「快楽は悪か」

「快楽は悪か」(植島啓司/朝日文庫)絶版

→95年に朝日新聞夕刊に連載されていたエッセイ。
たいへんな名著だと思いながら楽しく読了した次第である。
文庫版あとがきによると、連載中に著者を非難する読者からの投書が集中したという。
たしかにそう言われてみればよくもまあ、これだけ反道徳的、反社会的な内容のエッセイを
社会の木鐸たる夕刊紙に載せられたものだと感心する。
おそらく、新聞社内部に熱心な植島啓司氏のファンがいたのではないか。
当時、関西大学教授だった植島啓司はさらりと言ってのける!
(先生いまは無職じゃないかな、アハ)

「われわれは働くために生きるのではなく、快楽のために生きる」(P19)

「どうせ人間死ぬんだから遊んだほうが勝ち」(P157)


東大卒の学者先生なら「本当のこと」を言っても許されると思ったのか?
しかし、朝日新聞読者(なかでも主婦!)は植島を許さなかった。
遊ぶなんてとんでもない! 遊んでいる暇があったら勉強しなさい!
遊んでばかりいないで働きなさい!
どうして? 理由なんかないの! むかしから決まってるの!
遊んでばかりいちゃダメ!
大麻? とんでもない! でも合法な国もあるよ? ダメなものはダメ!
赤信号では止まれ! どうして、車来ないじゃん? 決まりは決まりだからダメ!

こうして考えると、もしかしたら社会というのは禁止で成り立っているのかもしれない。
お互いの欲望を監視して制御しあうことで社会という幻想が維持されている。
ぬけがけは許さない。あいつを遊ばせないためになら、おれも遊ばないでいい。
みんな一緒に苦しもう。他人に好きなことなんてさせてたまるか。
人生、甘かない。遊んでばっかいられると思うなよ。もっと苦しめ苦しめ苦しめ!
好きなことはやっちゃいけないの! 苦しみなさい! 人生は苦しむためにあるの!
ふむ、たしかにみながこの幻想を共有していることで、
社会ピラミッドの上層部にいる富裕層は安心していられる仕組みになっている。
ところが、日本の場合、支配者層も遊ばないのだから!
出世欲とそれに付随する仕事に追いまくられて、
私は有能だ、多くの人から必要とされている、
と多忙自慢をしているやからのなんと多いことか!

「もてない男」の小谷野敦氏は「退屈論」で「快楽は悪か」をこう批判している。

「植島は、快楽を追及するのが悪だと思われている、
と思っていて、その快楽というのは、
セックスとか競馬とか麻雀とかそういうものだと思っているらしいが、
実は、たいがいの男にとっては、出世が最大の楽しみなのである」


おそらく、小谷野氏は正しいのだろう。
正直、鳩山兄弟とかわけがわからない。
数世代働かなくてもいい金があるのに、どうして政治なんかやっているのか!
彼らにとっては出世のほうが快楽よりもよほど重要なのだろう。
そもそも東大卒の学者が「快楽は悪か(=快楽は悪ではない)」と言うと
もっともらしく聞こえるが、実は快楽肯定論など、
意味するところは「DQNのすすめ」に過ぎない、と言えなくもないのである。
頭の中にあるのはセックス、ギャンブル、酒!
いつも思っていることは、楽をしたい(怠けたい)、ケンカは楽しい。
ちなみに学者の言う強度、祝祭、ハレとは、DQNのケンカ程度で十分得られるものだ。
たまに「やれやれ、やっちまえ! 殺しちゃえ、ぶっ殺せ!」
というレベルのケンカがあると人生って刺激的で楽しくね?
学者先生の言う祝祭理論など、もしかしたらこの程度のことなのかもしれない。

植島啓司氏に惹かれる読者はわたしも含めてどうしようもなくインテリなのだろう。
植島はインテリにはなかなか理解できない「DQNの生態および人生方針」を、
名著「快楽は悪か」でうまく解き明かしたのではないだろうか。
インテリのなかにはDQNにあこがれるものが出てきてしまう。
いや、あんがいDQNのような生き方がいちばん幸福なのではないだろうか。
どうしたらDQNのように生きられるか東大卒の植島教授(当時)は解説する。
少し長い引用になるが、できましたらお読みください。
震災後という環境が似ているので、それなりに意味深いのではないかと思う。

「阪神大震災で再認識させられたのは、
家(マンション)を買えば一生安心だとか、
アパートを建てて家賃収入で暮らすとか、
銀行利子当てにするとかいう考え方が、いかにダメかということである。
人生では何が起こるかわからない。
そして、起こるかどうかわからないことに対しては、だれも備えることができない。
銀行の利率や株価の上下に一喜一憂したのは、
この世の中がそう大きくは変化しないだろうという信頼が根底にあったから。
明日から紙切れだと言われる紙幣を集めるバカはいない。
イソップに有名な「アリとキリギリス」の童話がある。
暑い夏にキリギリスが歌って踊ってうかれている時、
アリは一生懸命に冬に備えて働き続ける。
そうして冬になり、キリギリスが寒さに震えながらアリを訪ねると、
アリは暖かい家の中で食料に囲まれ幸せそうにしている、という話。
かつて、ビートたけしは最後をちょっと変えて
「キリギリスが冬にアリを訪ねると、アリは過労で死んでいた」とした。
キリギリスはそこにあった食料で寒い冬を凌ぐのである。
ぼくはこのたけしヴァージョンが大好き。
常々、何よりも「まず先に楽しむこと」の大切さを教訓としている。
そして、それは世の道徳家にはどうにも我慢できないことらしい。
なにしろ、彼らはいまのこの世の中が永遠に続くと
信じたがっている人間だからなのである」(P61)


まず先に楽しむこと!

うーん、実に香ばしい。まことDQNというほかない。
わたしは実のところDQNにあこがれていたのかもしれない。
そして、おそらく多数のインテリの本心がそうなのではないか。
まとまりがないが、再度これまたインテリの小谷野敦氏による「快楽は悪か」批判を引く。
当時「もてない男」は40歳である。

「私が言いたいのは、「遊びが大切だ」とか「快楽を肯定せよ」とか言われると、
もうごく単純な疑問が沸いてくる、ということなのである。
それは、つまり、
「飽きないか」
ということなのだ」(「退屈論」より)


文学者の「もてない男」はフィールドワークをする必要があるのではないか。
競馬狂いの目が血走ったオッサンに「飽きませんか」と聞いてみたらどうだろう(笑)。
たぶん本物のDQNは遊びに飽きたりはしないのだろう。
遊べば遊ぶほど遊びの奥深さがわかり、遊びの底に道のようなものさえ発見するのだ。
この一行はちょっぴり実感を込めたが、そこは深く追求しないでいただきたい。

COMMENT

クルックル URL @
08/10 17:37
. 私のメンターの発言

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今が楽しければそれでいーじゃん
余計なお世話 by:女子高生
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このメンターも30歳ぐらいになると保守的になり安定、金持ちイケメンおとごはいねーが?となるのかもしれないですけれどもね。
Yonda? URL @
08/10 22:26
クルックルさんへ. 

女子高生の太ももはむちむちですか?
ほお、なるほど、それはよろしいではあーりませんか!
決めているのは、生まれ変わったら女子高生(美少女限定)。








 

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