FC2ブログ

「本当と嘘とテキーラ」

「本当と嘘とテキーラ」(山田太一/小学館)

→テレビドラマシナリオ。
3年前の放送を視聴したとき、これは本当らしくないと批判したものである。
娘に自殺された母親の立ち直るのが早すぎる。
その娘に「死ねば」と言った同級生の少女が、なにも心的障害を患わないのがおかしい。
これはわたし自身が自死遺族であることからの批判である。
つまり、体験(=実感)からフィクションであるドラマを裁いた。
さて3年経ってからシナリオで読むといささか考えが変わっている。
まあ、こういうのも本当らしく思えるのかなという感じがした。
さらに進んで、こういうことも現実にあるのかもしれないとまで思いを改めた。

いったい本当のこととはなんだろうか?
たとえば、そう、ありそうもない話をひとつ作り出してみよう。
無職で人生に絶望している32歳の男のまえに、
いきなり綺麗な女性が現われ「あなたが好き」と言ってくれる。
もしこんなストーリーのドラマを書いたら、そんなことあるわけないと批判されるだろう。
それはまったくそうで、わたしもこの話は都合よすぎると思う。
でもさ、現実にはこういうことがあるかもしれないじゃない。
いろんな人生があるんだから、こういう話が実際にあるかもしれないわけでしょう?
しかし、本当にありうることでも、
ニートがいきなり女性から告白される話は嘘くさいとほとんどの人に支持されない。
人生は不可解のひと言に尽きるから、本当ならなにが起こってもおかしくはないのだが。
だって、現実に3億円宝くじに当たっている人がいるんだから。
それに比べたら、キモオタが美女に告白されるほうが確率的には高いんじゃないかな。
いろんな嗜好の女性がいるわけだからさ。

こう考えていくと、現実ってなんだろう? 本当ってなんだろう?
本当は嘘くさいことがばんばん起こるのだが、
それをフィクションで書かれると我われはこんなこと現実にはないと批判する。
さも訳知り顔で、現実を隅々まで調査したようなことを言う。
しかし、我われが現実や本当と思っていることは、その人の経験した実感でしかない。
「こんなことは現実にはない」というのは実のところ誤りで、
正しくは「こんなことは自分の現実にはなかった」という感想の表明に過ぎない。
若者にとっては「こんなことは自分の現実にはありそうもない」かもしれない。
どういうことかと言うと、人間は他人の現実がわからないのである。
どうしようもなく自分の現実に縛られてしまう。
もっと言うなら、自分の現実以上に、通念によって捕われているのかもしれない。
ドラマ「本当と嘘とテキーラ」で言うなら、
自殺した娘を生前に母親が嫌っていたという話を通念から拒絶してしまう。
「母親は娘を愛しているのが本当だ」という通念でドラマを裁いていい気になっている。

本当のところは、他人の現実なんて知りようがないのだろう。
他人が本当になにを考えているのかは、なかなかわからない。
たとえば、奥さんを亡くした中年男がいるとする。
周囲の人々は中年男の気持を想像して、かわいそうだと同情するだろう。
年少者は年少者で、通念からこの中年男のことを気遣う。
だけどさ、本当はこのオッサンがなにを考えているか知れたもんではないじゃん。
若いときはもてなかったけれど、年輪を増して渋みが出てきたころかもしれない。
妻が死んで本心では「若い子となんかないかな」と期待していることだってありうる。
色目を使ってくる部下の女性との情事をさっそく妄想しているのかもしれない。
まさかラッキーとは考えていないだろうけど、悲しみ一色ではない可能性は否定できない。
いや、あんがいラッキーと思うことだって人間ないとは限らない。
リアルっていうのは、そういうことだと思う。
そして人一倍、ドラマのリアルにこだわったのが脚本家・山田太一である。
余談だが、いま放送している「家政婦のミタ」とかになると、
はじめから嘘っぽいから、だれも「こんなこと現実には」とか言わないわけね。
あれも自死遺族を扱っているけれど、
明らかな嘘という設定だからわたしも傷ついたりはしない。

こんなことを考えたのは、
今年新宿で行われた山田太一さんのトークセッションで聞いた話がきっかけ。
脚本家がふっともらしたのね。
「ドラマなんて、そばにガンの家族がいるだけで、
たいしたことのない闘病ものにわんわん泣いちゃうもんですから」
ぜんぜん正確ではないけれど、こんなようなことをポロっと仰せになったのを記憶している。
このとき、まったくそんなことはないのだろうけれど、
えらく自分を批判されたような気がした。
体験(実感)や通念に縛られて、ものを浅くしか見ていなかったのではないかと反省した。
反省とまでいったら大げさで、いい子ぶりが過ぎるような気もするけれど。
いや、実際3年まえに比べたら少し丸くなっているかもしれない。
(丸くなっちゃいけないのかもしれないけれど)
さらに付け加えるなら、
この3年間で本当なら起こらないはずの嘘くさいことをいくつか経験したこともあって、
「本当と嘘とテキーラ」の感想が変化したのだと思う。

「大人は、ゆっくり、変るんです」(P220)

(参考)過去の感想↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1665.html

COMMENT

ダダ URL @
12/04 20:10
名文です. 今回の内容にひかれて、過去の感想も読みました。名文だと思います。ひきこまれて最後まで読まされ、ふうむ、と思わずため息を洩らします。あなたがどうしてエッセイストとして世に出てこないのか、心底不思議に感じます。すべてこの世は運なのだとわかってはいても、あえてそう思わざるを得ません。そう思わせるだけの文章の力を、ひしひしと感じて仕方がありません。
Yonda? URL @
12/06 06:05
ダダさんへ. 

めったにないお褒めの言葉、ありがとうございます。もし権力者がダダさんとおなじ感想を持っていたら、わたしはエッセイストになっていたのでしょう。現実は違いますが……。今後いっそう精進していきます。結局、考えることが、つまり書くことが好きなんですね。書くことが楽しい。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/2850-ac510851