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「くよくよしない!」

「くよくよしない!」(日下公人・ひろさちや/WAC BUNKO)

→経済評論家と宗教評論家のまったく噛み合っていない対話である。
海外では日本ほど対談が行なわれていないというのはほんとうだろうか。
場の空気がいちばん偉いらしい日本では、対話が出世のための最短経路となる。
先ごろ、私淑かつ兄事する芥川賞作家の西村賢太氏が初の対話集を出したが、
よしよし、順調に出世コースを走っておるなとニンマリした。
実のところ、日本では対談をすることで
格が上がっていくシステムになっているのではないか。
べつに日下公人氏もひろさちや氏もそれほど偉くはないのである。
しょせんブッダや道元、マルクスやケインズの威を借るなんとか。
しかし、なかには騙されてひろさちや氏が偉いと信じ込んでいる人がいる。
そういう人がこの本を読んだら、日下公人氏もおなじくらいに偉いと錯覚するのである。
ちなみに、このシステムをいちばんうまく使ったのは河合隼雄氏ではないかと思う。

対話したら同格程度になるのである。
ほんとうはどちらも偉くないのだが、あいつが偉いならおれも偉いである。
まさか対談で喧嘩(論争)をするバカはいないから、同格の法則はかならず保たれる。
宮本輝氏もデビュー直後に対談をすることで格を上げている。
池田大作氏は井上靖氏が往復書簡に応じてくれたとき、どれほど嬉しかったか。
論争をしても格は変わらないのである(格上は無視するから)。対話が格を上げる。
ベテラン作家は新人作家と対談をすることで、若い読者層からの信頼を獲得できる。
ポイントなのは、ほんとうはだれも偉くないということである。
結局のところ、偉くなるにはブッダ、キリスト、天皇などの絶対的権威に頼るほかない。
そのうえでみんなで仲良く偉さを分け合うのである。
「あいつは偉くない」なんて言い始めるやつは下手をすると村八分にされる。
なぜなら、みんな偉くないことがばれてしまうからである。
本書の対話で両氏はまったく正反対の主張をしているところが何箇所もある。
しかし、論争にはならない。論争したら、どちらかが偉くなくなってしまう。
それはぜったいに困るのである。

癒し効果の高いひろさちや先生の言葉を引いておこう。

「結局、人間の無力さに気づくことが、宗教の始まりだということです。
私たちは、何でもできる、とつい思いがちになりますが、じつはそうではなく、
大部分のものは私たちの思いどおりにならないと思うことが、
宗教の始まりなのです」(P59)

「子供を一日中授業で縛るのは、残虐行為です。
人間の可能性はすべて平等で、
仕込めばみんな秀才になるなどというのはまったくの嘘です」(P157)

「日本では、創価学会などが宗教法人になっているのがおかしい。
もとは小学校の校長をしていた牧口常三郎がつくった創価教育学会です。
たまたま彼は日蓮宗の信者でしたから、自分の教育運動と結びつけて、
日蓮正宗の講をつくった。宗教を支える信者組織のようなものです。
あくまでも親睦団体です。普及団体ではありませんから、
基本的には政治活動をやってもかまわないのですが、
宗教の仮面を被るのはもってのほかです」(P208)


これでは不平等だからおまけに日下公人先生の言葉も引用しておこう。
ひろ先生の言葉が正しいと思う人の目には日下先生の言葉も正しく映るはずである。
逆もまた真なり。

「教団ができて最初の頃の集まりは純粋だが、
教祖が死ぬと二代目、三代目はそれを商売にしてしまう。
教団を維持するための教団になってしまいます。
さらに、それをまとめる番頭役が集まってきて、
俗物のためのイベントをするようになると、精神は俗化するが、
それでもそれが成功すれば、
寄付と信者が集まって社会勢力になるというプロセスです。
儲けるというのは大事なテーマです。最初から儲けるつもりではないが、
いいことをいっているとまわりに信者が集まる。
そして、毎月一回集まることになると教団ができるわけです」(P195)


とすると、清く正しい教祖が死なないと商売はできないのかもしれない。
生きながら教祖商売をやって儲けている評論家のひろ先生、日下先生は立派である。

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