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「無為を生きる」

「絵で読む老子 無為を生きる」(長尾みのる/小学館)

→イラストレーターの草分けの著者が77歳の喜寿にして手に取ったのが老子であった。
原文、書き下し文に墨絵のイラスト。
おまけについているのが、原文からイメージした著者のポエムである。
失礼ながらお歳のせいかポエムを読むと、少しだけもしかしたら著者にボケが……。
批判しているのではない。むしろそこが赤子のような純真を感じさせてよかった。

河合隼雄にも強い影響を与えた老子の教えは結局、このひと言に尽きるのだと思う。

「無為をなせば、すなわちおさまらざるはなし」(P15)

無為をなすという考え方がすばらしいのだろう。
なにか問題が起こったとする。我われは解決策をいろいろと考える。
それはたとえれば入試の三択や五択の問題のようになる。
どの選択肢が正しいのだろうと我われは頭を悩ます。
しかし、もうひとつの選択肢のあることを老子は諭しているのである。
選択肢すべてをやらない。どの選択肢も実行しない。
これが無為をなす、の意味である。自然にまかすという方法である。
ちっぽけな人間の考えた選択肢など信用しないという生き方だ。
とはいえ、白紙答案を出すのにどれだけの勇気がいることか。
無為とは自然にまかすことである。なぜなら――。

「希言は自然なり。ゆえに瓢風は朝を終えず、驟雨は日を終えず。
たれかこれをなす者ぞ、天地なり。
天地すらなお久しきあたわず、いわんや人においてをや」(P55)


自然にまかすとは天に従うということだ。地に立脚しているということだ。
結局のところ、世事人事みなみな決定するのは天地なのである。
やまない雨はない。台風はかならず去っていく。
人間が雨をやませるのではない。人間が台風を除去するわけではない。
さて、無為自然という。どうしたら無為にいたれるのか。

「学をなせば日に益し、道をなせば、これを損してまた損し、もって無為にいたる。
無為なればなさざるはなし。天下を取るは常に事なきをもってす。
その事あるに及びては、もって天下を取るに足らず」(P107)


あえて損をするようにしたら無為にいたると老子は言う。
重要なのは、たぶん得ることではなく失うこと。増やすことではなく減らすこと。
知識を増大するよりも、むしろ忘れること。人とは異なる逆転の発想だ。

「為無為、事無事、味無味」(P137)

ここだけ原文を引いた。なんだか座右の銘にしたいほどである。
書き下し文は、「無為をなし、無事をこととし、無味をあじわう」――。
最後の「無味をあじわう」は山頭火の「へうへうとして水を味わう」の境地だろう。
老子は自己啓発本と正反対である。

「なす者はこれを敗り、とる者はこれを失う。
ここをもって聖人は、なすことなし、ゆえに敗るることなし。
とることなし、ゆえに失うことなし」(P139)


やるから失敗するのである。財産を得るから、それを失う不幸があるのである。
ならば、幸福になろうとするから不幸になるのではあるまいか。
なにもしなくても冬が終われば春が来るが、
いまは自分の努力で春を人工的に作ろうとする愚か者がいかに多いか!
ただ夜が終わり朝が来ただけなのに、それを自分の手柄と誇るものがどれほどいるか!
やるから失敗する。得ようとするから失ってしまう。
なにもしなくても=無為をなしていても、自然に変化は我われにもたらされる。
これが老子の教えであろう。

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