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「季節が変わる日」

「季節が変わる日」(山田太一/大和書房)絶版 *再読

→テレビドラマシナリオ。昭和57年放送作品。日本テレビ。全2回。
ドラマというのは矛盾で書くものだとよくわかる。
山田太一先生の才能は処世術やら物腰の柔らかさやらもあるとは思うが、
なんといっても人一倍矛盾を内部にかかえこんでいるところではないか。
本音と建前、現実と理想といった双極を心中にお持ちだ。
どちらも徹底しているからすごいのである。
極悪人のような冷たい現実認識と、
いつの時代の書生だというような青臭い理想をどちらも持っている。
さらにすごいのは矛盾に結論を出さずに、
矛盾を矛盾そのままに愛するちからがある。
どちらかに偏ってしまえれば精神的には楽になれるのである。
現実なんてこんなもんだ、と割り切るのも手だろう。
どこぞの新興宗教信者のように「努力すればかならず夢はかなう」
と信じ込めれば世の理不尽や不公平に悩まないで済む。
だが、山田太一さんは矛盾のただなかでたたずむ。
世界には「どちらも正しいこと」のあることをよく知っている。
言い方を変えれば、絶対的真理はない(かもしれない)ことをご存じだ。
正論だけでは社会は動かないが、しかし正論にも多大な価値がある。

最近、年をとって思うのは、山田太一さんの理想を失わない凄味である。
たいがいの人間は年をとると、人生や社会に見切りをつけていくものだ。
どうしても悪いほうばかり、汚いほうばかりを見るようになり、
「どうせ」「結局」などと口元をゆがめながら、
自分があたかも大人になったかのような錯覚を持つものである。
しかし、脚本家はそうではない。
「どうせ人間は」「結局社会なんてさ」という醒めた視点のみならず、
「しかし人間は」「社会を見切るなよ」という熱いまなざしを持っている。

ドラマ「季節が変わる日」では八千草薫がバツイチ子持ちという設定だ。
息子が学校に行かなくなり、田舎にあるおかしな施設に通わせることにする。
その塾で知り合った父親(こちらもバツイチ子持ち)に言い寄られる。
子どもがこんなときにと思いながら、ついラブホテルについていってしまう。
事後、八千草薫(行子)は泣くのである。
うまうまと八千草薫の熟れた肉体をものにしたのは岡田真澄(忠雄)だ。
ダブルベッドのうえで――。

行子「(目に涙がたまっていて、独り言のように)なんてこと――
(苦笑して)なんて簡単――」
忠雄「――」
行子「駄目ね――(目を指でちょっとおさえ)
もっと強いつもりだったのに(とカラリといおうとつとめる)」
忠雄「(その行子を見ている)」
行子「(その視線を感じ、忠雄をチラと見て)フフ、いやだわ、泣いてるの。
はずかしい(と涙を拭く)」(P71)


ため息をついてしまうくらいウブだよな~。
ラブホテルで女学生のように泣き出す年増女も、このシーンを書いてしまう作者も!
こういう女性がいたらいいと作者が強く思っているのはわかる。
やはり女性に夢を持たなければいけないのだろう。
なぜなら女性に夢を持ったほうが男は人生を楽しめるからだ。
しかし、どうしたら夢をいだけるのだろう。
「こんな女がいたらいい」と非現実的な希望を持つのは、
一般的には世間知らずのものがすることだとされている(よね?)。
世間はそうじゃない。現実はそうじゃない。
にもかかわらず、夢をいだく。味気ない現実を拒絶する。
それはほとんど精神病患者の妄想のようなものなのだろう。
なぜなら精神障害者の妄想はどんな現実をも跳ね返すほどにたくましいからだ。
だとしたら、天才脚本家の山田太一さんは深く深く心を病んでいるのだろう。
おそらく、すすんで心を病ませようと思っても無理なはずである。
だから、山田太一氏はすごいのだろう。

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