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「悲しくてやりきれない」

「悲しくてやりきれない」(山田太一/「月刊ドラマ」92年12月号/映人社)絶版 *再読

→テレビドラマシナリオ。平成4年放送作品。TBS系。単発ドラマ。
山田太一ドラマのどこがおもしろいかといったら下司(げす)なところである。
きれいごとの裏にはかならず金(利得)がからんでいるという、
いかにも底辺庶民らしい俗に言うところの下司の勘繰り満載なところがいい。
このドラマでも美人(名取裕子)が顔に似つかわしいきれいごとを言う。
容貌も美しく、かつ大会社に勤めているがために多少現実を知らないという設定だ。
スナックで知り合った中年男と小さな絵本書店を共同経営するつもりである。
ほんとにそんな話があるかよ?

「そりゃあ人間はいやらしくて、薄汚いもんかもしれないけど、
たまにはこういう関係だってあるんです」(P137)


この建前に対する本音のせりふの庶民くささがいい。こりゃほんとんど詩だよ。
山田太一ドラマは下司が演じる詩劇という面がある。下司にも詩があるのだ。
女房と子どもに逃げられたファミレスの店長(役所広司)のせりふがいい。

「だまされてるんじゃないの?」(P136)
「世間を知らないんじゃない?」(P137)
「そういうタマかな?」(同)
「頭のいい女(ひと)ほど、そういうきれい事に欺される」(同)
「ためたんだなあ」(P139)
「女房と娘に払ってたんだ。金なんか、たまるかよ」(P141)」


「ためたんだなあ」とか下司すぎて爆笑してしまう。
なぜ庶民は下司と知りつつ人間を「金、肩書、顔」で判断するのかといったら、
それが大損をしないためのいちばんの方策だからである。
とりあえず金と肩書と顔は目に見えるから信じられる。
正義、慈善、非営利、利益度外視、夢、志といったふわふわしたものは信じられない。
そんなものをうっかり信じたら痛い目を見ることを下司な人たちはよく知っている。
しかし、我われ庶民は自分が下司であると思われたくない。
ちっとばかし高尚な人間だと見てもらいたい。
ときには西洋の絵画がどうだのとわかったようなことを語りたくなってしまう。
そこがまた下司なのだが、山田太一さんはどうして下司な人間を描くのがこうもうまいのか。
もしかしたら作者自身が――。いやいや、そんなことはないはずだ。
とはいえ、人は人間を知るためにまず自分をよすがとするしかないわけで。
山田太一さんのイベントに顔を出すと、
学者先生にまじった作家が反抗するようにぽろっと下司なことを言うのである。
それがおもしろくて、いくつも記憶に残っている下司なせりふがあるけれど、
なかなかネット上でこちらの実名をさらして公開できることではない。

*どうでもいいが前回の感想↓
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