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「ずぼら人生論」

「ずぼら人生論」(ひろさちや/三笠書房)

→最近ようやく気づいたのは、考えないのがいちばんいいってこと。
ひろさちや氏が超過密なスケジュールを組んで仕事をしているのは、
考えないためだったのである。
人間というのはろくなことを考えないようにできている。
信じるというのは、考えるのをやめることだ。
どうして新興宗教の信者さんがあんなに幸福そうなのかといったら、
考えていないからである。考えないと人間は楽になれるのだ。
ならば、どうしたら考えないでいられるのか。
ひとつは、仕事、家事と働きつづける手がある。
掃除などいくらしてもキリがないから、実に精神健康にはいいのだろう。
掃除に夢中になったら、よけいな考えごとなどしないでいられる。
なにも信じられない人でも、手さえ動かしていたらいいのだろう。

ひろさちや氏の本はとても役に立つのにどこかチープなのは、
考えるのを途中で放棄しているからではないか。
ほとけさまを信じているため考え(=疑い)が徹底せず、なにやらインチキくさくなる。
なんとかチープな感じを消そうと高僧や経典の言葉に頼るひろ氏はいじらしい。
とはいえ、高僧や経典の言葉に頼るとは、信じることである。
考えをそこ(=権威、高僧、経典)で放棄するから人は救われるのだろう。
考えないことで人は救われる。
「人の言葉にまかすと書いて信じると読む」とは、わたしの好きな一遍上人の言葉である。
これは考えるのをやめようと言っているのだろう。
多忙で思考を停止させたひろさちや氏の名言を引用する。

「禅の言葉に「莫妄想(まくもうぞう)」というものがあります。
「妄想することなかれ」、グダグダ、あれこれ考えるなということです。
しかし、これがなかなかできないんですね。
どうしたら悟れる? どうしたら幸福になれる?
いつもそんなふうに
「どうしたら△△になれる(ができる)?」と考えるわけでしょう。
それで、答えが載っていそうなハウツー本の類いを読みあさったりする。
愚の骨頂としか言いようがありません。まず、なすべきは
「どうしたら△△になれる(ができる)?」という発想をやめることです。
病気の人が「どうしたら健康になれる?」と考え抜いたところで、
病気が治るわけではありません。わたしはいつも言うのですが、
病気は治るまで治らないし、治るときには治るんです。
だったら、病気をあまり気にする必要はありません。
医者の言いつけをよく聞いて、ゆったりと養生すればいいのです。
それなのに、あくせく、あれこれ考えるから、
治らないわが身を恨んだり、嘆いたりすることになるんです」(P75)


これって多くの人が望んでいる成功もおなじかもしれない。
凡人が「どうしたら成功できる?」といくら考え抜いたところで成功できない。
人は成功するまで成功者にはなれないし、成功するときは成功するのだ。
それなのに、あくせく、あれこれ考えるから、人を恨んだり嘆いたりすることになる。
ほかにもいろいろ当てはめて使うことができそう。
もてない男が「どうしたらもてる?」といくら考え抜いてももてない。
もてるまでもてないし、もてるときはもてる。
それなのに、あくせく、あれこれ考えるから、人を恨んだり嘆いたりすることになる。
もてないことよりも、もてないことに悩むほうがしんどいということだ。
だったら、すべてに通じる法則として、掃除をしようでいいのかもしれない。
成功したかったら(悩まないように)掃除をしよう。
成功するときが来たら成功するのだから。
もてたかったら(悩まないように)掃除をしよう。
もてるときが来たらもてるのだから。ひろさちやはすげえぞ、おい!

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