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「イメージの心理学」

「イメージの心理学」(河合隼雄/青土社)*再読

→しかしまあ本当に河合隼雄先生は質のよいフィクションを提供してくれる。
先生は学者として見るよりも詐欺師のような怪しげな存在と思ったほうがいい。
江原啓之や細木数子ほどインチキ臭くはないけれども、
そうはいってもインチキであることには変わりがない。
河合隼雄の言説を丁寧に読めば、
氏の拠って立つところのユング心理学はインチキ(フィクション)であることがわかる。
インチキだからよくないというのではない。
反対で、インチキだから人をときに救ったりもするのである。
正しい学問が取り扱えるのは植物、動物まで(これさえも実のところわからないが)。
話が自殺までしてしまう摩訶不思議な人間に及ぶと、正しい学問では太刀打ちできない。
このためのインチキ心理学なのである。
そもそも心理学はフィクション性が強いが、ユング心理学はその最たるもの。
ふたたび、だからこそ役に立つのだろう。
というのも、本当のことをいったら人が生きる意味などないのではないか。
とうのむかしに色即是空と喝破されている。
生きているのは空しい。けれども、空即是色でもある。
空しい世界に色をつけていくのが河合隼雄の心理学なのだと思う。
どうせ生きるのならば白黒世界よりもカラーのほうがいいではないか?
とはいえ、河合隼雄は白黒の地味な味わいも否定してはいないのだが。

河合隼雄の世界彩色方法をひとつ紹介したい。コンステレーションと命名されている。

「ある人の内的状況と外的状況が著しい一致を示すことがある。
それをユングは布置(constellation)と呼んでいる。
コンステレーションは星座という意味もあるが、星座が「できている」ように、
いろいろな現象がひとつの布置をなしている」(P79)


わかりにくいですか? なら、こう説明したらどうでしょうか。

「まったく偶然に不幸に陥ってしまった、と嘆く人が多い。
しかし、それは因果的に見れば、まったくの偶然であろうが、
共時的に見れば、まさに必然的に生じているとも言えるのである」(P80)


我われは通常、外界と内界を分断したところで生きている。
なにか起こったときに、その外的状況=因果関係しか見ようとしない。
この外的事件を「私」のなかへ取り込んでしまうのがコンステレーションの作法だ。
客観的意味世界(因果性)と主観的意味世界(共時性)を交差させよという。
「私」のなかで偶然を必然にしようというのである。
身もふたもない言い方をすると、
偶然の不幸に意味を与えることで(必然化!)「私」の人生が豊かになるということだ。
言うまでもなく、宗教と紙一重の考え方である。
河合隼雄は以下のようなコンステレーションの具体例を紹介する。
嘘のような本当の話だが、嘘かもしれないし本当なのかもしれない。

「ある生真面目な中年の会社員が、取引先の人に競馬に行こうと誘われた。
賭事など無関心だったので断ったが、
見ているだけでもとまで言われてついて行った。
見ているだけのつもりだったが、
ふと気がつくとその日に貰った給料をそっくり盗まれていることに気づいた。
やけになって同行した人に金を借りて馬券を買うと、
何と大当たりして給料どころではなくなった。
これはサラ金で身を持ち崩した人に、話のはじまりとして聞いたことだが、
このようなトリックとしか思えないようなことが実際に生じるところに、
人生の面白味がある」(P80)


大半の人間にとって人生は「なんにもない」のである。
多少、悲劇的なこと、喜劇的なことがあったら、まだマシなのだろう。
はっきり言って、生きているのはつまらないのである。退屈ではないか?
このときコンステレーションを考えると、わずかだが人生に色をつけることができる。
とはいえ「なんにもない」と思っていたら「なにかある」人生を送るものもいる。
それは九割九分、突然の不幸というかたちで人生に襲いかかってくるだろう。
この場合も、コンステレーションを考えることで大きな慰めが得られる。
絶望の暗闇のなかにささやかな希望の光を見いだせるかもしれない。
コンステレーションは、サングラスの正反対のような道具と思えばよろしい。
このサングラスをかけると味気ない世界が多少なりとも色があるように見えるのである。

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