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「真夏の犬」

「真夏の犬」(宮本輝/文春文庫) *再読

→宮本輝がいちばん影響を受けた作家は井上靖ではないかと思う。
書斎の写真を見たら、なぜか池田大作の本は見当たらず、
井上靖の全集が重々しく並んでいた。
以前、宮本輝は結局井上靖まで至らなかったと僭越ながら評したことがある。
このたび短編小説集「真夏の犬」を読み返して前言を撤回したく思う。
わたしは井上靖の短編小説も歴史小説以外ほとんどすべて読んでいるが、
宮本輝の短編小説は師匠ともいうべき井上靖を超えていると断言できる。
とくに「真夏の犬」に収録された作品それぞれがよろしい。
おそらく40を過ぎてから書かれたものだからと推測している。
初期の短編小説よりも遊び心が発揮されていてよい。
身もふたもないことをいえば、新人作家は小説で極力改行と会話をカットして、
センテンスの長い文章を書かないと純文学雑誌には掲載されないのだ。
へんてこな表現で風景描写とやらをもったいぶってやらないと純文学でなくなってしまう。
宮本輝もデビュー当時は決まりを守っていた。
しかし、「真夏の犬」の執筆時期はもはや売れっ子作家である。
だれが決めたかわからぬ純文学ルールなど守る必要がない。
この短編小説集で宮本輝の持つ才能が十全に発揮されているゆえんである。

「真夏の犬」収録作品は読みながらどれも熱いものが込み上げてきた。
この人はほんとうに大天才なんだとだれかに向けて叫びたくなった。
小説とは、どこまでもお話なんだと作家が信念を持って描いているのがよくわかる。
だれかのお話が小説なのである。
たとえば旧友と再会して彼(女)の口にするお話が宮本輝の小説なのである。
なぜ宮本輝はお話にこだわるのか。
いまわれわれが苦しんでいるとしたら、それはお話であるからだ。
われわれを幸福にするのも不幸にするのも実はお話なのである。
われわれはお話を生きている。お話に生かされている。
ならば、どうして小説家はお話を書かないのか。もっとお話にこだわらないのか。
お話を多少学問的にいいかえたら物語だが、宮本輝はお話を書く作家だ。
作家はほんとうにあったお話ではなく、ウソのお話を描く。
なぜならたぶんウソのほうがほんとうよりもリアルであることを知っているからだ。
底辺庶民出身の作家は、ウソのおもしろさを熟知していることもある。
まがいもののほうがホンモノよりも価値のあることがある。
ニセモノをホンモノと思ってしまうときがある。

本書収録の「力道山の弟」は、作者の意図はわからぬが、
氏の信仰する創価学会のパロディとしても読めるので驚いた。
実際はニセモノなのだが「力道山の弟」を自称するものが露天でインチキ薬を売る。
ひとりサクラがいて、この人はほんとうの弟だと認めるから、みな騙されるのだ。
実のところ、創価学会の池田大作も「力道山の弟」のようなものだ。
宮本輝をはじめ多くの人(サクラ)が池田大作は偉いとほめるから、
なかには騙されるものも現われるのだ。
しかし、ホンモノとはなんだろうか。
インチキ行商人の「力道山の弟」は果たしてニセモノだったのか。
というのも、ある美しい女をはらませて去っていったのだから。
いままで貞操を守ってきた女性が「力道山の弟」には心を(股を)開いてしまう。
その女性は、(主人公の)父親の親友の元恋人であった。
父親はいわば親友から女性を託されたようなもの。
にもかかわらず、女は「力道山の弟」ごときのインチキ野郎に身を任せてしまう。
うまいこと「ただまん」をされて、子種を残される。
これを知った父親が絶叫するのだが、下品なところが実にいい。

「よりによって、あのどこの馬の骨かわからん香具師(やし)と……。
女はアホか。俺には気が狂うたとしか思えん。
力道山の弟やなんて言うて、わけわからん粉を売ってる、薄汚い男と……。
そんなに男のチンポが恋しかったら、
なんで俺の勧めた男と所帯を持たなんだや」(P143)


創価学会にたいせつな家族を奪われたものもおなじ絶叫をするのだろう。
名誉会長やなんて言うて、わけわからんご本尊を売ってる、薄汚い男に……。
しかし、「力道山の弟」はチンポを突っ込まれた女にはホンモノだったのだ。
ならば、池田大作がホンモノでないとだれがいえようか。
もちろん、宮本輝は池田大作をモデルに「力道山の弟」を書いたわけではない。
だが、そういうふうに読めなくもないのである。
これは宮本輝が信仰と真剣に向き合う才能ある作家であることを証明している。

本書収録の「暑い道」も好きだ。
作者と思しき少年の住む貧民街にある日、同学年の美少女が引っ越してくる。
遠縁の叔父にもらわれてきたという。
少年と仲間は、14歳の少女の美しさに圧倒される。

「栗色の髪、どことなく青みがかった目、高くて形のいい鼻、
知らない者は誰も中学二年生とは思わないだろう胸の隆起と腰のくびれ……。
私たちは生まれて初めて、
日本人とアメリカ人との混血の少女を目にしたのだった」(P42)


貧民窟(ひんみんくつ)に舞い降りてきた混血の美少女はさつきという。
少年をふくめ四人はなんとか美少女のさつきを悪いやつらから守ろうと決意する。
いつしか時は進み、少年は大学受験を間近に控えている。
さつきの美しさは増すばかりだが、いい噂は聞こえてこない。
仲間のひとりがさつきとやったのではないかという話も聞いた。
大学受験も直前に控えたころ、家にひとりでいるとさつきが姿を見せる。
お別れを告げに来たのだという。
「淫売(いんばい)の娘は、やっぱり淫売や。
叔父さん、そう怒鳴って私を殴るのよ」とつぶやいた。

「そして、背を向けたまま、私のことを好きだと言った。
四人の中で、いつも一番好きだったと。
夕陽が落ちてしまったとき、私とさつきは、畳の上に横たわった。
さつきは、私の耳たぶを噛んだ。私は、さつきに言われるままに動いた。
目がかすんで、心臓が破れそうになった。
あっけなく終わったあと、なお乳房に触れつづける私の頭を、
さつきは両手でいつまでも撫でた。
夢心地とは、まさにあのような状態を言うのだと私は思う。
私は、自分がきっと幸福になるような気がして、
何日もさつきの体の感触の中でさまよった」(P48)


最後の一文がとくにいい。「自分がきっと幸福になるような気がして」がいい。
いったいどんな狂気を内に秘めていたら、
宮本輝のようにさらさら経験もしていないことを美しく描写できるのだろう。
狂ってもいなかったら、ウソのお話をああも美しく物語れないと思うのだが。
宮本輝作品には狂人も多く登場する(本書では「赤ん坊はいつ来るか」)。
現実を認められなくなったときに、人は狂気の世界にひた走る。
あまりに現実がひどいと狂気に逃げ込むしかなくなってしまうのだ。
むかしの創価学会は貧乏人、重病人の巣窟だったらしいから、
狂人半歩手前といった底辺庶民が大勢いたのだろう。
なにより宮本輝自身が発狂するのではないかとの恐怖におびえて(不安神経症)、
アル中の母親に導かれ創価学会の門を叩いたのであった。

「俺の兄貴のつれあいが、お産のあと、ちょっとおかしいなったことがあるんや。
どこがどうおかしいっちゅうわけやないんだけど、やっぱりおかしい目になった。
あの女の目は、どう見ても、おかしな目やないんやなァ……(中略)
目を見たらわかるよ。うちの工場の社員の中にも、
いままで五人くらい頭がおかしいなって入院したやつがおる。
ある日突然、いつもの目と違う目になりよる。
妙に吊りあがったり、膜がかかったみたいになったり、
逆に光りすぎるくらい光ってたり……。
うまいこと口では説明できんけどなァ」(P89)


この狂人が過激な新興宗教団体に入ると、集団の狂気のなかでむしろ毒気が取れ、
うまく集団のお話に自身を同化することによって(洗脳されて)、
これまで不可能だった社会生活が営めることがあるのだから、宗教を舐めてはいけない。
しかし、これが可能なのは新興宗教だけである。
宮本輝の所属している創価学会は、ことさら過激なことで知られる新興宗教団体だ。
もし宮本輝が創価学会に入っていなかったら、
十中八九狂人として身を持ち崩していただろう。
だが、たまたま宮本輝がうまくいったからといって、
みなが創価学会に入ればよくなるというわけではない。
とはいえ、創価学会に入ってよくなる人もなかにはいるのだから、
かの団体を壊滅せよなどと決めつけるものでもないと思う。
ともあれ、よくも悪くも宮本輝は創価学会の作家である。

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