FC2ブログ

「悩むなら美しく悩みなさい」

「悩むなら美しく悩みなさい」(ひろさちや/sasaeru文庫)

→ひろさちや先生のこんなタイトルの本を読むなんて、
ある種の人にとっては真っ裸で町を歩くより恥ずかしいのではないか。
しかし、人生は多様で人それぞれ。
ほら、ああいう手合いがいるじゃないですか。あれですよあれ。露出狂。
みずからの恥ずかしいところを出して嬉々とする犯罪者まがいの奇人。
おそらく、わたしは精神的露出狂なのかもしれない。
こんな本を読んだことを人にばらすなんてさ。
自己啓発書を誇らしげに読むようなものである。
とはいえ、ひろさちや氏の説くのは成功本の正反対。
成功本というのは因果論なのである。
果(成功)はなんらかの因(努力や工夫)のおかげと考え、この因をノウハウとして説く。
比して、ひろ先生の訴えるのは仏教的な因縁論。
果(禍福)の因(原因)なんて、かりにあったとしても人間には知りようがない。
なら、なにが果(成功・失敗)を決めるかといったら縁(たまたま)。
果が因のせいではなく縁によるのなら、因に苦悩したり反省するのは意味がない。
高額セミナーに参加して因(ノウハウ)を学んでも、
結局は縁(偶然)なのだから、それは愚かにも金をどぶに捨てるようなもの。

「プロ野球選手でもサッカーでも、ある監督のもとで結果を出せなかった選手が、
別の監督に替わった途端見違えるような活躍をする、ということはよくあります。
私たちは「果」から「因」を推測して、あの人はできるだとか、
別の人はできないだとか判断しがちですが、往々にして、それは間違っているのです。
バブル崩壊後、年功序列、職種別横並び賃金をやめて、
成果主義の人事・給与制度を導入する会社が増えました。
「自己責任」という言葉もはやっています。
結果がすべてで、結果を出せない人間は生きる価値がないような風潮です。
しかし、結果のみで人を評価する態度は、短絡的に過ぎます。
わかりやすいですが、間違っています。
「縁」のない「果」はないのです。
むしろ、「縁」がすべてを決定していると言ってもいいくらいです。
だから、すでに起きてしまったこと、過ぎてしまったことについて、
クヨクヨ思い悩んだり、グチグチ原因を追究してみても、仕方ありません。
私が「反省はするな」というのは、そういう意味なんです」(P41)


原因を考えない!

これを習慣づけるだけでだいぶ人間は苦悩から解放されるのだろう。
原因を考えてくよくすることが悩みの実相なのだ。
原因を考えないとは、「どうして?」を葬り去ること!
「どうして失敗したのか?」「どうして不幸なのか?」などとうじうじ反省しても意味がない。
なぜなら、すべての結果が縁(たまたま・偶然・運)によるのだから。
こう考えたら楽になれるという教えだ。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/2856-04b98fdd