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「子どもと悪」

「子どもと悪」(河合隼雄/岩波書店)

→柳田国男の言を引いてのウソの考察が興味深かった。
もともとウソには虚偽というよりも、面白いお話という意味が強かったという。
で、村々には評判のウソツキ老人がいた。
なぜかというと、ここから先は孫引きだが――。

「とにかくこの人生を明るく面白くするためには、
ウソを欠くべからざるものとさえ考えている者が、昔は多かった」(P125)


しかし近代にはいって虚偽とウソが一緒くたになり、ひとつのウソになってしまった。
あげく、あらゆるウソを悪事と認定するような風潮が強まる。
したがって、人生の面白みを味わう機会が減った、と河合隼雄も柳田国男に同調する。
河合隼雄の言説は虚偽というより、面白いお話という意味でのウソだから、
なるほどまったくそうだとわたしも同感した。
河合隼雄のウソをあたまのどこかに置いて生活していると、
味気ない人生がわずかながらいきいきとしてくるのだ。
たとえば、家族にまつわるこんなウソも面白い。

「きょうだいのなかの誰かが「反抗」の役をしっかり担うと、
他の子どもたちはそんなことをあまりする必要がなくなることがある。
家族はしばしば全体としての運命を背負っているようなところがある」(P20)


家族メンバーそれぞれの幸運や不運はまちまちだけれども、
全体として考えてみるとあちらがプラスのぶんこちらがマイナスというように、
それなりにバランスよくアレンジされていることに気づく。
逆に言うと、家族全員がうまくいくことはめったにないのだろう。
あちらが立ったら、こちらは引っ込むというようなことが家族全体を考えるとある。
というウソ(=面白いお話)を念頭に置くと、いまが不遇でも我慢して待つことができる。
それほど自責の念や罪悪感を感じずに、他の家族の厄介になることができるだろう。
これは他の家族が幸せなら自分はいいという滅私のお話にもつながると思う。

ウソ(=面白いお話)でお金を稼ぐのが作家である。
いったいウソは人間のどこから出てくるのだろう。
たとえば、人間がいちばん最初、
つまり子ども時代にウソを意識するのはどのようなケースが多いか。
河合隼雄は「子どもと性」に着目する。

「性そのものは悪ではない。性ということがなかったら人類は滅亡する。
にもかかわらず、性は常に悪の連想を引き起こす。
これまで話題にしてきた、うそや秘密ということは、
性との関連で生じてくることが多い。
子どもが大人に対して、また、大人が子どもに対して、
うそをついたり、秘密にしたり、ということが性に関してよく生じる」(P155)


そう考えるとすべての作家の創作の源泉はリビドー(性欲)なのか。
これは飛躍しすぎでウソ(=虚偽)になると思う。
とはいえ、性は人間のもっとも隠すべき秘密であることを考えると、
墓場まで持っていく秘密が作家のウソ(=面白いお話)と無関係ではない、
という説はそれほどウソ(=虚偽)ではないような気がする。
河合隼雄はクライアントから聴いたいろいろな秘密を漏らすことなく永眠した。
しかし、その代わりに、こうしてたくさんのウソを我われに遺してくれている。

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