「不幸になりたがる人たち」

「不幸になりたがる人たち」(春日武彦/文春新書)

→精神科医の春日武彦は心を病んだ人を治す善意の人ではないのである。
多少毒を込めた言い方をすれば、きちがいウォッチャーとでもいうべきか。
きちがいにうんざりげんなりしながらも、それでもきちがいをどこかおもしろいと感じてしまう。
これは一見すると不謹慎なようだが、
たえず患者を鏡として自分と向き合っているということだ。
だから、ある面とても誠実な医者ということになる。
なぜなら、常にこの疑問を抱いているからである。

「相手がおかしいのか、我われのほうがおかしいのか、
理屈からするとその客観的判断は困難ということになってくる」(P30)


変わり者の精神科医は「不幸になりたがる人たち」がいるのではないかと指摘する。
そう言われたら、たしかにそのような人がいるような気がするのである。
これは「不幸になりたがる人たち」という新語によって見えてきた現実だ。
たとえば、精神科医のもとを訪れる患者も、どうやらそのように見受けられるらしい。
考えてみれば、おなじ環境でも発病する人としない人がいるのである。
どうやら人間というものは、自らを不幸にする業を隠し持っているようだ。
春日武彦医師は、長年の診察経験からその業を特定する。

「わたしが精神科医として沢山の人たちと接しているうちに気づいたことがあって、
それは人間にとって精神のアキレス腱は所詮「こだわり・プライド・被害者意識」
の三つに過ぎないというまことにシンプルな事実である
(それは犯罪の動機の大部分が「色・金・怨恨」の三つに収斂(しゅうれん)
してしまうことに通じているのかもしれない)。
もちろん、こだわりやプライドがなければヒトはなにもなし遂げられまい。
無気力で受動的な人物となり果ててしまうだろう。
だが、過剰かつ非現実的なこだわりやプライドは、
驚くばかりに心の働きを異様なもの(ときにはグロテスク、ときには滑稽、
ときには迷惑千万なもの)に変える。
被害者意識もまた同様であり、これら三要素がもたらすものは業と呼ぶしかない。
三要素のうちでも、殊に被害者意識が厄介なのは、
それが二つのものを求めてやまないからである。
そのひとつは「敵」であり、すなわち自分に被害者意識を抱かせるに至らしめた
悪玉の存在を必要とするということである。(中略)
そして被害者意識が求めるもうひとつのものとは、「特権」である。
ワタシハ弱者デアリ苦シメラレテイル立場ニアル、
ダカラワタシハ世間カラ労(イタワ)ラレ優遇サレルノガ当然デアル!
といった一種の権利要求にほかならない」(P67)


この秀逸な指摘が耳にたいそう痛く響くのはわたしだけではないのではないだろうか。
リピートすると、人間の業は、「こだわり・プライド・被害者意識」である。
とりわけ「被害者意識」が始末に悪いのは、
悪玉をつくるのみならず、鼻持ちならない特権意識を抱かせるからである。
この文脈に冷静に向き合ったら、かなりの「不幸」が緩和を見せるはずである。
しかし、人間は(わたしも含めて)どうしてもこの傾向に気づこうとしない。
なぜなら「こだわり・プライド・被害者意識」は居心地がいいからである。
我われも実際はかなり「不幸になりたがる人たち」なのかもしれない。
「こだわり・プライド・被害者意識」が「不幸」の度合いを強めるにもかかわらず、
なお我われがとりわけ「被害者意識」にこだわるのはそれが甘美であるからだ。
悪い敵に苦しめられている弱者という特権意識はとろけるように甘い。
著者の論述から多少飛躍すると、このために、
なにか事件があったときマスコミは悪玉を早々とつくりあげ、
我われをみな被害者に仕立て上げてしまうのかもしれない。
戦争が終わった瞬間に国民全員が悪い軍部に操られた被害者になったように。
以下は春日武彦の発見した人間法則である。

「人間の業」=「こだわり・プライド・被害者意識(→悪玉+特権意識)」

これは人間だけではなく集団にもあてはまるのではないだろうか。
たとえば、宗教団体がそう。
機関紙で悪玉を徹底攻撃している特権意識の強い日蓮系巨大仏教団体があるでしょう。
わたしはその団体の人間くさいところがどうしても憎めないのだが。
国際政治には無知だけれども、アメリカなんかずっとこれをやっているような気がする。
悪玉をかならずつくるよう一部マニュアルになっているハリウッド映画も、
春日武彦の人間法則に縛られていると言えなくもないだろう。
精神科医は述懐する。

「精神科医として自分の仕事を振り返ってみても、劇的なことは案外少ない。
いやそれどころか「劇的なこと」はファンタジーや妄想、
さもなければ願望充足的な錯誤ないしは虚偽ではないかと疑う姿勢を
いつしか自分が身につけていることに気づく。
幼い頃に心ない人物によって負わされた(と称する)トラウマを自ら開陳し、
雄弁に(ときには得意げにすら見える態度で)
自己の悲惨さについて語りたがる患者がいる。
まるでテレビドラマの脚本のような、明快で説得力に満ちたストーリーなのである。
おそらくその人にとっては、もはやそのストーリーこそが真実であり、
大抵は悪役として親だとか教師といった人びとが登場して
恨みの対象となっている」(P123)


もちろん、春日武彦は自分を省みて「不幸になりたがる人たち」を記述しているのだ。
「不幸になりたがる人たち」=我われはどうしたらいいのか。
では、精神科医は診療室で「不幸になりたがる人たち」にどう接しているか。
春日武彦医師は患者に――。

「(前略)いかに気持ちの上で踏ん切りをつけ、
事態を客観的にクールに眺められるだけの余裕と柔軟性を
持ってもらえるようになるかを工夫することになる。
ところが不思議なことに、明らかに解決法が分かっているにもかかわらず
本人はその解決を拒み、
それがために延々と悩み苦しみつづけているケースが珍しくない」(P114)


自分もみなとおなじ「不幸になりたがる人たち」の一員であると
「客観的にクールに眺められるだけの余裕と柔軟性」を持てばいいのである。
しかし、それはとても難しい。
だから、「不幸になりたがる人たち」と春日武彦は苦々しく命名するのだろう。

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