FC2ブログ

「ヘンリイ四世」

「ヘンリイ四世」(ピランデルロ/内村直也訳/「名作集」白水社)絶版

→イタリア産戯曲。
おととし日本で上演されたときは事前に史実説明のためのチラシが配られたらしい。
正直、読み始めてから最後までよく意味がわからなかった。
解説を読んで、ああ、そういうことなのかと気づく。
20年まえの仮装パーティーでヘンリイ四世になった男が落馬したとさ。
落馬のショックで男は気が狂い、自分をヘンリイ四世だと思うようになる。
この男の姉が資産家だったから、本当のヘンリイ四世のような生活を以後送る。
つまり、お城で古い衣服を着て、バイトで雇われた家臣にかしずかれながら。
だれかが来ないとドラマは始まらない。
男を治すために20年ぶりに逢いに来たものがいる。
かつての恋人とその娘である。それからむかしの恋敵、精神科医。
ドラマの過程で男が8年まえには正気に戻っていたことが露見する。
閉幕直前、男は自分がきちがいであることを証明するために恋敵を剣で刺す。
要するに、現実ではなく「ヘンリイ四世」という虚構を生きることを選択したのである。

俳優が舞台やテレビドラマで織田信長を演じるのは精神医学的にセーフ。
ところが、俳優ではない一般人が自分は織田信長だと言ってしまうとアウト。
いつ人を殺してしまうかわからないから精神病院へ措置入院かもしれない。
だけど、考えてみたらおかしいとも言えるわけである。
というのも、やっていることはおなじなのだから。
俳優は織田信長をやるなら、その役になりきらなければならない。
だとしたら、自身は織田信長だと語る狂人は最高の俳優ということにならないか?
だれか別の人になるというのはどういうことなのだろう。
おそらく「あるがまま」を拒否するということなのだと思う。
ならば、それは人間の根本的な生き方にも通じる。
「あるがまま」に満足できない人間がいっぱいいて成長を目指しているのだから。
しかし、とも思う。「あるがまま」の自分なんて本当にあるのだろうか?
我われはたえずなにかの役割を演じているだけではないだろうか?
もしそうだとしたら、自分の役を拒絶した狂人にはどういう意味があるのだろう。
このような筋道をたどってピランデルロは「ヘンリイ四世」を書いたのではないか。
芝居として成功したかはわからないが、
いかにもノーベル文学賞と縁がありそうな難しい劇作品になっていると思う。

「君がその役をうまく演じてくれればいいんだ」(P134)

「考えてみれば、一体われわれは誰なんだ?……これは仮りの名前にすぎない」(P134)


COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/2748-3bda3f92