FC2ブログ

「なぜ生きるんだ。」

「なぜ生きるんだ。自分を生きる言葉」(坂口安吾/イースト・プレス)

→坂口安吾の名言集。
おそらく「本の山」にもう百回近く書いていることだが、言葉は肩書なのである。
言葉は内容が問題なのではなく、だれの言ったものかがいちばん肝心になる。
話者しだいで、真実にも虚偽にもなるのが言葉というもの。
ときに人を救ったり、殺したりするのも言葉。
言葉が肩書ならば、もし本当にそうなら、
人は肩書に救われたり殺されたりしているのだろう。
無名のわたしが真実などこの世にありえないと絶叫してもだれも信じてはくれない。
しかし、坂口安吾の言葉だったらどうか。

「ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、
それをもって自らだけの信実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ」(P10)


真実はひとつではなく、人の数だけあるのである。
人生でどんなことを経験したかによって、真実なるものはまったく変わってしまう。
自分だけの真実をどうしてもだれかに伝えたいと思ったとき、人はものを書くのだろう。

「美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。
どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、
ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。
ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。
そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、
美を生むのだ」(P118)


美とはなにか?

「悲しみ、苦しみは人生の花だ」(P53)

うーん、キザだなあ。
でも酒をのみながら読むと、こういう言葉にうっとりしてしまうのだよ。
言葉は酒とおなじように人を酔わせる。
酒が肉体を酔わせるのに対して、人の精神を酔わせるのが言葉だ。
言葉だけで酔えたらどんなにいいことか(なかなかそうはいかない)!

「健全な精神と、健全な肉体は別なものだ。
そして、酒は肉体的には不健康であるけれども、精神にとって不健康だとはいえない。
すくなくとも、私にとっては、そうだ。
私に酒がたのしく、うまく飲めれば、
私はこの上もなく健康に仕事ができるのである」(P94)


いささか私、私とうるさいが、どのみち人生など私にこだわるしかないのだ。
私を休めるには酒を飲むに限るのだろう。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3034-56a2b1b1