「私の恋愛教室」

「私の恋愛教室」(福田恆存/ちくま文庫)

→山田太一さんもふくめてみんな「私の幸福論」のほうをほめるけれども、
変わり者のためか「私の恋愛教室」のほうがはるかにおもしろかった。
「私の幸福論」もぱらぱら再読してみたけれども、この考えは変わらない。
「私の恋愛教室」のほうが、
西洋かぶれの辛口コラムニストである著者の本領が発揮されていておもしろい。
二回おなじことを書いたのには意味がある。
わたしは福田恆存が「正しい」という理由で著作を読んでいるのではなく、
ただ単に読み物として「おもしろい」から読み、こうして感想も書いているのである。

簡単に本書の内容を要約してみる。
断っておくが、本当に内容を理解したものにしか要約はできないでしょう。
福田恆存の名前を自己の権威づけに利用する人は多いけれど、
そのうちどのくらいが本当に理解しているのか(わたしもふくめ)疑わしいと思う。

西洋きちがい福田恆存の恋愛教室の根本にあるのはデカルトである。
要するに、精神と肉体をわける考え方だ。このとき恋愛はどうなるか。
「精神=恋愛、肉体=性欲」というように認識される。
一見すると難解な本書も要は「精神=恋愛、肉体=性欲」の繰り返しである。
みなさん恋愛を尊い思想かなにかのようにあがめておられますが、
実際は恋愛なぞ性欲に過ぎませんぜ、としつこく反復しているのである。
なぜ肉体の性欲ごときを精神の恋愛と勘違いしているのか。
それは西洋キリスト教が男女の結合を神の愛をダブらせたからである。
ひるがえってみると日本にキリスト教は根づいていない。
だから、あまり浮ついて恋愛に夢を見るのはいかがなものかと警鐘を鳴らす。
そのうえで、性欲もふくめた男女の結合ほどの生きがいはあるまいと主張する。
恋愛(=男女の精神+肉体の結合)は、
政治活動よりも社会運動よりもはるかに価値のある人間の営為だという。
なぜなら、人間の幸福に直結しているからだ。
社会評論家や政治屋のいう「人間の幸福」など果たしてあるのだろうか。
実際に存在しているのは「人間の幸福」ではなく、
「男の幸福」「女の幸福」ではなかろうか。
ならば、いくら社会を変革しても人間は幸福にならないだろう。
万民に金が等しく行き渡ったからといって人間は幸福になるわけではない。
金で買える「人間の幸福」なら社会運動でどうにかなろうが、
われわれは人間とひとくくりにされる以前に男ではないか。女ではないか。
あるのは「人間の幸福」ではなく「男の幸福」「女の幸福」ではないか。
「男の幸福」「女の幸福」は金で買うことはできまい。
では「男の幸福」「女の幸福」とはいったいなにか。
恋愛(男女の精神+肉体の結合)が男女ともに幸福と強く関係しているのではないか。
もっとわかりやすくいったらどうなるか。恋愛が幸福とはどういうことか。
つまり、男女の幸福とは、いい相手にめぐりあうかどうかということだ。
とはいえ、どうしたらいい相手にめぐりあえるかは本書にいっさい書かれていない。
代わりに説かれているのは、性欲の取り扱い方である。
なぜなら、日本人のいう恋愛とはほとんど性欲だからである。
性欲をどのように見たらいいのか。
科学ごときで性の全貌がわかったと思ってはならない。
性は理解できないからこそ、価値があるのである。
性をすべてあからさまにしてはならないし、また、できるものでもない。
性は非合理なものだが、
非合理なものを非合理のまま理解するという方法もあるのではないか。
闇を光に照らすばかりが理解ではない。
闇を闇のまま理解するという理解の仕方もあるのではないか。
性をそのように見てみたらどうだろうか。
――「私の恋愛教室」全体の要約をする。恋愛とはなにか。
要約の最後くらい作者の言葉を借りよう。

「少々公式的に申しますと、恋愛とは、霊と肉とが一致する場所であります。
人間と自然が一致する場所であります」(P11)


インテリぶった物いいだが、くそ庶民のわたしがわかりやすく換言しましょう。
恋愛すると「精神と肉体」とかどーでもよくなるじゃん!
よく考えたら植物(おしべめしべ)や動物(オスメス)が生きてるって不思議じゃん?
桜の花がきれいに咲き散ってゆくのはすごいって思わない?
恋愛(男性女性)というのは、そういう自然の神秘にも通じているのだよ。

以上で要約は終わり。ほかにもいろいろおもしろいところがある。
福田恆存のおもしろさは、
だれもいえない下品な本音をインテリぶった小難しい文体で書くところだと思う。
劇作家としてより思想家としてより、辛口コラムニストの才能があるのではないか。
本書でも、思わずくすりと笑ってしまうような下世話な本音がいかめしくつづられている。
たとえば――。
どんなに見た目がエロそうでもやってみたらダメという女がいる(P114)。
娘さん、男は教養あるブスよりも無智な美女のほうが何倍も好きなんですよ(P143)。
お嬢さん、婦人雑誌で女性の自由だのなんだのを語る男の評論家なんてものは、
腹の底じゃ座談会の謝礼のことしか考えておらんのですぞ(P199)。
男は巨根(デカマラ)にあこがれるが、男の権威なんてものは肩書きで決まり、
一方で女のほうはインテリぶっても反対にいくら色気を振り向いても無駄で、
結局男なんてみんなマザコンなんだから女の権威は母性で決まるのであーる(P223)。

以下に論客の福田恆存の言葉を少しばかり引用してみたいが、そのまえにである。
どの顔をしていっているかというのが読者はもっとも気になると思う。
いったい福田恆存自身はどんな恋愛をしていたのか。
もちろん、「私の恋愛教室」にはいっさい自身の経験は書かれていない。
しかし、もう死後かなり経っているから暴露する不届きものがいるのである。
瀬戸内寂聴さんが福田恆存の夫婦生活を「奇縁まんだら」でばらしている。
これを立ち読みしたとき、しばらく笑いがとまらなかったものだ。
福田恆存の奥さんは瀬戸内寂聴さんの学校時代の先輩らしい。
ある日、瀬戸内さんが福田家に電話したら、女中が奥さんは入浴中だという。
ならば、旦那さんの福田恆存に取次ぎを頼むと、こちらもお風呂だという。
なんのことはない、夫婦仲良くお風呂に入っていたのである。
毎晩のようにお風呂で奥さんといちゃいちゃ身体の洗いっこをしている助平さんが、
サムライのような顔をして論客を演じていたと思うと
福田恆存が何倍も輝いて見えるのはわたしだけだろうか。
ご承知でしょうが、「私の恋愛教室」も福田恆存先生のご本であります。
嫁はんと風呂場でいちゃつくのが好きな先生がこの本を執筆なさった。

さて、瀬戸内寂聴さんが公開したエピソードでなにがわかるか。
福田恆存さんはいい奥さんとたまたまめぐりあっていたのである。
おそらく、幸福な男であったのだろう。
いや、それとも、どうでもいい社会評論なぞに時間を費やしていたから、
あるいは不幸な人だったのか。
福田恆存は女性の不幸や不満を、社会のせいにする欺瞞(ぎまん)を告発する。
女性の不幸をゆめゆめ社会問題と同一視してはならない。

「女性の不幸や不満ということは、
なにもそうむずかしく考える必要はないとおもう。
ごく平たくいって、それはいい男性にめぐりあわないということではありませんか。
敬愛できる男といっしょに暮せないということではないでしょうか。
男性の不幸や不満も同様、敬愛できる女性にめぐりあわないということでしょう。
男と女との問題は、その点、昔からすこしも変わっておりません。
社会がどう複雑に変化してこようと、男としての幸福、女としての幸福、
それはいずれも、相手によって決るのです。
だから、私は封建時代の女が、
現代の女より不幸だなどとおもいあがってはいけないといったのです。
金持ちの夫婦のほうが貧乏人の夫婦より、
インテリの恋人どうしのほうが、百姓の恋人どうしより、
幸福に近いなどとおもってはならないのです。
男に依存する女としての幸福が得られぬばあい、
ひとびとは他の代用品を考えはじめる。
職業もその代用品であります。
そのほか婦人雑誌で論じられている多くの婦人問題は、ほとんどすべて、
女としての幸福が得られぬときの代償について語っているにすぎません」(P207)


くすくす笑いながら書き写したけれど、こんな本をいま出して大丈夫なのかな。
女がこれを読んだら顔を真っ赤にして怒るのではないかしら。
しかし、福田恆存のラブラブな夫婦生活知ってしまうと、
「おれは女房といっしょに風呂に入っているからサイコーに幸福なのさ」
という開き直りの宣言と理解(誤解?)することもできる。
福田恆存の奥さんの名前を知らないが、男は特定の女を愛したわけではない。
福田恆存はただただ女が好きだったようである。というのも――。

「男は女のなかから花子を選びだしてはならぬ、
花子のなかから女を引き出せ、そう、ロレンスはいいます。
もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとって
最も女をひきだしやすい女であるという理由をおいてはない。
そういう恋愛と結婚のみが、真の永続性をかちえる。
精神だの人格だのいっているからいけない。
というより、誰も彼も自分の性慾を、
精神的人格という言葉のかげに、押しやってしまう」(P157)


勘違いする人が出ると困るから断っておくが、これは絶対的真理ではない。
むしろ、フィクションのたぐいだと思う。しかし、なるほどとうなった。
たしかにこのように考えたら(自分をだましたら)、
ブスとブサイクの最低夫婦でも劣等複合(コンプレックス)を感じずに、
それなりに幸福に一穴一竿主義でやっていけるはずである。
全員が前田敦子や武井咲、八千草薫や吉永小百合の旦那にはなれないのだから。
ほどほどのところで手を打とうぜ、という極めて現実的な思考である。
しかし、結局のところいい相手にめぐりあうかどうかは運ではないか。
こちらはせいぜい代償行為に励むしかないのだろう。
だれも読まないこんな長文記事を書いたのも、たぶん代償行為なのである。
先日、福田恆存のシンポジウムに行ったが、
カップルで来ているものなど皆無だったのではないか。
どいつもこいつも男で、そのうえどこか似通った陰鬱な顔をしていたものである。
こういう不遇な男たちから支持されている福田恆存の恋愛生活はこの記事に書いた。
最後に主張しておきたいことがあるとすれば、
たとえあなたがインテリぶって福田恆存の「私の恋愛教室」を読んでも、
まず間違いなくもてるようにはならんぞということだ。わかったか、こらっ!

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