FC2ブログ

一遍上人がいた

藤沢駅前の交番で聞く。「ユギョウデラはどう行けばいいのですか?」
「ユギョウデラ?」「はい」「さてね……あ!」「はい?」
「もしかしてユギョウジ?」「恥ずかしい。名前、間違えていました」
23日、雨の中、時宗総本山の遊行寺に行く。
この日でなければならなかった。
駅から歩いて10分ほど。
橋を渡れば遊行寺なのだが、急に雨の勢いが強まる。集中豪雨のようだ。
偶然に過ぎないのだけれど、一遍への思い入れが強いから、おかしなことを考えてしまう。

400円を支払い宝物館へ入る。
まず目に入るのは、この寺で発見されたという空也上人立像である。
一遍のもっとも敬慕していたのが空也だからなのだろう。
京都の六波羅蜜寺にあるのよりもだいぶ小さい。
付属していた解説に、藤沢の空也上人立像の特徴が書かれている。
京都の空也上人が若々しいのに対して、こちらのはもっと老いてからのものらしい。
このため疲労しているが、そのぶん確固たる信仰が目にあらわれているということだ。

山田太一さんの最新小説「空也上人がいた」を読んで、
立像を見たくなったかたもいるのではありませんか?
わざわざ京都に行かなくても、神奈川県藤沢でお手軽に見ることができますよ。
(ただし開館日に要注意!)
で、どうだったのか?
上から見たり下から見たりいろいろしたのだが、感動にむせぶということはなかった。
「ふうん」としか思えなかった。
「それは人生経験が足らないからだ」「人間として出来ていないからだ」
こういうことを言わないのが、山田太一さんやそのファンのいいところである。

ほかの展示物も見てまわる。ここ数日、一遍のことばかり考えていたから感慨深い。
こんな贅沢な体験をしていいのだろうかと思う。
しかし、ふと迷う。
展示物は豪華なガラスケースの中に入っているからありがたいと思うのではないか。
上野の不忍池でやっている骨董市にたまに出くわすことがある。
もしこれらのお偉い展示品がガラクタといっしょに並べられていたらどうか?
たぶん見向きもしないだろう。
千円程度の値札が貼られていても、まず買わないだろう。
人間などこんなものなのである。
いまの新興宗教の教祖はバカにするくせに、鎌倉時代の開祖は偉いと思ってしまう。
つまり、自分の目で見るということがない。

3時から本堂で行なわれる法話に参加してみる。
お坊さんの法話を聞くのは、生まれて初めてである。
遊行寺ではなくほかのお寺のご住職による法話「仏に成る実践徳目~六波羅蜜」。
批判しているわけでも責めているわけでもなく、伝統仏教の限界を感じた。
わかりやすい六波羅蜜(成仏マニュアル)の解説だったと思います。
悪いのは先生ではなく、伝統仏教の仕組みなのでしょう。
寝言のようにしか思えなくて、あくびを隠すのに困った。
大昔に法蔵菩薩がウンタラと本で読んでも辛いのに、いざなまの声で聞くと……。
寝言ですか? としか思えませんでした。ごめんなさい。
六波羅蜜の教えだから、助け合おう、努力しよう、我慢しよう、と言われても。
いまの伝統(=二世三世四世五世……)仏教には苦しむ人を救うちからはない。
やはり新興宗教のある面、暴力的かつ狂騒的な熱情に苦悩者は惹かれるのだろう。
そして、かつての一遍上人はまさしくカルト的教祖であった。

法話で質問タイムがあったら聞きたかったこと。
「法然と空也、南無阿弥陀仏を始めたのはどっち?」
「もしかして一遍は法然を嫌っていたんじゃね?」
「一遍の、『信=人+言葉だから、まかすとよむ』ってどういう意味?」
「一遍は自殺OKと言っていませんか?」
まあ、よしんば質問タイムがあっても聞けなかったことだろう。
聴衆は(おそらく)近所の老人が数十人。
この平和でぬくぬくした空気を壊すことができる狼藉者はいないと思われる。

4時からは目当ての踊り念仏。
雨にもかかわらずわざわざ来たのは、春季開山忌だからである。
この日だけ本家本元の踊り念仏を実際に見ることができる。
踊り念仏は、そろいの着物を召された比較的高齢の女性が行なう。
中心に太鼓がある。ふたりの女性がその太鼓を叩く。
ほかのメンバーは独特のふしで歌いながら、太鼓のまわりを順繰りする。
まさしく盆踊りの起源である。
「ナームーアーミーダー」と始まったとき、涙が込み上げてきた。
古いのはよろしい。昔から続いているのはいい。

110423_1614~01

踊り念仏の奉納が終わると、御年92歳になるという遊行寺ご住職の短い説法。
踊り念仏に感動したあとだからそう感じたのかもしれないが、気合が違った。
92歳にもかかわらず意気がよかった。底抜けに明るいのがすばらしかった。
言っては悪いが、話すことはありきたりなのである。
「辛いという字に一本加えれば幸せになるが、この一本をどうするか?」
文字にしたらだれでもできる話だけれど、この老人の口から聞くとまるで違った。
あるいは一遍上人もそのような明るさがあったのかもしれない。
ボケているのかもしれない、とまで思える無鉄砲がよかった。
きっと当初の予定では3分程度の説法だったのだろう。
92歳は楽しくてしようがないというふうで、いつまでも話すのをやめようとしない。
弟子がとめようとするのに、振り払うように元気に話すのがよかった。
最後は無理やりやめさせられたのだが、聴衆のあいだから笑いのもれるのがよかった。
わたしも笑った。楽しいおじいさんだと思った。
クライマックスは御賦算(ごふさん=お札配り)である。
まさかこれを体験できるとは思っていなかった。
若い学僧たちが「ナムアミダ~」と称名する中、
大勢(ではないか……)のひとりとして92歳さまから小さなお札をいただく。
「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と書かれている。

110423_1651~01

一遍上人! お札、もらっちゃいましたよ♪
もしかしたら、これからわたしも時宗(じしゅう)を名乗ってもいいんですか?
本当に本当にいいんですか?
このたびの会に参加してわかったのは、時宗はいまや消えつつあること。
そのうち新たなメンバーを集めて時宗真会、時宗正会などを発足させて(笑)、
本家のほうをインチキだと攻撃するようになるかもしれませんぜ!
……すいません。悪い冗談でした。

110423_1649~01

表に出ると雨足は弱まっていた。
一遍上人がいてよかったと思った。踊りだしたくなった。踊ってもいいのだと思った。

110423_1654~01

門を出たところで、なぜか振り返り一礼してしまった。チョー楽しかったからだろう。
だが、おれは一遍の生まれ変わりだ、とまでは思わなかったからご安心くださいませ♪

南無阿弥陀仏♪

COMMENT

無限清風 URL @
05/18 19:40
. お札 貰った。それは【素晴らしい】極楽往生決定。当方も機会ありましたら 訪れたい。
一遍上人の南無阿弥陀佛はすごい…。
Yonda? URL @
05/19 08:03
無限清風さんへ. 

お札は財布に入れています。エブリデイ南無阿弥陀仏♪
当時の信者はおそらく教えではなく一遍上人の人格に救われていたのでしょう。
でも、教えがあっての人格ですから、教えもすばらしいのであります。

岩波文庫の「一遍上人語録」(品切れ)。
先日某古書店にて200円で売っていたので重ね買いしてしまいました。
これをだれかにプレゼントするようになったら布教ですね(苦笑)。
信仰は自分の内だけにとどめておこうと思います。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/2649-4c264646