「錦繍」

「錦繍」(宮本輝/新潮文庫) *再読

前略 宮本輝様
もうすぐ芥川賞の選考会でいまたいへんお忙しいことと思います。
くだらぬ私事を記した手紙をお送りすることをどうかお許しください。
最初に宮本輝先生の「錦繍」を拝読してから10年になります。
10年前この書簡体の小説を読み、わたしは大泣きしたのでした。
こんなすごい小説がこの世にあったのかというほど深く感動しました。
クラシック嫌いでしたが、この本の影響でモーツァルトのCDを買ったくらいです。
当時わたしは毎日のように自殺を考えていました。絶望していました。
苦しかった。わからなかったからです。
どうして大好きな母がわたしの目の前で飛び降り自殺をしなければならなかったのか。
死のうと思っていた男は「錦繍」を読んで生きようと思った。
この小説から生きるために必要ななにかをもらったからです。
あれから何度「錦繍」を読んだことでしょう。
何度読んでもこの小説のどこがわたしを生に向かわせたのかわかりませんでした。
いつしか母の死から11年が経ち、また「錦繍」を泣きながら読みました。
ようやく「錦繍」に書かれた「宇宙のからくり」「生命のからくり」
の一端を理解できたような気がします。10年という時間がよかったのでしょう。
10年という時間がわたしに「錦繍」のからくりを教えてくれました。
奇しくも「錦繍」に登場する勝沼亜紀と有馬靖明が再会したのは10年ぶりでした。

「私は何も悪いことをしていない。
なのに、どうしてこんなめにあうのだろう」(P126)


「錦繍」の勝沼亜紀は当時のわたしとまったくおなじ疑問にとらわれていました。
再婚して産まれた子が脳性マヒの障害を持っていたからです。
亜紀は最初の夫である有馬靖明への手紙にこう書きます。

「そして、この障害を持つ子を私にもたらしたのは、
ほかならぬあなたのだとさえ思ったのでございます。
あなたさえ、あのような事件を起こさなければ、
離婚などということはなかった筈だ。
そうすれば、私はあなたの子供を産んで平穏にしあわせに生きていた筈ではないか。
すべてあなたが悪いのだ。(中略)
私はあなたを憎んだのでございます。
とんでもない八つ当たりだとだとあなたは仰言るに違いありません。
ですが、当時私は本気で、清高という子の母になった原因を、あなたの不貞と、
それに関連する血なまぐさい事件に結びつけて考えたのでございました」(P34)


血なまぐさい事件は前夫、有馬靖明の浮気に端を発します。
中学時代の同級生だった瀬尾由加子と再会して愛人関係になってしまった。
あげく由加子の無理心中の巻き添えに遭い警察沙汰になります。
女は死んだが、有馬は九死に一生を得る。
この事件が原因となり亜紀と有馬は離婚するにいたります。
この後に亜紀が再婚した相手との間に産まれた子が障害児だったのであります。
勝沼亜紀が有馬靖明を憎む理由もわからなくはないのではないでしょうか。
少なくともわたしは十分に理解しました。

「私は何も悪いことをしていない。
なのに、どうしてこんなめにあうのだろう」(P126)


こういうとき人間は原因を他に求め阿修羅のように相手を憎みます。
母に目の前で飛び降りられたわたしもいろいろな人を憎んだものです。
憎しみは燃え上がり、出どころから周囲まで焼き尽くす。

「あなたのせいだ、有馬靖明という男のせいだ。
彼が、私にこの清高という可哀そうな子供を産ませたのだ。
私はそのとききっと、豆電球の仄(ほの)かな明かりの下で、
鬼のような形相をしていたと思います。
許さない、私は生涯、有馬靖明という人間を許しはしない。
あなたのせいだ、あなたのせいだ、と私は心の中で叫びました。
清高は成長とともに、
はっきりとその持って生まれた疾患を私たちの前に表わし始めました。
そして、それとともに、私のあなたに対する憎しみは、
いっそう強固な巨大なものになっていったのでございます」(P127)


この憎しみを消すのは10年という時間でした。
いや、わたしの場合は時間でしたが、「錦繍」ではそうではありません。
「宇宙のからくり」「生命のからくり」が提示されます。
勝沼亜紀、有馬靖明、ふたりのまえに「からくり」を教えるものが現れるのです。
亜紀は「モーツァルト気違い」の喫茶店オーナーとの交流で次のような箴言を得ます。

「生きていることと、死んでいることとは、
もしかしたら同じことかもしれへん」(P68)


これはいったいどういう意味なのでしょうか。
有馬は有馬でふしぎな話を同棲相手の女性から聞きます。
女の祖母は生まれつき左手が4本しかなかったという。
4人の息子がいたけれども全員戦争にとられ戦地で死んでしまいました。
しかし、みな戦死したのではありません。
ひとり賢介という息子だけは戦地で首を吊って自殺したのでした。
4本指の祖母はかたくなにあることを信じていたと女は言います。
いつかかならずこの世で死んだ3人の息子たちに再び逢うことができる。
4人ではなく3人なのです。
いったいどうして3人なのか祖母の考えがわかったと女は語ります。

「祖母は、自殺した賢介という息子とだけは、決して逢えないと思っていたのだ。
なぜなら祖母は、賢介は自分で自分の命を絶ったのだから、
二度と人間に生まれて来ることはないと信じていたからだ」(P139)


「宇宙のからくり」「生命のからくり」――。
生きていることと、死んでいることがおなじとは、どういうことか。
死んでもまた生まれてくるということなのでしょう。
かならずしも人間に生まれてくるとはかぎらないが、人は死しても残るものがある。
ならば、いったいそれはなんでありましょうか。
そこに行き着くまえに、この生命哲学を勝沼亜紀はどう思ったかを見てみましょう。
かつての夫、有馬靖明の現在の同棲相手は令子といいます。

「私は、令子さんのお婆さまの言うように、
他人の、あるいは自分の生命を奪った者は
二度と人間として生を受けることはないという話が、
あるひとつの恐ろしい真実であるかのような気がいたしました」(P151)


どうして勝沼亜紀は荒唐無稽とも言いうる輪廻転生物語を真実だと思ったのでしょう。
亜紀自身もなぜなのかと毎日考え、ふと気がついたのでした。

「私が、清高という子の母だったからでございました。
清高も、形は違っていても、あのお婆さまと同じ、
生まれついての奇形と言っていいでしょう。軽度ではあっても、
間違いなく清高はそういう不幸を背負って生を受けました。
なぜそんな不幸を背負って、私の子供は生まれなくてはならなかったのか、
なぜあのお婆さまには指が四本しかなかったのか、
なぜあの人は黒人に生まれたのか、なぜあの人は日本人に生まれたのか、
なぜ蛇には手足がないのか、なぜカラスが黒く、白鳥は白いのか、
なぜある人は健康に恵まれ、ある人は病弱に悩まされるのか、
なぜある人は美人に生まれ、ある人は醜く生まれるのか……。
清高という人間を生んだ母として、
私は、この世界に厳として存在している理不尽な不公平や差別の、
本当の原因を知りたいと思いました」(P151)


「本当の原因」「生命のからくり」「宇宙のからくり」とはなんでしょう。
そもそも有馬靖明が、瀬尾由加子という美しい女性と再会しなかったら
あの流血沙汰は起こっていなかったのです。
いや、両親と死に別れた中学生の有馬が東舞鶴に行かなければ、
美少女の瀬尾由加子と逢うこともありませんでした。
しかし、瀬尾由加子という少女のなんと妖艶に描かれていることでしょう。
中学生の有馬は、由加子から頬に接吻されます。
そのときのことを有馬はこう思い返しています。

「いまにして思えば、十四歳にして何のためらいもなく
男にそのようにふるまえるということが、
瀬尾由加子という人間の持っていたひとつの業であったと言えるでしょう」(P46)


この述懐は有馬靖明の最初の手紙に出てきます。
そう、有馬靖明は初めから知っていたのです。「本当の原因」を――。
それは人間の業であります。持って生まれた業です。
勝沼亜紀もおのれの業に気づきます。
なぜなら亜紀は再婚相手にもまた愛人を作られてしまったからです。
どうしてこういう偶然が続くのでしょう。
「本当の原因」はどこにあるのでしょうか。

「業という言葉が、私にはわかるような気がします。
それもなまやさしいただの言葉としてではなく、ある峻厳な法則として、
私には理解できるような気がするのです。
私はきっと、誰と結婚していても、
よその女に夫を奪われるという業を持っているのでございましょう。
勝沼と別れて、また別の人と結婚しても、
きっと同じことが起こるであろうと私には思えてなりません。
あなたが業という言葉を使って、
それが自分の命そのものにまといついていた悪と善の結晶と、
どこかでつながって行く気がしたというくだりを読んだとき、
私は、あなたを失ったことも、勝沼が他の女に心を移したことも、
みんな私の業というものかもしれないと考えたのでございました」(P156)


業とは宿命のことであります。人間がそれぞれ持って生まれた宿命を業という。
宮本輝は宿命転換を描く小説家です。
宿命転換とは、題目を唱えることでも、折伏することでもない。
どこかの宗教団体の人脈を借りて出世することでもない。
宿命転換とは、おのれの宿命を深々と認めることであります。
南無妙法蓮華経を唱えることで富や友に恵まれ幸福になることが宿命転換ではない。
宿命転換とは、自己の宿命を引き受けること。いったん深くあきらめること。
なぜ不幸なのか? それは宿命だ。業だと思え。業を知れ。

「私は、不幸を背負ってこの世に生を受けたのは清高自身の問題であり、
それもまた清高の業と言うものなのであろうと考えておりました。
確かにそれもあるでしょう。でもそれだけではない。
誰のせいでもなく、そんな子供の母とならなければならなかった
私という人間の業でもあったのだと、
ある日突然天啓に見舞われたように私は思いました。
私は勘違いをしていたのです。かつては、憎しみにまかせて、
それをあなたのせいだと思い込んでいた時代がありました。
本当になんという八つ当たりだったことでしょう。
でも誰のせいでもない、清高の生まれついての疾患は、
私という人間の業なのです。
さらには、そんな子の父とならねばならなかった
勝沼壮一郎という人の業でもあったと言えはしないか。
そう思いついた私は、しかしその自分の業をどう乗り越えたらいいのでしょう。
私は成すがままに、未来に向かってただ歩いて行くしかないのでしょうか。
いいえ、私は清高を不具なら不具のままに、
出来うる限り正常な人に近づけるよう、
何が何でも「今」を懸命に真摯に生きしかないではありませんか」(P195)


「正常な人」がなにかは知りませんが、不具の子を持った母親の決意は美しい。
ようやく「錦繍」のからくりがわかりました。
10年前どうしてわたしは「錦繍」を読んで自殺を思いとどまったか。
宿命転換を知ったからでしょう。
母は息子の目の前で飛び降り自殺をするという悲しい業を持っていたのでしょう。
しかし、それは母だけの業ではない。
そういう母を持たねばならぬわたし自身の業でもあったのでしょう。
かつてあのような母を愛した父もまたどうしようもない業を生まれ持っていた。
母があのようなかたちで絶命したのはだれのせいでもない。
あの悲劇のただなかにわたしという人間の業があらわれていたのです。
女性的なもの、母性的なものとの縁の薄さはわたしの業なのでしょう。
これからどんなことが起こるかでさらに深くおのれの業を知ることでしょう。

「生きていることと、死んでいることとは、
もしかしたら同じことかもしれへん」(P68)


しかし、わたしは母親が死後に蛇や蛙になったとは思いません。
もし大好きだった母がカラスやネズミになっているのというなら、
そんな教えは「宇宙のからくり」でも「生命のからくり」でもない。断じてない。
インチキ宗教の世迷い言に過ぎぬ。
自殺するほど苦しんだものは死後にかならず極楽に行けます。
みずから命を絶つほど苦しんだものが、
どうして畜生に生まれ変わらねばならないのでしょうか。
どこのどいつがそんな教えを広めているのか知りたいものです。
いま年間の自殺者は3万人以上います。自死遺族は毎年増えるばかりです。
自死遺族の代表として申し上げたいのです。
自殺者を冒涜するような思想が、
「宇宙のからくり」や「生命のからくり」でありえましょうか。
自死遺族をさらに苦しめるような教えが仏法であるわけがありません。

「錦繍」を読むのに2日。この手紙を書くのに3日かかりました。
いま最初から読み返してみて思うのは、
「錦繍」はなんとすばらしい小説であったかということです。
これほどまで人間の喜びと悲しみを美しく謳い上げた小説をわたしは知りません。
勝沼亜紀も有馬靖明もつゆ幸福になっていないのがとてもいい。
現実はそういうものです。
宿命転換したくらいでぽんぽん幸運が舞い込むほど人生は甘くありません。
それでも生きようと思う。不幸でも生きようと思う。
いつか死ぬ日まで生きよう。
自分がどういうかたちで死ぬのかだれにもわかりません。
もしかしたらわたしも自殺で今生を終える業を持っているのかもしれません。
それでもいいではないか。
ならば、自殺するその日まで懸命に真摯に生きよう。
生きてやる。生き抜いてやる。生きて生きて生きてやるぞ。

ここまで書いてこの手紙は出さなくてもいいと気がつきました。
こんな手紙をもらっても宮本輝先生はお困りになるだけでしょうから。
いまから初詣に行きます。
今年こそいいことがないかと賽銭を支払い神頼みしてきます。
自力で出世することをなかばあきらめていることを伝えたら、
きっと宮本輝先生に厳しいお叱りを受けることでしょう。
先生がわたしとおなじ年齢のときなにをしていたのか調べて驚きました。
宮本輝はわたしと同年齢でこの「錦繍」を書いている。

先生がモーツァルトを評したように、わたしも宮本輝をこう書きたい。
「錦繍」――。
どうしてこんなにも美しい小説を、30年も昔に、
35歳そこそこの青年が創りあげることが出来たのであろう。
しかもこんなにも烈しく、悲しみと喜びの二つの共存を
音楽を使わずに言葉だけで人間に教えることが出来たのであろう。

草々 1月8日 土屋顕史(Yonda?)

COMMENT

- URL @
01/08 15:53
. ごめん、自分あての手紙じゃないけど、
自分は名もないただの中年だけど、
ちょっと涙しました。

錦繍は、すごく好きな小説です。
Yondaさんありがとう。
イナ URL @
01/08 16:22
そういうお名前なんですね!. にわかには信じられないことですが、お母様のことを知ると   ?さんがどうして読書家なのか、わかったような気がしました。
Yonda? URL @
01/16 20:06
名無しさんへ. 

「錦繍」はほんとうにいい小説ですよね。
これほど長い私信を最後までお読みくださり、
そのうえコメントまでいただき、とても感謝しております。
ありがとうございます。
Yonda? URL @
01/16 20:07
イナさんへ. 

そうですか……。
めめ URL @
04/24 00:36
. どうもはじめまして
「自殺するほど苦しんだものは死後にかならず極楽に行けます。」
って誰が決めたんでしょうか?だったら世の中の大半が自殺すると思いますよ。自分を殺した罪を許されて極楽へいけるなんてこんなありがたい話はありませんからね。
遺族の気持ちとしては地獄へ行っても苦しむというのは耐えられないんでしょうけどでしたらせめて生き残ってる人が回向してあげるべきじゃないんでしょうか?宮本輝氏にかこつけて 宗教批判と宮本氏個人の批判をしてるようにしか見えません。私も 身近な人が自殺した経験を持ちますが その時どうして自分は気づいてやれなかったんだろうと後悔したことはあっても宗義云々を批判しようとかそんなことは考えたことがありません。
宮本氏を説教マシーンのように思われるのも発言するのも自由ですが 己の感情のままに発言するその結果も見たほうが良いかと思います。
Yonda? URL @
04/24 01:23
めめさんへ. 

貴重なご意見、ありがとうございます。
とても勉強になりました。
URL @
12/11 01:32
. めめさんとYonda?さんのやりとりもお勉強になります。
錦繍はそのタイトルからして印象的で、心に残る作品です。
ですが、以外と好みが別れる作品のようですね。
Yonda?さんの解釈になるほどと思いました。
自分の中でうまく感想を言葉でまとめられない者にとって、Yonda?さんのような形で感想を語ってくださるのはとてもありがたいです。
Yonda? URL @
12/13 11:39
紫さんへ. 

それはどれはどうも。
この記事を書くまえは匿名ブログだったんですね。
さすがに手紙には名前を書かなければ、と以降実名ブログになりました。
宮本輝さんはわたしにとっても特別な作家です。
この手紙を実際に出していたらどうなっていたのでしょう。
きっとお返事はいただけなかったと思います。








 

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「錦繍」宮本輝  りゅうちゃん別館  2013/08/08 08:51
「螢川/泥の河」、「幻の光」ときたので、「錦繍」も久しぶりに再読。 この作品、いつ読んでも素晴らしい。    【送料無料】錦繍改版 [ 宮本輝 ]価格:515円(税込、送料込) 蔵王