「幻の光」

「幻の光」(宮本輝/新潮文庫) *再読

→宇野千代が小説は話すように書いていると言っていたが、
宮本輝は「幻の光」をまさしく話すように書いている。
女が若くして自殺した亡夫に話しかけるという文体だ。
これはもう恐ろしい小説でありまして、読んでいて嗚咽(おえつ)がとまらず、
本書を読み終えて、なにやら濃いものを身体に入れたくなり、
禁じているまだ明るいうちからの酒に手を出してしまった。
ウイスキーを濃いロックでのむまで神経の昂(たか)ぶりは収まらなかった。
「幻の光」は現代の説経節と言いたいほどの迫力があるのだが、
説経節を知らないとこれがどれだけの賞賛なのかわからないかもしれない。
人間の悲しみと喜び、切なさと愛おしさを、見事に言葉に乗っけている。
われわれは小説を読むというが、
実のところは目で活字をいったん音声化して耳で聞いているのかもしれない。
それほど宮本輝の言葉は音楽のようにわれわれの耳に心に響いてくる。
人生にどうしようもない悲しみは尽きないが、
しかしわれわれ人間はその悲しみを哀切として謡(うた)いあげることができる。
悲しみはどうしようもなく悲しみだが、
心を込めて哀切として謡いあげきったならば、そのとき悲しみは希望になる。
人間の悲哀は希望に通じているということが「幻の光」を読むとよくわかる。
ならば、どうすれば人生の絶望が希望に転換するのか。
物語ることである。お話として絶望を語りきれば、その先にかならず光が見える。

人生で起こることはすべて偶然であると言えなくもない。
だが、人間はたまたまの偶然を主観で物語に仕立て上げることができるではないか。
「幻の光」で主人公「わたし」の祖母は、20年まえ突然失踪してしまう。
ちょうどおなじ時期に、のちに「わたし」の夫となる少年が引っ越してくる。
この夫が結婚後、小さな子どもがいるにもかかわらず自殺してしまう。
みなみな万事が偶然かもしれないのである。
しかし、「わたし」はこう物語る。繰り返すが、このお話に希望が芽生えるのである。
「わたし」は「あんた(自殺した亡夫)」に向かって話しかける。

「そして世にも不思議な消え方で、
この世から去って行ったお祖母ちゃんと入れ変るみたいにして、
あんたがわたしの前にあらわれたことに、
何かぞっとするような恐ろしさを感じてしまうのです」(P36)


あらゆる偶然は偶然ではなく、もしや宿命ではあるまいか。
すべての偶然が物語ろうと思えば宿命として観ずることができるのである。
「正しい」かどうかわからぬが偶然に過ぎぬ人生を宿命として観ずるとき、
拓(ひら)かれてくるものがあるのではないか。
たとえば、顔のそばかすのようなものからして宿命とは考えられないか。
宮本輝が「幻の光」でそばかすを宿命の象徴として描いているのはほぼ間違いないだろう。

「随分昔、まだ二人が二十歳になるかならんかのころ、
わたしの目の下にばらばらに散っているそばかすを見ながら、
あんたがあの独特の、
どこかほかのところを見つめてるような視線を注いでこう言うたことがある。
「ゆみちゃん、まだほかにも、ぎょうさんそばかす隠してるんのと違うかァ?」
それは子どものころから仲の良かったあんたが初めて口にした、
わたしへの何やら怪しげな言葉やった。わたしはその瞬間、
みぞおちのあたりをきゅうんとさせながら、
恥ずかしそうな振りをして笑い返したのやけど、
言葉の意味が判ってたつもりのわたしは、
何の理由もなしに自殺してしもたあんたのことを考えるたびに、
それは女の体のことやなかったと気づくようになった。
ほんとは煩(わずら)わしいてたまらんくせに、
あんたの指にあわせてるうちにその気になってくる自分の女の部分を、
まだ一緒になるまえから言い当てられてたんやと、わたしは思い込んでたのでした。
あのそばかすの意味も、考えれば考えるほどややこしいなって、わたしは、
あんたの自殺の理由が、ますます判らへんようになっていくんです」(P12)


「わたし」は大して魅力もないこぶつきの中年男と生活のために再婚する。
その男から尻(しり)にそばかすがあると指摘されるのは意味深い。
自分で知る宿命ばかりでなく、他人に教えられる宿命もあるのだろう。
いや、他人に教えられたそばかすが宿命であるかはわからない。
ただその新しく知ったそばかすを宿命と思えるかどうかで人生が変わるのだろう。
わたしは断固として宿命を認めずに滅び去ってゆく生き方もあっていいと思うが、
宮本輝は勝利や宿命転換といった荒々しい希望の物語に執着するのである。
しかし、初期作品の「幻の光」では、
滅び去る「あんた」に作者はかぎりない愛惜の念を寄せている。
自殺したものを罰が当たったと裁くような冷たさは「幻の光」にはない。
だから、いい。とてもいいのだ。

COMMENT

カツミ URL @
09/24 21:03
はじめまして. 
無念に散った人々を、残された者が勝者だと叫んだ時、そこに人は仏を見るのでしょう。

哀切の妙を弁えた仏教者でありたいものです。

創価学会員三世として、そんな事を思いました。

Yonda? URL @
09/26 23:01
カツミさんへ. 

おコメントを何十回と読み返したのですが、意味を特定できませんでした。
でも、悪意がないのはわかります。それどころか、ありがたいご好意を感じます。
創価学会について好き勝手なことを書いてすみません。
ご不愉快なところもあるでしょう。お詫び申し上げます。
どうしようもなく許せなくなったら、どうかお読みにならないでくださいませ。
このたびはわざわざおコメントありがとうございます。
カツミ URL @
09/27 19:13
. 本当ですね、意味不明な事書いてました;



重い宿業に耐え切れずに散っていく人が居ても、
「あいつはよく戦った・・生まれてきてくれてありがとう。」と、我々が限りない敬意を払うのなら、敗者は敗者ではなくなるのだろう、という事が言いたかったんです。


新たな命の種を育む倒木のように、ある人の死が何年も経った後に大きな意味を持つ事がある。

人の死が我々を導く方便ならば、自殺者ですら私には仏です。

そのような価値創造ができるのなら、人生はなんと素晴らしい「おはなし」なのだろう・・・。



>>自殺したものを罰が当たったと裁くような冷たさは「幻の光」にはない。
だから、いい。とてもいいのだ。



という一文から、こんな事を逆説的に啓発されましたって話です(笑)

勝つことに意味があるのと同様に、負けることにも意味がある筈。
この事を常に弁えて、哀切の中に希望を見いだせる仏教者でありたいです。



悪意なんて、とんでもない。

こちらこそ、人様のブログに宗教観丸出しのオナニー文章を書き込んでしまって申し訳ありません。


とても、とてもいい文章だったので、つい長い感想をつらつら書いてしまいました(笑)

ご無礼をお許し下さい
Yonda? URL @
09/30 05:58
カツミさんへ. 

ご意見はまったくそうでありまして、わたしの考えとも非常に似ているのですが、しかし、それは創価学会では異端になるのではないでしょうか。まあ、あれだけ大規模な団体ですから、学会員さんそれぞれに信仰の幅があってもよいのかもしれませんが。

――負けたっていいんですよね。いくら人生で勝とうが最後は全員ひとり残らず負ける(死ぬ)のですから。勝ちと負けがあるといいましても、醜い勝利よりも潔い敗北のほうがどれほど美しいことか。勝てばいいのか。金を儲ければいいのか。長生きすればいいのか。ただそれだけでいいのか。わたしは違うと、そうではないと信じております。

さみしさというのは現代人が逃れえぬ宿命のひとつです。新興宗教にでも入れば少しは癒されるのでしょうが、それでもよほどの狂信者以外はやはりさみしさにつきまとわれることでしょう。このたびカツミさんからのコメントで多少さみしさがまぎれました。こんな下らぬ感想文を読んでくれる方がいるんだと。どうもありがとうございました。
- URL @
04/06 04:13
. comment
宮本輝のお話はよく死人が出ます。
障がいのある人もよく出ます。
貧乏な人、病気の人、精神異常の人、この世のあらゆる不幸を描いてくれます。
貧乏が嫌で仕方なかったのでしょうね。
あと多分女にももてなかったような気もします。
不幸を幸福に変えるために信心しよう、がスローガンにあるようですが、私が思うに、不幸を不幸とも思わないヤツが一番幸せなんじゃないかと。
宮本氏の描く、不幸なのに不幸に気づいてない人が、私一番好きなんです。
漢さんなんてそうじゃないですかね。
もしかすると、幻の光の主人公もそうかもしれませんよね。
宮本氏が不幸にしてしまってるだけで。
- URL @
04/06 04:14
. comment
宮本輝のお話はよく死人が出ます。
障がいのある人もよく出ます。
貧乏な人、病気の人、精神異常の人、この世のあらゆる不幸を描いてくれます。
貧乏が嫌で仕方なかったのでしょうね。
あと多分女にももてなかったような気もします。
不幸を幸福に変えるために信心しよう、がスローガンにあるようですが、私が思うに、不幸を不幸とも思わないヤツが一番幸せなんじゃないかと。
宮本氏の描く、不幸なのに不幸に気づいてない人が、私一番好きなんです。
漢さんなんてそうじゃないですかね。
もしかすると、幻の光の主人公もそうかもしれませんよね。
宮本氏が不幸にしてしまってるだけで。
Yonda? URL @
04/09 13:24
名無しさんへ. 

つまりは、その、むかしの宮本輝はよかった――ということですね。いまの宮本輝の小説の富裕者率、健康率の高さは異常です。おっしゃるとおり「幸福(不幸も)は自己申告」ですから、「おれは壮絶な不幸を味わった」も「おれは本当の幸福を知っている」も「あっそう」の話なんですよね。ひろさちやのように宮本輝も盗難に遭い、一文無しに戻ったら、むかしのようないい小説が書けるのかもしれません。
名無し URL @
04/10 16:31
Yonda?さんへ. 初期の作品はよかった。も、どうしようもなくよかった。
悩める衆生の代弁者だったと思います。
泥の河や幻の光の空気感は映画でも再現できてませんでしたから、やはり言葉の力はスゴイなーなんて思ったものです。
成功者は成功した自分を描きたくなるものなんでしょうかね。ま、作品数が膨大ですから扱う題材もアレになってくるんでしょうけど、ちょっと共感しにくい立場の人間が結構つまらない事で悩んでたりするんですよね。
草原の椅子なんてもはや老害の戯言みたいになってて、ちょっと悲しかった。
余裕のなせる技といえばそういうことなんでしょうけども、フムフムと頷ける宮本作品なんていらない!と思っちゃいます。
昔の作品は、読み終えて数時間、ものも言えなっかた。
最近は創価さんも折伏折伏と躍起になっていないようで、会員数を増やすより、子や孫への引き継ぎに注力されておられるようです。もしかすると宮本作品にも影響してるのかなぁなんて。
ちなみに私、学会二世です。
名無し URL @
04/10 20:27
書き忘れておりました. >>物語ることである。お話として絶望を語りきれば、その先にかならず光が見える。

この言葉に大変共感しています。
生きていれば精神的に耐えがたい事実に直面しますよね。書くことや語ることで昇華させることができるのでしょう。
田辺聖子さんも何かの作品で、
「人生の事実は、お話しに昇格することで値打ちがでるんだ」
と主人公に言わせていたと記憶してます。

実に納得がいきました。
Yonda? URL @
04/13 12:37
名無しさんへ. 

> ちなみに私、学会二世です。

いまでも勤行唱題とかやってます?
座談会とか行きますか?
あれ、生活のリズムをつけるのや、自信をつけるという意味合いでいいんですよね。
現実はいくら勤行唱題したって災難は舞い込むわけで。

つまんないなあ。
むかしの宮本輝のようなおもしろい小説を読みたいなあ。
しかし、それはいまを舞台にしては書けないわけで。
名無し URL @
04/14 22:09
. comment
>>いまでも勤行唱題とかやってます?
>>座談会とか行きますか?

高校のとき実家を出てから一切やってません。
学会活動とか、私以外の家族はすごく熱心で役職貰ったりしてますけどね。
ですので結婚したり子供ができたりしたとき、あと葬式なんかのときに、実家の者と顔を合わせるのがうっとうしいんです。
お前は地獄に堕ちるとか、ろくな死に方しないとか、まぁそういうこと言われるわけです。私の妻や子の前で。
まぁ人にもよるんでしょうけど、身内にそういう事を言わせてしまう宗教だということです。
信心してない人を可哀相だと思うみたいで、私もたっぷりイヤミを言われたうえでカワイソがられてます。
ここ数年、盆も正月も色々理由つけて帰ってません(笑)
Yonda? URL @
04/15 20:30
名無しさんへ. 

学会活動から離れた名無しさんがご立派にもご妻子がおられ、創価学会不合格のわたしは橈骨神経麻痺がいまだ治らず、苦悩絶望のすえひとり勤行と唱題を再開したというのはまったく矛盾しているというか、極めて「正しい」諸法実相というか……。左手が動かないんですよ。医者もいつ治るかわからないって。ハロワのばばあからもそれじゃどこも雇ってくれないわよと嘲笑されて。救いはどこにあるのでしょう? いま地獄に堕ちていて、おそらくろくな死に方をしないのがわたくしめでございます。
名無し URL @
04/16 19:54
. comment
創価は因果関係をよく言いますよね。
風が吹いて桶屋が儲かるのは、ちょっと違うと思うんです。
それはこじつけで、因果関係ではない。
けれども因果関係として説明してしまうのが創価ではないかなと思います。
創価に入信していなくても人生をエンジョイしてる人もいますし、入信していても病気まみれで生活苦の人がいる(うちの父親ですが)。
ですので宗教は精神安定剤ではあるけれど、擦り傷ひとつ治せません。お体の不調と宗教は分けてお考えになるのが良いのではないかと思いました。
Yonda? URL @
05/17 22:04
名無しさんへ. 

日蓮って不運、不幸で貧乏でそのくせ粋がっていて、まあ好きな人は好きなのでしょう。日蓮の真似をしたいという人の気持がわかりません。
- URL @
05/21 12:10
Yonda?さんへ. comment
日蓮は相当の異端児であったそうですね。高校の時に国語の先生が言ってました。私は会ったことないので実際には知りませんが。
異端でなければやっていけない事情が当時あったのかもしれませんね。ニューエイジだったのかなぁ。御書なんか読んでると反骨精神を感じますし、パンクロッカー的存在だったのかもしれません。
Yonda? URL @
05/25 03:05
読者さんへ. 

創価高校の女子高生ですか?
いちおうわたしも日蓮は読んでいますよ。

「カテゴリー創価学会」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-category-49.html

ぽつぽつ日蓮大聖人は読んでいます。
ぼくなんかよりはるかに創価に詳しい貴女にコテンパに折伏されたいなあ。
かんぷなきまでに、こころをレイプされたいのでございます。
ご連絡お待ち申し上げております。
- URL @
05/25 15:27
Yonda?さんへ. comment
折伏なんて流行らないですよ〜
全部嘘ですもん
Yonda? URL @
05/25 21:09
名無しさんへ. 

折伏なんかせえへんでも、いまの創価王国で十分や言うことですね。お金まわっちょる。うまくいけてるちゅうことやね。ええなあ、ええなあ。








 

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