FC2ブログ

「幸福論」

「幸福論」(春日武彦/講談社現代新書)

→患者の悪口を書く皮肉屋の精神科医・春日武彦が幸福について口を開く。
幸福なんて結婚式中の男女か、新興宗教にはまっている信者しかありえない。
ほかには重度の精神病後に人格レベルの下がってしまった患者も幸福そうだ。
そもそも我われは幸福を願っているのだろうか?
というのも、幸福は不幸の予兆とも言いうるのだから。
幸福になってしまったら、後は不幸になるしかないのである。
まさか幸福のまま人生を終わることは運命が許してくれまい。
このため、神経症という不幸に居つく患者もいるらしい。
春日武彦ならではの斜に構えた患者描写をご覧ください。春日さん、笑えるよな。

「抑鬱神経症のN氏は、民間療法マニアと化している。
当方を受診しつつ、漢方薬や民間療法を自己流に試してみている。
そしてわたしの外来でいちいち結果を報告してくれる。
話を聞いていると、どうやら当方の治療よりもはるかに効果的な療法を
探し出してわたしを脱帽させることに腐心しているらしい。
だから中途半端に症状が改善してしまっては困るわけで、
意地でもそう簡単には治るまいといった気持が透けて見えて興味深い」(P70)


ほかにもやたら数字にこだわる不幸な強迫神経症患者の例を紹介する。
こういう不幸な神経症患者は果たして治して幸福にしてしまっていいものか。
治ってしまったら、もっとなにかが悪くなるのではないか。
こう考えて、春日医師は患者の不幸をそのままにしておく。

「根源の部分では不安が強いのだから治療の対象となるのだろうが、
まあ強迫症状を治すというよりも、「大変ですねえ」と適度に
ねぎらっておいたほうが本人にとっては負荷が掛からずに済む」(P71)


不幸だと他人から認めてもらいたがる人もいるのである。
こういう人にいちばんいい言葉は「大変ですねえ」なのだろう。
「あなたはまだ幸福ですよ」などと助言したら逆に怒らせてしまう。
ときに精神科医は治すよりもよほど、
「大変ですねえ」と患者をいたわっているほうがいいのかもしれない。
小さな不幸の価値を深々と認めたうえで春日武彦は自身の幸福論に入る。

「(前略)不幸であるという物語を与えられてもまた、
しばしば心が安定するのである。多くの『幸福論』は、
嫉妬や野心や闘争心を捨てて身の丈に合った状況を受け入れよと説く。
それは正論だろうが実現は容易ではない。
困ったことに、全面的な幸福を得るには聖人君子となるか、
さもなければ徹底的に無反省となるしか方法はないのである。
では我々は幸福と無縁に暮らさねばならないのか?
まさかそんなことはない。
レディメイドの幸福ではなく、自分で見つけ出した幸福、
しかも断片としての幸福を得ることで人生を送っていくのが
もっとも妥当な方法論ではないのか。
断片としての幸福を点綴(てんてつ)していくことで、
かろうじて「この世もまんざら捨てたもんじゃない」
と思える境地を目指すしかあるまい」(P140)


春日武彦の説く「断片としての幸福」とはいかなるものか。
「見えないもの」を見ることに人間嫌いの精神科医は幸福を見いだす。
「ああ、そうだったのか」というささやかな発見をたいせつにする。
これは「世界が意味あるものだといった実感」のことだ。
言い換えたら「どんなに卑俗でちっぽけなことであろうと、
すべては詩となり得るだろうという確信のこと」――。

「騒々しい幸福、えげつない快感、安っぽい勝利感
といったものとは違った喜びが、人生には明らかに存在する」(P155)


患者の毒々しい不幸の物語を、自らの毒でもって受け流している精神科医の
よりどころとしているものは、どうやら自分だけの幸福を感じ取る能力のようである。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3024-519eb8f0