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「心理療法序説」

「心理療法序説」(河合隼雄/岩波書店)*再読

→心理療法は、ノウハウ(マニュアル)の鎖から人間を自由にするのだろう。
河合隼雄の思想はノウハウ(自己啓発書)の対極に位置する。
大勢の人間の歩く舗装道路から脱落してしまったものを救う(掬う)のが、
河合隼雄のいう心理療法だと思う。
かならずしも公道に戻るばかりをよしとはしない。
むしろ、あなただけの道を歩いてみてはどうだろうか、と思いきった提案する。
危険な道だが、その危うさが生きる醍醐味でもあると心理療法家は語る。
ここで断じて忘れてはならないのは、河合隼雄にまつわる危険性である。
氏の著作の影響で、取り返しのつかない痛手を人生で負うものもいるはずである。
やはり、ノウハウに従い、みなとおなじ道を歩くのが安全なのである。
そのことは河合隼雄自身もこれでもかといわんばかりに強調している。
うまく現実に適応できるなら、それに越したことはない。
運よく時流に乗ることができたのなら、それに満足するのも悪くない生き方だ。
不運にも適応障害を起こしてしまったときに、
そのマイナスからしか得られぬプラスを引き出そうというのが河合隼雄の生き方である。

生きる。生きるのは人間だけではない。動物も植物もまた――。

「教育というときに、動物を訓練し、しつけるというイメージと、
植物を育てるというイメージと両方がある。どちらも大切なのだが、
一般に植物イメージで考えることの方は忘れられ勝ちのように思われる。
土壌と太陽の光とがあれば、植物は自分の力で育ってくる。
このときに、人間は植物の芽をひっぱったり、
つぼみを無理に開いてみたりしてはならない。
ここで、土壌や太陽に相当するのが、教師あるいは親などの、
その周囲に存在する人々の暖かい、待つ心である。
これは迂路のように見えて、結局は一番の近道なのである。
熱心に教育しようとする人によって、芽をつみとられたり、
つぼみを台なしにされてしまったような子どもの例を、
われわれは数多く見てきたのである」(P87)


本当にまったく教育熱心な人というのは手に負えない。
教えるのが楽しいなどという手合いは最悪ではないか?
動物を鞭でひっぱたくのが楽しいと表明しているようなものなのだから。
人を支配するのが楽しいという本音を、
さも善人ぶって教育論にすりかえるやからが大勢いる。
たとえば芸術教育なんていう言葉は、字義として矛盾してはいないか?
芸術は本物ならば危険極まりないのである。

「あらゆる創造活動は何らかの意味において、境界への挑戦である。
そのような意味で、トリックスターは創造性と関連が深い。
創造的な人はトリックスター元型との接触を失わないように
心がけているべきではあるが、トリックスターに乗っ取られてしまうと、
単に「嫌な奴」になるだけだったり、破壊者になるだけだったりする」(P232)

「無意識内のトリックスターがはたらくように考えられるとき、
治療者、クライエントの思い違いや、
忘却、言いまちがいなどのことがきっかけとなって、不思議なことが生じる。
決して言ってはならないことを言ってしまうとか、
電話がかかってきたときに人まちがいをして応答するとか、
約束をまちがうなどのとき、それは大失敗になりかかるが、
失敗をしてしまったと単に反省するだけではなく、
内なるトリックスターは何を狙っているのか、などと考えてみると、
禍転じて福となることも生じてくる。
困難な事例では一筋縄でゆくことはないので、
このような危険をこえてゆくのはむしろ当然と思っていいだろう」(P230)


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