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「岸辺のアルバム」

「岸辺のアルバム」(山田太一/大和書房)絶版 *再読

→昨年のあれはいつごろだっただろうか。
例によってあいどん氏のドラマ・ファン掲示板で教えられて、
川崎のほうまで行ったことがある。
なんでも昭和52年放送のテレビドラマ「岸辺のアルバム」最終回が上映され、
その後に山田太一さんと演出家のトークイベントがあるとのことだった。
どうせ暇だしせっかくだからとドラマの14回分をシナリオで再読してから
最終回(第15話)上映におもむいたものである。
「岸辺のアルバム」はある中流家庭の崩壊を描いたドラマとされている。

さて、最終回の上映を観てどんな感想をいだいたか。
正直に言うと、がっかりしたのである。
シナリオで読んでいると、どうしても頭のなかで勝手に人物像を作り上げてしまう。
そのイメージと実際に演じる役者が違いすぎるのでがっかりしたのだ。
勝気な娘の律子などシナリオで読むとぞくぞくするほどよかった。
レズシーンや初体験シーンでは、さんざん劣情をそそられたものである。
身もふたもない言い方をすると、エロい妄想に心地よく遊ぶことができた。
わたしの律子像がすっかりできあがっていたのである。
ところが、実際の映像によって、いままでの豊かな妄想を台無しにされた。
こんな娘ではない。わたしのイメージではもっと鋭いところがなくてはいけない。
最後にこの律子とくっつく冴えない高校教師の堀先生もひどかった。
公務員ながら34にもなって結婚できないほどの
もてない堀先生を演じるのが津川雅彦なのだから。
あんな甘いイケメンが冴えない高校教師の役をやるには無理がありすぎる。
しかし、そんなことを言えば、哀愁という少女もぜんぜんイメージが違った。
そういうわけで実際の上映などむしろ見ないほうがよかったくらいである。

あえて見ないことで妄想がふくらみ楽しめる。
実のところ、これは山田太一さんのドラマ作法のような気がする。
近作「心細い日のサングラス」にもこれに類する老人の長ぜりふがあったが、
見ないほうがいろいろ楽しめるのである。
見たらそれっきりで終わりになってしまう。
最近の作品は不勉強だからこちらの間違いかもしれないけれど、
いまのテレビドラマにおける妄想の質がいくぶん薄く感じられるのは(わかりませんが)、
もちろん作者たる山田太一さんの圧倒的な才能によるところが大きいのだろうが、
なにもかも見えてしまう時代がよくないという部分もあるのだろう。
いまはネットを使えば無料でアダルト無修正動画がいくらでも視聴できるらしいが、
あんなものを見れば見るほど妄想のちからは衰えていくに決まっているではないか。
女性に夢がいだけなくなるということだ。
2ちゃんねるを見たら、人間の汚い部分がこれでもかとあからさまになっている。
あんなものを見たら人間に夢がいだけなくなるばかりである。
表面を知ったくらいで高をくくったようになるのがいけないのだろう。
そのくらいならむしろぜんぜん知らないほうがいい。

ドラマで専業主婦の則子に言い寄ってきた北川が言う。

北川「秘密にしておきたかったな」
則子「どうして?」
北川「人間の底が浅いんで、秘密があった方がいいんです」
則子「御家族もお住いも伺ってないわ」
北川「せめて、それを秘密にしましょう」(P74)


秘密があったほうがいいのである。裏は見ないほうがいい。秘所は隠しておけ。
隠されたほうが我われは深く対象を愛せるのだろう。
鉄壁のガードもいいが、ときどきちらりと見せてくれたらより妄想がふくらむ。
ならば、深く人生を愛するためにはどうしたらいいのか。
人生のわからなさ、社会の裏側や暗部の底知れなさ、人間の悪意のすさまじさを
どこまでも限りなく信じるしかないのだろう。
もっと人生の不合理、社会の理不尽、人間の汚さを肯定的に信じよう。
自分が目にしているよりもはるかにひどいのだと思い込もう。
逆説的だが、そのときに人生は愛しうるものになるのかもしれない。

話はがらりと変わるが、トークイベント後に質疑応答というのがあった。
わたしはこの手のもので一度も挙手したことがない。
みんながいるところでのいわば公開状態での質疑応答は、
質問者も回答者もそれぞれの公的な役割期待から逃れることができないからだ。
ぶっちゃけ、公開の質疑応答で聞けないことを本当はみんな知りたいのである。
「岸辺のアルバム全15回」の脚本料はいくらくらいでしたか?
山田太一さんは不倫や浮気をしたことがありますか?
この手のことはどうしても聞けないのである。
このくらいだったら聞いてもいいかなと思ったことがある(シャイなので挙手しなかったが)。
「山田太一さんは、どうしてそんなに性格が悪くなったんですか?
というのも、『岸辺のアルバム』を読み返したら、
登場人物がとにかく金、肩書、顔の3つにこだわっているのがわかるからです。
どういう人生を送ったら、そんなひねくれた性格になれるんですか?
これはどうしたらこんな名作ドラマを書けるのかという質問とおなじです」

しかし、こんな質問をされても作者は困るだけだろう。
とはいえ、本当に「岸辺のアルバム」は金、肩書、顔の3つのKにこだわっている。

山田太一ドラマ→「人間=金、肩書、顔」

父「(ガラス破損の)損害の実費プラス二割くらいとってやればいい。(……)
金が一番懲りるんだ」(P5)

弟「(姉に)上智くらいで、あんまりのぼせるなよな!」(P13)

父「たまに帰ってくれば、出前の寿司頼んで無駄づかいしてやがる」(P79)

少女「あんた(と見すかすような横目でニヤリと笑う)もてる? (……)
あんまりもてないんでしょ?」(P85)

色男「(笑って)考えてよ。あんな肥ったおばさんと、
本気で俺がなにするわけないじゃない。なあ、マスター」(P100)

女子大生「(友人に)あなたは時々、とても不機嫌になるけど、セックスと関係あり?」(P126)

父「(息子を殴り)東大や京都を落ちたというならともかく、
三流大学をバラバラ落ちた奴に、慰さめるようなことが言えるか!」(P205)

生徒「でも先生外語出てるし、いろんな人知ってるだろうと思って」(P210)

先生「(ぼくは)やさしくも、親切でもない。そんな顔をしているがそうではない。
君をはじめて見た時、綺麗な人だと思った。
しかし、三十すぎて独りものの、薄汚い高校教師を、
君が相手にするわけもないと思った。諦めていた。
ところが、君がおりて来た。妊娠して困っているという。
そうなれば、雲の上の存在じゃあない。ぼくにも手のとどく女になった」(P218)

浪人生「(母の不倫相手に)手前になんか、おごられたかないや!」(P244)

先生「いい年をして、親を困らせるような奴は、殴った方がいい」(P255)

部下の女性「(バーで上司に向かい)誘われた時から、私、感じてたの。(……)
なにがあったか知らないけど、今夜部長さん、私をそういう所へ誘うなって。
いついい出すかと思ってたわ。なかなかいい出さないで、
お酒あおったりして、可愛いとこあるんだなって思ってたわ」(P282)

父(娘の交際相手を見て)「(失望を半ばかくさず)そうですか。繁がお世話になったんですか」

父「(娘に)お前はまさか、自分に見切りをつけたんじゃないだろうな?」(P309)

父「(娘に)誰が見たってお前が夢中になるような相手じゃない」(P309)

父「(息子の恋人を評して)なにがいい子だ。礼儀も知らん。蓮っ葉で、頭も悪そうだ」(P323)


以上のようなせりふを書く作家はどれほど性格が悪いのだろうと空恐ろしくなる(笑)。
人間というのは学歴だ。どこの大学を出ているかで世間の見方はまるで違う。
社会に出たら、どこの会社に勤めているかだ。社会の信用は所属会社で決まる。
恋愛なんてものは、所詮、顔や年齢が釣り合っているかどうかだ。
なにより肝心なのは金だ。いくらしたか。借りは作るな。借りはかならず返せ。
山田太一さんを見ていると、性格が悪くても明るくなれることに気づく。
明るいニヒリズムを「岸辺のアルバム」作者は持っているのである。
本当に性格が悪くなると、その悪さが悪さを隠して、一見温厚な人格者に見せる。
性格が悪いことを見破られるようではまだ本当には腐っていないということだ。
山田太一さんくらい性格が悪くなると、
180度ではなく360度回転して善人のようになってしまうのだろう。
わたしも性格の悪さには多少の自信はあるが、とてもこの脚本家にはかなわない。
どうしたらもっと性格が悪くなれるか山田太一ドラマから学びたい。
根性が腐るのでも山田太一先生くらい腐れば最高級のチーズのような味わいが出るのだ。

山田太一ドラマ「岸辺のアルバム」では少年少女からしてほどよく腐っている。
繁=三流大学にも入れなかった浪人生。哀愁=高卒フリーター少女。

哀愁「親の浮気を、もう一人の親にいうなんて最低よ」
繁「ほっとけばいいのかよ」
哀愁「当り前じゃない」
繁「くさいものに蓋して和気あいあいかよ」
哀愁「ぶちこわしてなにになるのよ」
繁「インチキじゃなくなるさ。俺ンちなんか、インチキで一杯なんだ」
哀愁「人間なんて、そんなもんよ」(P263)


☆「人間なんて、そんなもんよ」→「人間=金(損得)、肩書(見栄)、顔(性欲)」

具体的には性格が悪くなるとはどういうことか? たとえばバレンタインのチョコ。
わたしならもらって嬉しいが、人気作家は違うはずだ。
そのうえ老作家なら健康にも留意しなくてはならないだろう。
しかし、思慮の浅いファンは善意からバレンタインのチョコをくれるのである。
こういうときに満面の笑みで「ありがとう」とチョコをもらえるのが、
何重にも性格がねじくれた作家なのだと思う。
もちろん、この作家を人格者と見る人がいてもいいと思う。
しかし、そういう底の浅い善人のファンは、果たして自分とおなじような善人が
たとえば「岸辺のアルバム」のような名作ドラマを書けると思うのだろうか。

(参考)過去の感想「岸辺のアルバム」↓(どうでもいいですが)
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1052.html

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