える坊さんがいたら、その方は本物だと思う。
まがいものではない真実の絶対他力信仰を持っておられる方とお見受けする。
とはいえ、覚如のこの発言は遠いむかしのものだから、
これをもってして親鸞の曾孫がなにものかであったという証拠にはならない。
本人はあんがい過去世で善業をなしたから、
こうして親鸞の曾孫として生まれたと信じていたのかもしれない。

さて、かりに死に様が覚如の言うように前世の行為の結果だとしたら、
我われはもっと明るく生きることができるだろう。
ガンになるかどうかはもう前世で決まっているのだから心配しても無駄だ。
いくら酒をのんでも煙草を吸っても、死に方は前世の行為の結果なのである。
この信心が定まっていさえしたら、
戦場カメラマンにも躊躇(ちゅうちょ)なくなれるだろう。
いまの日本はもう戦争をしないそうだが、
たとえ徴兵されてもこの信心があればいさぎよく突撃することができる。
もし死に方が前世の行為で決まっているとしたら、である。
真宗の坊さんで健康マニアなどいたら、こつんと小突いてやるのがよろしい。

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