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「お父さんの地下鉄」

「お父さんの地下鉄」(山田太一/「ドラマ」1981年8月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。昭和56年放送作品。東芝日曜劇場。
福岡市の交通局で心ならずも一般事務職員をしているお父さん(38)の話である。
かつては路面電車の運転士をしていたが、地下鉄に代わってしまうことになった。
事務職など大嫌い、電車の運転が好きだったお父さんは、
なんとしても新しくできる地下鉄の運転士に選ばれたいと思っている。
そのための職場での苦労、妻と娘がいる家庭内でのいざこざがドラマの主な内容である。

貧乏も人の死も壮大な夢もないのに、実に味わいのあるドラマになっている。
地下鉄の運転士になりたいとは、言い換えれば、ちょっと出世をしたい程度の望み。
ほかの人から見たら、まあ、どうでもいい話なのだが、
実のところ我われはそういうところで生きている。小さなエゴで生きている。
このお父さんにはもうひとつの小さな悩みがある。
これはもう悩みなのか自慢なのかわからない。
奥さんが加賀まりこ(32)なのである。きれいだし、そのうえあたまがいい。
教えるのもうまく、近所の子どもを集めて私塾のようなものまでしている。
いいこと尽くめではないか、と思うのは実生活を知らないインテリの考え。
お父さんの男としての顔が立たないのである。
仕事先では慣れない事務職のため計算や書き仕事でミスを連発。
そのお父さんが家に帰ってきたら、加賀まりこが算数を教えているのだから。
これではまるでダメな亭主と賢妻で、やる瀬がないではないか。
小市民は世間体を気にする。よそからどのような目で見られることか。
脚本家はプラスのなかにひそむマイナスに敏感である。

お父さんの努力は実り、みごと地下鉄の運転士に選ばれた。
東京まで研修に行くお父さんは鼻高々である。
プラスのなかにもかならずマイナスはある。
福岡に戻ってきて、開業前の地下鉄運転準備におお張り切りのお父さん。
しかし、実際は技術が進歩したため、電車を運転する必要がなくなっていた。
運転士の役目はただボタンを押すという、まことやりがいのないものになっていた。
夫の上司からそのことをこっそり教わった加賀まりこは一計を案じる。
もしこのことをお父さんが知ったら、どんなにがっかりすることか。
またお父さんの男としてのプライドが傷ついてしまう。
加賀まりこは「負けた」とウソをつくのである。
自分のためではなく、他人のためにつくウソは優しい。
加賀まりこは夫の顔を立ててやる。
宿直明けでまだ寝床の夫に妻は私塾をやめるという。

朋子「負けたんよ」
勝利「負けた? 誰に?」
朋子「うち、お父さんが、事務とってた頃、なんか頼りのうして。
 仕事でも持たんと、どうなるかっちゅう気のして、はじめたばって」
勝利「どうせ、頼りなかよ、俺は(寝る)」
朋子「そうじゃなか。いまのお父さんには、うちは、とっても対抗出来ん」
勝利「なんも(と照れくさくフンという顔)」
朋子「仕事に打ち込んで打ち込んで、魅力たっぷりや」
勝利「よういうばい(とごろごろする)」
朋子「ほんなことよ。いまのお父さんなら、うち意地はらん。
 頼りきって、可愛か奥さんでいたか」
勝利「おうおう、よか年してェ」
朋子「頼りたかよ。男らしかお父さんに、ズドーンと頼りきって、
 よかお父さんばい、よかお父さんばいって、ただ思うていたかよ」
勝利「なんの事や? 一体?(と起きる)」
朋子「なんのて、ただ、それだけの事ばい(と目を合わせられない)」
勝利「それだけて(どうも割り切れない)」
朋子「うちは、いまのお父さん、ほんな事立派だと思うとる。
 たとえ、その、やったことが無駄になったって、ようやったと思うとる」
勝利「無駄? 無駄ってなんのことや?」
朋子「よう立派に研修受けて、素晴らしかったて、思うとる(ととびついて行く)」
勝利「(ひっくりかえり)なんや、朝から」
朋子「(やたらのしかかって抱きついて)好きや。好きや、好きや」(P34)


数日後、お父さんは妻の言葉のほんとうの意味を知って帰ってくる。
張り切って運転するつもりでいたら、仕事はボタンを押すだけだったのである。
お父さんは一号車の運転士に選ばれ、多くの人に見守られるなか花束をもらう。
一見すると、スポットライトを浴びる華やかな場である。
しかし、栄えある一号車を始動させる際、
ボタンを押すお父さんの胸に去来していたのは喜びよりもむしろ苦渋だったはずである。
山田太一は「お父さんの地下鉄」のなかでプラスにひそむマイナスをうまく描いた。
時代はどんどん進歩して便利になっていく。
しかし、それはプラスばかりではなく、かならずマイナスもあわせもっている。
同様にマイナスのなかにも思いがけないプラスが目をこらせば見えるのではないか。
脚本家・山田太一の社会および人間を見通す眼力である。

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