FC2ブログ

「聖地の想像力」

「聖地の想像力」(植島啓司/集英社新書)

→出版当時は関西大学教授の肩書があったので本書も説得力があったのだろうが、
著者が年収180万以下の雑文ライターに落ちぶれた(失礼!)いま読むと、
根拠のない断定と思いつきがだらだらと語られただけのトンデモ本に思えてしまう。
聖地の見物記と大学教授(当時)の随想がメインとなっている。
ときたま読んだ小説や一般書の一節が挿入され、
あたかもなにかを論じたかのような体裁を取っている。

内容は失礼ながら大したことがない。学ぶところもあまりない。
著者のファンゆえ期待の大きかったのが逆に災いしたのかもしれない。
下手をするとわたしでも書けそうな本だが、
当方は大学教授のような立派な肩書を持っていないので仕方がない。
要するに、本書で植島教授はなにを言っているのか。
聖地という時間的空間的に特別な場所がある。というのも――。

「そもそも時間や空間が均質であるというのは非常に近代的な考え方であって、
かつては時間や空間にはかなり極端な濃淡があったのではないかと思われる」(P85)


で、聖地に行くとなにがいいのか。

「どちらもわれわれを宇宙的なスケールへと導いてくれる。
いま、ここで、こうしていることが、
単なる偶然だということを改めて教えてくれるのである」(P81)


わたしの言葉に言い換えたら、
聖地に行くことで、宇宙のなかにおける自分の位置を知ることができる、となる。
また本書に引用された岩田慶治氏の言葉を借りてもいいのなら、
聖地で我われは「人間の生命の由来とおのれ自身の所在を確認」(P143)する。
思えば、暇にまかせてインド、東南アジア、中国の聖地にはかなり行った。
聖地はどこかしら永遠に通じているような気がする。
このため「我われはどこから来て、どこへ行くのか」を強く意識するようになる。
あげく、信仰のあるものは聖地で祈るのだろう。
なぜなら人間は生前および死後の世界を知りえないからである。
そこにアクセスしようと思ったら祈るしかない。

*植島啓司氏の年収のソース「日刊サイゾー」
http://www.cyzo.com/2010/10/post_5760.html

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/2995-3d8c39c1