「キルトの家(後編)」

山田太一ドラマ「キルトの家(後編)」を視聴する。
あなたの話をしよう。たましいの話ではなく、あなたの話をしよう。
早朝、6時まえにドアのベルが鳴らされる。
ドアを開けると、顔を知っている程度の老女が米を持って立っている。
3キロの米だ。老婆は「いじらしゅうなって」という。米をくれるという。
このときあなたは素直に「ありがとうございます」と受け取れるだろうか?
南空(三浦貴大)と南レモン(杏)は「ありがとうございます」と笑顔でいう。
とてもいいシーンだったと思う。しかし、あなたはあの真似をできますか?
恥ずかしながら迷惑だ。わたしは迷惑だ。
というのも、おそらくあれはふつうの米。
便利な無洗米の味を一度おぼえてしまうともうめんどうで米をとぐ気がしなくなる。
ずいぶん長く無洗米には抵抗してきたつもりだ。あんなもん、使うもんかと。
しかし一度買ってきたらもうダメ。米を洗うのでさえめんどくさくになってしまう。

南空と南レモンは笑顔で「ありがとうございます」と早朝3キロの米をもらった。
あげた老女もとても嬉しそうだった。
こういうのは奇跡である。通常ならありえない。
震災後の助け合いブームの渦中だったから成立したこと(ドラマの設定は2011年初夏)。
空とレモンが20代前半で世間知らずだったから、たまたまうまくいったこと。
このカップルが新婚旅行の最中に津波に遭遇しなかったら、この美談はなかった。
実際は物をもらうほど難しいことはない。

脚本家の山田太一氏も77歳になって物の見方がかなり変わったのだろう。
40代のころなら氏は断じてこのようなシーンを書かなかったと思う。
かつて脚本家は列車で同乗の人にバナナをすすめれらたにもかかわらず、
かたくなに断ったというエピソードをエッセイに書いている(「車中のバナナ」)。
知らない人からもらったバナナを食べる気がしない。
作家は老人から「いけないよ」と非難されたという。
「たしかに」と40代の作家はいう――。

「たしかに大人気ないのかもしれない。
私の態度が悪い、という人も少なくないだろう。
しかし、見知らぬ人から食べものをすすめられて食べるという神経には、
どこか他人というものをたかをくくっているところがあると思う。(中略)
人のその種の好意はなるべく受けたくない(いってみれば恩を着たくない)
というケチな偏屈もある」(新潮文庫「路上のボールペン」P158)


世間知らずのわたしは長いあいだ、この感覚がわからなかった。
人から物をもらうのが怖いという思いのことだ。

ドラマからそれるが「ちょっとね、スピーチ」――。「話しちゃうね、変な私を」――。
むかし山田太一ファンのオフ会に出たことがある。いい人たちばかりだった。
だから調子に乗ったのだと思う。
ある女性は新聞記事をわざわざコピーしてくれたのだった。
それから飲み会で「いいよ」という話になった。むかしのことだが、そう記憶している。
いいよ、いいよ、いつも山田太一講演会の内容を公開してくれるのだから、いいよ。
居酒屋の代金を払わなくてもいいよ、という話になった。少なくともわたしはそう思った。
たかだか二千円ちょいだから甘く見ていたところもある。
ところが、だ。
数日後、ネット掲示板で女性がわたしを常識知らずだと猛然と非難しはじめた。
金を払わないなんて、とんでもないやつだ。
図々しい。厚かましいにも程がある。調子に乗りすぎじゃないか。ふざけるな。甘えるな。
コピーをあげたのにお礼が足らないともいわれた。危険人物とまでいわれた。
ひたすら謝ったが、もう取り返しがつかなかった。
数日まえに笑顔で歓談した人がこうも豹変するのかと驚いた。
世間とはこういうものなのかと深々と思い知ったものである。
人間とは、怖いものだ。人の好意を安々と信じてはいけない。
軽々しく人から物をもらったり、酒をおごってもらったりしちゃいけないんだ。
後からどんなことをいわれるか知ったことではないのだから。

ドラマで橋場勝也(山崎務)が空に説教したことを学んだといってよい。
だから、あの山田太一ファンの女性にいまでは恨みなどまったくない。
むしろ、世間とはそういうものだと教えてくれたことを感謝している。
油断しちゃいけない。気をつけろ。
いつなんどきでも用心を忘れるな。うっかり他人に気を許すなよ。

「人はあんたのことなんか、なんとも思っていない。
やさしく一緒に心配してくれるとでも思ったのか」

「俺のことなんか人は知ったことじゃないと思っている」


エッセイ等からうかがうに、
これは山田太一氏の人生観、処世術といっても過言ではなかろう。
しかし、なのである。作家は77歳にして自然に変わったのか。
それともあの東日本大震災の惨事が、感性鋭い脚本家を変えたのか。
「キルトの家(後編)」は、ひたすら老人が若者に物をあげる物語なのである。
旅行先で津波を経験した空、レモンのカップルに老人たちが物と言葉の布施をする。
米3キロを義捐金がわりに空とレモンにあげたのは下田美代(正司歌江)。
元チンピラの野崎高義(上田耕一)、元公務員の沢田道治(織本順吉)、
二人の老人は居酒屋に空を招待してビールをご馳走するのである。
とてもいいシーンだと思う。三人は乾杯する。

高義「びっくりしたよ」
道治「ほんとねえ」
高義「津波に遭ってるとはな」
空「はい」
道治「えらいもんだ」
空「別にえらくは」
高義「そんなことはない。そういう目に遭うと人間は一段えらくなるんだ」
道治「自分じゃ気がつかないだろうが、少しマシな人間になっている」
高義「ああ、マシな人間になっている」


「本当になにもかもなくした人はそうかもしれないけれど」と謙遜する空である。
若者よ、負けるな、へこたれるな、
というように高義老人は空の肩をたたき、三人はもう一度乾杯する。
伊吹清子(緑魔子)は豚カツ屋で働くレモンに逢いに行く。
仕事の後、ちょっといいかなという。老人は若者にコーヒーをご馳走する。
このシーンもとてもいい。

清子「元気になって」
レモン「はい」
清子「他人の励ましなんて大ざっぱで役に立たないと思うけれど」
レモン「いえ」
清子「生きているとほんとに、浮いたり沈んだり」
レモン「そうですか」
清子「プライドばっかり高い貧乏な家に生まれて、結婚して、一息ついたら、
 主人が事故で、出張先で、あっけなく死んで――。
 一人息子つれて一緒になった次の夫は、
 ガンになって、お金ほどんど使い果たして――。
 息子はマレーシアに行ったっきり」
レモン「たいへん」
清子「ところが主人、保険に入っていてくれてね。死んだら思いがけないお金。
 ――いわないんだもの」
レモン「よかった」
清子「この先なにがあるかわからないけど、いまはホッとしてるの。――幸せ」
レモン「――そう」
清子「悪いこともあるけど、きっといいこともある。目先のことに慌てないで」
レモン「――はい」
清子「(レモンの手を取り、へこたれるなというように握り締める)」
レモン「――」
清子「――」 


どうしてみんな空とレモンに親切にしてくれるのか。お節介を焼くのか。
津波で二人は見たという。
生きたままのような赤ちゃんの死体、ぼろきれのようになった死体。
パチンコ屋も神社も、跡形もなく流され、残ったのはゴミの山。
身ごもっているレモンは「キルトの家」の老人たちのまえでこんなことを口にする。

レモン「急に来るんです。一瞬でなくなってしまうんだから、なにをしても無駄だって。
 生きていくのはたいへんだなって。
 あっという間に流されてしまうのに、ちゃんとやって生きていけるのかなって」


大丈夫、へこたれるなと老人たちは若者を励ましに行く。物を贈る。
元時計職人の河合秀一(北村総一郎)は二人にガラクタで作った置時計をプレゼントする。
「僕からのエールよ」
もしわたしがもらったら翌日にはゴミ置き場に持って行きそうな代物である。
しかし、物のない若い二人は笑顔で「ありがとうございます」とおしいただく。
いかに物のないことが人間関係を富ませるかよくわかるエピソードである。
さて、レモンはスナック「佐久」で元夫から新妻を見せつけられる。
たんかを切って「ここは地元だから、コーヒー代はこっちが持つ」などといってしまう。
スナックのママもまた若い妊婦のレモンに親切なのである。
コーヒー代金を負けてやるのだから。

「人はあんたのことなんか、なんとも思っていない。
やさしく一緒に心配してくれるとでも思ったのか」
一度はこのように空を叱りつけた勝也は二人に大きなケーキをプレゼントする。
物だけではなく、勝也は言葉も贈ろうとする。
しかし、大したことをいえる身分でもないと老人は自己を卑下するのである。
そうか、ケーキが大きすぎたか。
「私はね、一事が万事、こんなふうに過ぎたり足らなかったり、人生との折合が悪いんだ」
「口だけでね」と自嘲する。

勝也「学校をスペイン語で出て、商社に入って、ブラジルへ行かされた。
 あそこはポルトガル語だ。すぐに慣れるといわれた。二ヶ月で慣れたよ。
 するとすぐアルゼンチンだ。上司が私を嫌ったらしい。いいだろう。
 はじめからスペインじゃなきゃ、メキシコかアルゼンチンだと思ってた。
 ところが――いじめられてね。
 生意気だったから無理もないんだが、そのころは自分のせいだとは思わない。
 辞めたよ」


それから転々とした。パラグアイで日本語教師をやったこともある。
とはいえ、どこかで「俺の本当の仕事じゃないとも思ってた」――。
便利屋のようなこともやった。
チリで国際協力事業団に現地採用されたこともあった。
そこもえらそうな上司がいて辞めてしまった。

勝也「ずっと私は、この仕事は本来俺のやりたいことじゃないと思ってた。
 この先に俺にピタリと向いた仕事があると思ってた」
空「それはなんですか?」
勝也「恥ずかしくていえないよ」
レモン「でも聞きたい」


勝也は板金職人の空をほめたくなったのだという。
「私はあんたをほめようと思って来たんだ」
「そういうのはいいよ。板金一筋、そういう人生はいい」
勝也はレモンにも声をかける。一筋でいけよ。この男、一筋でいけよ。
以下、とてもいいシーンなので長いのは承知でぜんぶ書き写す。
「キルトの家(後編)」におけるもっともすぐれたシーンである。
老人と若者の交流がなんと見事に描かれていることか。

勝也「変えるなよ。この人で辛抱しろよ」
空「辛抱か(苦笑)」
勝也「辛抱は大事だ。私は辛抱がなかった。
 じっくり自分を一箇所に閉じ込めるというところがなかった。
 自分でもどうにもならない勝手なプライドがあって、傷つきやすくて、
 いつも鎧(よろい)を着て身構えて、気に入らないと飛び出した。
 私の人生、散らかったままだよ」
空「それで食ってきたってすごいですよ」
レモン「本当。辛抱しない人生一筋じゃないですか」
勝也「――おい」
空「はい」
勝也「自分をそんなふうに思ったこと一度もないよ」
レモン「悪口じゃない」
空「すごいっていったんです」
勝也「人と腹を割って話してみるもんだな。
 ちょろっと、こともなげに、私の人生をまとめてくれた」
レモン「気に障ったら」
空「すみません」
勝也「怒ってるもんか。わかるだろう? 喜んでるんだ。 若いやつはすごいな。
 人の目が怖いとばかり思っていたが、嬉しいじゃないか。
 俺、辛抱しない人生一筋だったんだ」
レモン「はい」
空「はい」
勝也「どうしてそんな簡単なことを自分では思えなかったんだ?」
レモン「さあ」
空「さあ」
勝也「人と深くつきあうことに臆病で、頭が固くなっていた」
レモン「えらいですよ」
空「すごいですよ」
勝也「軽くいうな。年寄りを舐めてはいけない」
レモン「舐めてません」
空「ちょっと聞いただけでも、滅多にない人生じゃないかな」
レモン「うん」
勝也「(深く打たれて満足げに笑う)ククク。
 (額を手で打ちながら)あんたらを励まそうとしたんだぞ。
 俺がほめられてどうするんだ?」
レモン「(笑う)」
空「(笑う)」
レモン「いいですよ」
空「いいですよ」
勝也「(お手上げというようにバンザイする)」
レモン「勝也さんはすごい(と拍手する)。いよっ」
  三人、笑っている。


人と人が交流するときの理想形がここに表現されているのではないだろうか。
現実には滅多にないのだろうが、実際にはありえないのだろうが、
それでも、もしかしたらこういう会話が交わされることもあるかもしれないではないか。
お互いを批判せずに肯定する。
言葉にすれば簡単なようだが、
人間にとって他者をありのままに、あるがままに肯定するのがどれほど難しいか。
だれかからありのままの姿を肯定されたら人はどれほど嬉しいか。
あたかも母親に抱かれる赤子のように――。
相手を抱きしめる。シナリオ「キルトの家」に何度も書き込まれたト書きである。
そのまんまの相手を認める。ぎゅっと抱きしめる。抱きしめてもらう。
いまのままでいい。あるがままでいい。変わらなくていい。
過去を振り返って後悔しなくてもいいんだよ。そのまんまでいいんだよ。

老人グループ「キルトの家」のポリシーを確認する。
「死ぬまで一人をつらぬく。助けを求めないで、若い人は助ける」
これを「おかしい」と批判するものがいる。
自治会で副会長をしている米川淑子(余貴美子)だ。
「どうして(助け合い)クーポンがいけないの?
みんなで助け合うのがなぜいけないの?」

「キルトの家」の発起人は桜井一枝(松坂慶子)。
だれも部屋に入れないことで有名である。
ある日、「キルトの家」に姿を見せないのを心配した
空、レモン、勝也は一枝の部屋を訪問する。
「入って」と一枝は三人を招き入れる。
三人はひと部屋に一枝の父親の衣服がずらりと並んでいるのを目撃する。
「話しちゃうね、変な私を」と一枝はいう。
2年まえに死んだ父のものを片付けられないのだという。捨てられない。
父のことは、好きではなかった。
6年まえに母が死んでからも、父は工場に嘱託として通っていた。
ガンとわかったときも静かなものだった。
自分の離婚とも重なり、通り一遍のことしかしなかった。
それなのに死ぬ数日まえに「ありがとう」といわれたのをおぼえている。
亡くなってからベッドサイドの引き出しから紙切れが見つかった。
そこにはこう書かれていたと一枝は紙を取り出す。

「私は一老人ではない。
血も涙もある
桜井慶一郎である」


娘は父親の遺したこの紙切れがしだいに重くなったという。
父、桜井慶一郎はだれかに怒っていたのは間違いない。そして、娘は思う。
「怒った相手は私じゃないかって」
自分は父を、どこにも他にはいない特別な人間として大事に思うこともなかった。
「自分の冷たさにぞっとする」と一枝は泣く。
それから変わったのだという。
「団地でお年寄りを見ると、
私は一老人ではない、誰々である、何男何子である、と内心いっている気がして」

一枝「アレルギーね。あの人もこの人も平等に、とかいわれると、
 どの人も十把一絡げにされたみたいで、違うだろうって思っちゃうの。
 一人ひとり違うだろうって。
 とくに一人住まいで仲間を作れなそうなひとを見ると――」
勝也「――」
一枝「声をかけたくなったの。父が見てくれているような気がして」


こうしてはじまったのが「キルトの家」である。
ところが、「キルトの家」は唐突に終わりになる。
まず人がいなくなる。老人がいなくなる。
あるものは息子夫婦の家に引き取られるという。
もう一人は栃木の老人ホームに入ることにしたという。
三人目は、いいお医者を紹介してもらったので横浜の病院に入ってしまうという。
そのうえ老人二人が仲たがいをして「キルトの家」に来なくなっている。
「おかしくない?」となにものかに抗議するのは若いレモンである。
「ばたばた5人もいなくなるなんて、そんなのあり?
だれかが仕組んだみたいに、こんなのおかしくないですか?」

レモン「こういうの、たまらない」
勝也「どうした?」
レモン「あっという間に5人もいなくなるなんて――。
 津波みたい。あの津波みたいに」
勝也「津波じゃない。年寄りはこんなものだよ。
 いつだれがどうなるかわからない。
 見えない弾が狙い定めず飛んでいるようなもんだ。
 腰に当たる。背中に当たる。胃や肝臓や頭にも当たる。胸にもな。
 大事な人もいなくなる。年寄りはこんなもんだ」


現実として「キルトの家」を終わらせたのは金である。現実は金、金、金!
いまのテレビドラマがまるで狂ったように「人生は金じゃない!」
と絶叫するのとは対照的に、山田太一ドラマは金銭の重みをしっかりと描く。
山田太一最後の連続ドラマ「ありふれた奇跡」において、
妻と娘を火災で亡くした中年男を最後に救ったのは仕事で稼いだ金であった。
偏屈な老人の理想郷ともいうべき「キルトの家」を終わらせたのも金である。
このスペースは、夫婦ともに入院してしまった家を好意から借り受けていたのだ。
元々はキルトの商店だったのである。
持ち主の夫婦がキルトを全部売却してしまった。
金のない老夫婦からただで家を使わせてもらうのはもう限界だと老人たちは気づく。

「キルトの家」は終わったが、対立する自治会の助け合いクーポンもうまくいっていない。
1回250円のクーポンを発行したものの、
ボランティアの数が圧倒的に不足しているのである。現実は、そんなに甘くはない。
250円程度の小遣い銭で、困っている老人を助けてくれる人はそう多くないのだ。
人間関係も甘くはない。人と人がそうそううまくいくわけがないのである。
元チンピラ極道の野崎高義は元公務員の沢田道治を一方的に慕っていた。
明るい高義はのんきにも道治のことを友人かなにかのように思っていたはずだ。
道治が腕を骨折してクーポン券を購入することに決める。
お節介にもついていってやる高義である。
ちなみに、以下のシーンはこのドラマでいちばんドキリとしたところである。
このシーンを描いてしまう脚本家はどれほど人間を厳しく見ていることか。
元気な高義老人は、自治会の米川淑子からこういわれる。

淑子「ボランティアやってよ」
高義「やってやるよ。クーポン券なしで、俺はなんでもやってやる。
 (道治に)あんたの世話は俺がするよ」
淑子「それはそれでいいと思う」
道治「俺はクーポン券にする」
高義「どうして?」
道治「合わないよ、あんたとは」
高義「それはないだろう」
道治「断ると怒りそうだからつきあっていたけど、私はあんたが嫌いだ」
高義「――」
道治「嫌いだ(と強くいい切る)」
高義「――」


あなたが友人だと思っている人も本心ではあなたを嫌っているかもしれない。
人間不信のかたまりのような脚本家にしかこのシーンは書けないと思う。
山田太一さんはどれほど低く人間というものを見積もっているのだろう。
人間を見通すその冷たい視線に空恐ろしさすらおぼえるくらいである。
しかし、脚本家は冷たいだけではなく、同時にあたたかい。
ラストシーンは「キルトの家」の元メンバー5人が所在なく、
公園でアイスキャンディーをしゃぶっている。節電の暑い夏だった。
そこに鯛焼きを6つ持った高義老人がやって来るのである。
道治老人の自転車を乗り回していることから、絶縁したのではないことがうかがえる。

「キルトの家(後編)」は最初から最後まで物について語られていたように思う。
人と人がつながるためには結局のところ物に頼るしかないのではないか。
このため老人はおそらく自身はそう食べたくもないであろう鯛焼きを6つも買う。
所詮、人間なんざギブアンドテイクなのだが、
しかしそこにしか救いのようなものはないのかもしれない。
そこに救いを見なかったら、人間も、現実も、たまらないではないか。
わたしが山田太一ドラマ「キルトの家」から感じ取ったメッセージである。
人間関係はめんどう極まりないが、それでもやはり鯛焼きを6つ買おうじゃないか。
鯛焼きを差し出されたらダイエット中でも笑顔で「ありがとう」といおう。
そんな関係はウソだといわれるかもしれないが、
たぶんおそらくそのウソのなかにしか救いはない。
「絆」という言葉は偽善くさくてやりきれないが、それでも人とつきあおう。
まずは偏屈な自分を愛することからはじめよう。
ドラマ「キルトの家」の起点は一老人の死である。
ならば、かの老人を真似てわたしも宣言しておこう。
ここからドラマがはじまるのなら――。

「私は一中年ではない。
血も涙もある
土屋顕史である」

「キルトの家」前編は山田太一ドラマにしてはやや低調かとも思われたが、
あれはすべて後編を盛り上げるための布石作りだったのであろう。
どうしてか「キルトの家」後編を見ながらずっと涙がとまらなかった。
だれも読まない感想を長々と書き連ねてきたが、
ひと言でまとめるなら、よかったになる。とてもよかった。本当によかった。
「キルトの家」も自治会も、どちらもうまくいかないのがよかった。
理想論でも正論でもダメなのである。
しかし「はじめたばっかりじゃない」と笑う二人の中年女性がよかった。
ドラマの終わりが終わりではなく、はじまりになるのがよかった。

COMMENT

チャコ URL @
02/07 15:31
物に頼る. comment
こんにちは。またコメントさせて頂きます。
山田太一のドラマは、あからさまなハッピーエンドじゃない所が好きです。
登場人物も完璧な善人はまず登場しない。
前編で兄の大地がやけに物分かりの良い男に感じました。妻を寝取った弟・空を殴るでもなく、妻・レモンの悪口を言うでもなく、二人を許したから。
しかし、やはり裏があった。大地にも既に女がおり、否定はしたが、恐らくレモンが空と駆け落ちする前からの関係だったと思われる。(女の態度から)
空とレモンも、キルトの家の老人たちに、旅先で津波の被害にあった事は話しても、兄の妻を奪った経緯は話さない。同情を引く事は打ち明けても、軽蔑されるような話はしない。
ズルい・卑怯と感じるかもしれないが、現実はそんなものだと思うし、私でもそうすると思う。

このドラマの老人たちを見ていて、私は母の姿と重ね合わせました。今は認知症の為、物を贈る行為など出来ませんが、定年で仕事を辞めた頃は、ひたすら人様に物を配っていました。キツイ性格だった為、友達は少なく、人と繋がるには物に頼るしかなかったのでしょう。
かくいう私にも色々くれたのですが、物が溢れた時代に育った私には、有り難く感じるどころか、迷惑でした。
だって、あんドーナツ10個とか、鯛を丸々一尾とか……糖尿病になるし、私は魚を捌けないし。(笑)
すみません、後半は余計な私事でした。
Yonda? URL @
02/07 21:33
チャコさんへ. 

断じておべっかではないのですが、チャコさんは深く山田太一ドラマを見ておられますね。空の兄、南大地の裏表はいまチャコさんに指摘されてはじめて、ああ、そうだったのかと気づかされました。たぶん、こちらは男だから同性には甘くなっていたのでしょう。ふうむ、たしかにそうだ、なるほど、とおのれの至らなさを思い知りました。前編ではけっこう南大地に感情移入してしまったのだから恥ずかしい話です。そこで裏を読むのが天才脚本家にして人生の達人、山田太一先生の流儀なのかもしれません。人間なんて、そんなもの。しかし、ではなく、だから人間はおかしい。微苦笑できる。美しいともいいうる。山田太一ドラマのすばらしさであります。

あまり読まれていないコメント欄だから、油断して本音を書いちゃいます。NHKホームページの掲示板を見たのですが、テレビドラマ視聴者の(いわゆる)レベルは想像以上(以下?)に低いのですね。まるでシナリオ文学を理解していません。でもまあ、テレビはそんなものなのでしょう。あるいは、そういう環境が山田太一さんの才能を育てたのかもしれません。

「物に頼る」人間関係は難しいですね。チャコさんがおっしゃるように、物をもらうのは相当に迷惑なことなのです。しかし、ほかにどうしたらいいのかと考えますと答えがありません。カップルだって、まず最初に惚れたほうが金銭、物品、肉体、自尊心を相手に提供するのですから。もうすぐバレンタインですが、とても意味深い行事であります。あれのおかげでどれほど多くの人が救われているか。絶望しているか。難しいのは、たくさんチョコをもらってもぜんぜん幸福ではないこと。お返しをしないといけないからその出費を考えるとかえって不幸なのかもしれません。――というのはバレンタインとは縁のないもてない中年男の妄想かもしれませんが。考えてみたら健康を考えると老人男性はチョコなんてたくさんもらっても困るだけかも! まったく山田太一ドラマにはいろいろ考えさせられます。だれもいわないのでわたしがいいます。山田太一さんは日本最上のドラマ作家です。近松門左衛門よりも数段えらい、何倍もすごい(と拍手する)。
ダダ URL @
02/08 22:40
. 私はテレビを持っていないので、このドラマもリアルタイムでは観ることができず、視聴の機会を待っているところなのですが、この記事を読んでドラマを見たのと同じくらいの充実感を覚えました(だからドラマを見なくてもいいとかそういう意味では当然ながらありません)。ここまで濃いものを視聴者に書かせてしまうシナリオの「力」とは何なのか。yonda?氏がただの山田太一ファンであるということを超越した何かがあるからこそ、こういうエッセイが生まれるんだろうと思います。「ありふれた奇跡」に続き、このドラマを視聴できる日が待ち遠しく思えます。このブログの文章には、本当に力があると思う。人を喚起させる力があると思う。それはあながち私が人生に絶望している中年である、という理由だけではないような気がします。口では「絶望している」などといっていても、心のどこかでは知らず知らずのうち何かを「切望」しており、そういう部分を抵触する言葉というものが、人を触発させ、このような言葉をも吐かせてしまう、のみならず伝えたくなってしまうという現象を引き起こすのであるなあ、と思ったりもいたしました。この稿「前編」もよかったのですが、圧倒的なまでに「後編」に魅かれました。
Yonda? URL @
02/09 19:15
ダダさんへ. 

だれも読まないだろうと思って書いた長文記事を、これほど真剣にお読みくださる方がいるとはまったく嬉しいかぎりです。どうもありがとうございます。山田太一ドラマに夢中になりました。どうしてこうもおもしろいのか、感動するのか、ふしぎに思います。しかし、わからない。だから、夢中になった理由を発見するために感想を書いている気がします。自分のためだけに書いているわがままな部分が相当にあります。それがこうしてたまさか他人にも通じる。本当にありがたいことであります。

なにかに夢中になる時間をどれほど持てたか、という基準で人生を見てみるとおもしろいのかもしれません。金、名誉、地位、権力、友、女はままなりませんが(不自由!)、夢中になることなら少しは人間に自由があるような気がします。努力しても得られないものと、わずかなら獲得できるものの違いです。努力は苦手ですが、なにかに夢中になる努力なら少しはできるのではないか、と思っています。

絶望から切実な希望――切望が生まれるのかもしれません。
ばく URL @
02/14 11:10
yonnda?さんへ. comment
キルトの家に感銘を受けたばくといいます。
この地味なドラマにどれだけの反応があるのか疑いながらネットをみているうちにここに流れ着きました。
yonndaさんの丁寧なふりかえりと深い考察、驚くほどのものでした。山田ドラマに対する造詣の深さには脱帽です。

ぼくはこのドラマの台詞回しに、舞台上での芝居の台詞回しを連想したのですがいかがでしょうか?
不自然なほどにひとりひとりにしっかりと語らせる手法は、ひとことひとことが山田太一の叫びであるかのように感じました。
よいドラマでしたねぇ。
yonndaさんの文章でそのことを共有できたことに感謝します。これからも時々寄らせてもらいます。
Yonda? URL @
02/15 00:14
ばくさんへ. 

こんな長文記事を最後までお読みくださりありがとうござます。そのうえ、コメントまでいただき。このドラマの台詞回しですか。おっしゃるとおりだと思います。ご存知かもしれませんが、むかしはテレビドラマは耳で聞くものとされていました。わたしなんかも(山田ドラマは別ですが)料理しながら目ではなく耳で聞いていることがよくあります。いまのテレビドラマはその点、台詞にしてくれないんですね。小道具で状況を示されちゃうと、「ながら視聴」の人はついていけなくなります。まあ、テレビドラマなんか正座して見るものではなく、むしろ電話しながらでも見(ら)れるように作るべきで。山田先生のドラマは、そういった常套に忠実なのでしょう。

先日ふと気づいたんですが「キルトの家」の空くんって、最新小説「空也上人がいた」から「空」をもらっていたんですね。単なるDQNネームではなかったのか、と浅見を恥じました。
- URL @
02/29 13:12
. 「キルトの家」を こんなにもていねいに的確に 解説してくださる方がいるなんて! ありがたいです。熟読させていただきました。

前編は、 覚悟はしていたものの
それにしたって 地味で セリフも大仰過ぎるような気がしてたのですが、後編の盛り返しからキルトの家の解散までのながれ。
大団円とはならなくても 希望の持てるラスト。
やっぱり 太一ドラマにハズレなしっ! 
今回も見ごたえのあるドラマでしたね

特に「辛抱しない人生一筋」の シーンは ゾクっとしました

松坂慶子の終始ハイテンションなセリフ回しは、なんとなく違和感がありましたが(あえて から元気をふりまわしてる訳あり女性という感じの演出だったのかもしれませんが) 終盤のちょっとしたラブシーン?にじーんとしました。
これからも また 山田太一ドラマ 熱く語ってくださいね
楽しみにしています
ちなみに「空也上人」。私も 読みました。
しびれました。
「キルトの家」とテーマは少し似てるかもしれませんね。
ドラマ化したら キャスト誰がいいかな、三国連太郎はどうだろう・・・とか 勝手に妄想して 楽しんでいます
Yonda? URL @
02/29 20:12
名無しさんへ. 

この記事の反響が意外なほど大きいので驚いています。こんな長文、だれが最後まで読むのだろう、なんて思っていましたもので。「キルトの家」は隠れた名作ドラマなのでしょうね。わかる人にはわかるという。

コメント、ありがとうございます。いろいろ考えさせられました。ドラマの感想は人それぞれ。だから、いいのでしょう。ドラマの観方に正解はありません。

「キルトの家」後編は4回ほど見たのでしたか。セリフを耳から文字に写すのがどれほど難儀だったことか。ああ、ごめんなさい。くだらない苦労自慢をしてしまいました。ご年齢から考えると、山田太一ドラマはいつ最終回が来てもおかしくないんですよね。市川森一さんも、まさかあれが遺作になるとは思っていなかったでしょう。山田太一ドラマはこれが最後かもしれない。そう思うと、ついドラマ視聴にもちからが入ってしまいます。

不謹慎だとお怒りになる方もいるかもしれませんが、死なない人はいませんので。そして、死はいきなり来ます。とはいえ、ひとつでも多く山田太一ドラマを見たいものです。日本のドラマにもひとつくらい脚本家が看板になる作品があっていいと思います。








 

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嫌 儲 年 齢 調 査 を し ま す(正直に年齢を書いていってください)  【2ch】ニュース速報嫌儲版  2012/10/23 03:01
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/10/22(月) 22:30:00.16 ID:gi3YlawE0● ?PLT(13075) ポイント特典東京都豊島区巣鴨で21日、シニア世代の素人モデルがお気に入りの服装