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「私と脚本」

11月2日、北千住の東京芸術センター天空劇場に山田太一さんの講演を聞きに行く。
正確には、文化アーカイブ活性化シンポジウム、
『文化はめぐる――脚本アーカイブズとデジタル化』の基調講演。

300人収容できる会場はガラガラ。
開会の挨拶で脚本家の市川森一さんが、早速ユーモアを込めて現状を皮肉る。
いまの脚本をめぐる状況を、この空席が象徴しているというのである。
脚本アーカイブズとは、出版物ではない脚本を後世に遺そうという取り組み。
ほとんどの国がシナリオを公的機関が保存しているが、
日本にはそういった文化組織がない。
テレビは現在に過ぎない、とはむかしから言われていたこと。
放送された瞬間から、関係者はみな競って忘れようとするのがテレビ番組。
脚本はだれからもかえりみられることなく捨てられていく。
しかし、これでは文化遺産が継承されないではないか?
先人の取り組みを現代のライターが継承できないではないか? これではいけない。
ならば、脚本家自身が声を上げて、自分たちの仕事を保存していくべきではないか?
この主旨のもとに山田太一、市川森一といった大御所が集ったのである。

市川森一さんは言う。思い出が大切にされるべきではないか?
テレビドラマというのは思い出なのかもしれない。
いつどこでそのテレビドラマを見たかというのが思い出になる。
極端なことを言うと、ドラマの内容は覚えていなくても、
その番組を見たときの生活状況だけ記憶しているということもありうる。
だから良くないというのではなく、それがテレビドラマではなかろうか?
市川森一さんは、なんとか視聴者の思い出を刺激しようとしてドラマを書いているという。
テレビドラマによって喚起される視聴者めいめいの個人的記憶を重んじたい。
またそのようなドラマの書き方を自分はしている。
テレビドラマをこのように考えたとき、
それならばテレビドラマ自体の思い出=脚本も重視されるべきではなかろうか?

新人のライターが脚本の勉強をしようと思ったら、先人の作品を読むしかない。
しかし、我われ(市川森一)の時代は脚本を入手するのが大変だった。
どれほど、山田太一さん、向田邦子さん、倉本聰さんのシナリオがありがたかったか。
しかし、なんといっても山田太一さんが一番だろう。
山田太一さんにあこがれて脚本家を目指すものがもっとも多い。
これまで山田太一さんがどのくらい脚本家の世界を切り拓いていったことか。
弱い立場であった脚本家の地位をどれほど高めてきたか。
テレビ局と、言うなれば喧嘩をいかほどしてきたか。
脚本家の作家性を大切にするという風潮を作ったのは山田太一さんにほかならない。
その恩恵をいまの脚本家はみなみなこうむっていると言ってもよい。
市川森一さんにこのように紹介されて、山田太一さんが登場する。

基調講演「私と脚本 ~作家性を打ち出した先駆者としての立場より~」。
以下、山田太一先生の言葉を採録するが、
あくまで筆者の頼りない耳と記憶をもとにしたものである。
もし間違え等ありましたら、それらはすべてわたしの責任であります。

――オリジナル脚本をどのようにして書いていったか。
そういう話をしてくださいというご依頼でしたが、むかしのことです。
向田邦子さんは、放送が終わったら、自分はどんどん脚本を捨てている。
そんなお話をなさっていたことがあって、
僕は生意気にも、それじゃいけないんじゃないか?
みんなが脚本から離れたあとも、
ライターだけは脚本を大切にしなければならないのではないか?
おこがましくもそんな意見を向田さんに申し上げたことがあります。
皮肉と言いましょうか。
そんなことを言っていた向田さんの脚本は、デビュー期のまで発見されていますね。
いま全集が出ていますでしょう。

僕がライターになったころは――。
最初は向田邦子さんも倉本聰さんもそうだったのではないかと思いますが、
連続ドラマなんかになりますと複数のライターの書くのが当たり前でした。
いまだから言えるのかもしれませんが、かなりショックでしたね。
たとえば、ホームドラマがありますでしょう。
最初の数話を書くライターが、一応のキャラクターを決めてしまうのですね。
ほかのライターは、そのキャラクターに基づいて書いていく。
これは傲慢なんでしょうが、僕は、なんかいやだなと感じました。
どうして人の決めたキャラクターで書かなければならないのか。
とくにホームドラマなんて、細かな味わいが大切になってくるものでしょう。
それを複数の人が分担して書くのは、ちょっとどういうものかと。
刑事もの、アクションものでしたら、話は少し変わると思いますけれど。

僕はオリジナルばかりというイメージがあるのかもしれませんが、
ライターになったころは原作のあるものもやっていました。
はじめての原作ものは、中村きい子さんの「女と刀」という小説です。
最初の3話は木下恵介さんが書いて、そのあとを僕が任されました。
これは強烈なキャラクターのおばあさんが出てくる話でしてね。
むかしかたぎのサムライ精神を持っているとでも言いましょうか。
この小説に関して、 鶴見俊輔 さんが日本人全体が叱られているようだ。
そんなコメントをしていましてね、僕もまったくそうだと思いました。

たとえば、敗戦、いや、終戦がありましたでしょう。
日本人のほとんどの本音は、たぶん「負けてよかった」だと思うんですね。
けれども、この「女と刀」のおばあさんは、そういう発言を許さない。
「戦争に負けてよかった」などというものは、ぜったいに許さない。
このために亭主と離婚までしてしまうのですね。
そのあとも自分を曲げず、別れた旦那と町で逢っても挨拶さえしない。
このおばあさんには、いわゆる絶対性のようなものがあるわけです。
僕は、書けない、と思いましたね。
自分のなかにある小市民意識が、どうしてもこのおばあさんについていけない。
もちろん、物語としては感動するんですよ。とてもいい小説だと思います。
しかし、このおばあさんの生き方を、どうもうまく書けないという気がしました。
そんなことを言っても当時は駆け出しのライターですから、書くしかなかったですが。
どうやって納得できない人物を書くか。
自分を消そう、自分を消そう、とするしかないのですね。
これがすごくいやでした。こんなことばかりこれから先もやるのはいやだな。

このあと「パンとあこがれ」というドラマを書きました。
これは新宿の中村屋の話をやってほしい、という話で来たんですね。
中村屋を創業した夫妻の物語です。
このタイトルのもとになったのは、ヨーロッパの言葉です。「パンとサーカス」。
パンというのは日常でしょう。しかし、人間はパンだけでは生きていけない。
サーカスのようなものが必要である。
この言葉から、「パンとあこがれ」というタイトルをつけさせてもらいました。
中村屋さんというのは、パンだけを売っていたわけではないんです。
当時はめずらしい芸術サロンのようなものも裏では開いていた。
この話だったら、自分に引きつけられると思いましたね。
自分を消そう、消そうとしなくても書くことができる。

「パンとあこがれ」は、パンだけの話ではないんです。
あこがれ――現実を離陸するものがあります。リアリズムだけではない。
これは昼のドラマだったのですが、裏番組にNHKの「信子とおばあちゃん」がありました。
このNHKのドラマがものすごい視聴率を取っていましてね。
視聴率という点では、まったく期待されていませんでした。
注文もとくにないんですね。
だったら、書きたいように書いちゃえ、と思ったんです。
自分でも、ここまで書いてもいいのかな、と思うくらい書きました。
しかし、とくになにも言われない。好きなように書きました。
ところが、おかしなもので、この「パンとあこがれ」で賞をいただいたんです。
これでえらく勇気づけられましたね。

だいたいですね、脚本家になりたいなんていう人間は、
みんな自分の物語を持っているんです。
なるべくならライターは自分の物語を書くべきだと思いますね。
もちろん、私小説的な意味での自分の物語ではありませんよ。
自分の見たいドラマ、創りたいドラマというのがありますでしょう。
それが自分の物語と深く係わってくると思いますですね。

ところが、いまのテレビは脚色、とくに漫画の脚色のドラマが多いでしょう。
あれはライターそれぞれの自分の物語とは相容れないものだと思いますね。
といって、ライターはなかなか自分の見たいドラマを創ることはできません。
テレビ局というのは、組織ですから。一方でライターは個人でしょう。
個人と組織では、どうしても個人が負けてしまうのですね。
ライターも会議に呼ばれてプロデューサーやディレクターにいろいろ言われます。
プロデューサーやディレクターが横暴かというと、そういうわけでもありません。
プロデューサーやディレクターは決してバカじゃないんです。
正論を言ってくるのですね。筋が通った話をしてくる。

ところが、僕なんかが書いていておもしろいと思うのは――。
書いているうちに、ふと、自分でも意図していないことを書いてしまうことがあります。
放送されたドラマを見て、こんな意図があったのかと書いた自分が気づくようなときです。
これは無意識の魅力なんですね。
僕なんかはなるべく無意識で書こうとしています。
無意識から出てくるものというのは、通念や一般論じゃないんですね。
ドラマを書いていると、どうしてか構成がゆがんでくることがあります。
思ってもみなかったところが、長くなってしまう。
構成全体から見たらおかしいのだろうけれど、長くなってしまうシーンがある。
プロデューサーやディレクターは正論で、ここがゆがんでいると指摘してきます。
そういう指摘は正しいのだろうけれど、一般論、通念なわけですね。
だから、僕はなるべく、無意識に書いてしまったものを大切にしたい。
こういう言い方はよくないのでしょうが、
その点に関してはプロデューサーやディレクターの意見を聞きたくありません。

それから「木下恵介アワー」で「それぞれの秋」を書かせてもらいました。
これは木下さんから「なにを書いてもいいよ」と言われました。
ふつうライターなら束縛されるのはいやじゃないんですかね。
このときは好きなことを書けるとえらく嬉しかったです。
いまのドラマは、なんというか、プロデューサー主導でしょう。
あらかじめほとんどすべてプロデューサーに決められた状態でライターが呼ばれる。
もうストーリーまで決まっている段階で、ライターは書けと言われる。
これではライターに書く喜びはどこにもないでしょう。
才能があるものは、どんどんほかへ行ってしまうと思いますね。小説とか。
ディレクターも、脚本は勝手に直すのが当たり前だという風潮があるでしょう。
ライターに好きなことはさせない。
脚本などディレクターが直すのが当然だ、といったような現場の空気があります。
ライターは抵抗しなくちゃいけないと思いますですね。
ディレクターに無断で書き直されるようなことをライターが許してはいけない。
直したかったらライターに言えばいいのに、勝手に直すディレクターがいるんです。
こういうことを言っていいのかわかりませんが、ダメなカントクほど脚本を変える。
一流と言われている映画監督は脚本通りに撮ってくれます。

どうしたらライター主導のドラマを創ることができるのか?
企画から言い出さなければダメだと思いますね。
プロデューサーの出した企画に呼ばれても、ライターに自由はありません。
ライターが企画段階から加わらなくてはいけない。
そのためには準備をしておくことではないでしょうか。
「なんかいい企画ない?」と言われたときに、すぐ出せるような準備です。
なるべく文句を言わせないような準備をしておく。
その企画を出した脚本家にしか書けないものを提出するようにする。

以下4行を山田太一氏はかなりの早口で言う。
ライターは、自分で自分を重んじるようにしたほうがいいと思いますですね。
というのも、自分を重んじていない人をだれが重んじますか?
他人が自分を重んじてくれるとしたら、
それはまず自分が自分を重んじているからではないでしょうか。

最後にシンポジウムのテーマ、脚本アーカイブの話を少し――。
アーカイブのなんでも脚本を収集しておく、という方針がいいと思いますね。
つまり、脚本の良し悪しを判断しないということでしょう。
とてもいいと思います。脚本を集めておくのはいい。
なぜかというと脚本によって、年代ごとのセリフの違いがわかりますでしょう。
脚本には、大げさかもしれませんが、民俗学的な価値さえあるのではないでしょうか。

ホームドラマや犯罪ドラマの脚本は資料にもなると思います。
むかしは靴泥棒なんていう犯罪があったんですね。
鍵をかけないで玄関に靴を置いていると、さっと持っていかれてしまう。
いまから考えたら、靴のサイズも考えないで、どうするのだという話ですが。
ホームドラマのセリフもおもしろいのでしょうね。
むかしのドラマなら、奥さんは「お風呂どうなさいます?」。
亭主にこう言っていたかもしれません。
それが段々と「お風呂どうなさる?」「お風呂どうします?」――。
いまは「お風呂どうする?」、いや「お風呂は?」になるんでしょうかね。
こういう時代ごとの変遷も過去の脚本を調べたらわかります。
だから、脚本の良し悪しを判断しないで、なんでも収集するというのはいいと思います。
なぜなら、あるとき、ワッといきなり価値観ががらりと変わるかもしれない。
僕なんかは、終戦で価値観の大逆転を体験した世代ですから。
それまで良いとされていたものが、すべて悪くなってしまう。
悪いとされていたものが、良いと絶賛されるようになる。
これとおなじでいまは評価されていない脚本が、
のちの時代にとんでもない傑作だと掘り出されるかもしれません。

このまえ「七人の刑事を探して」という本が送られてきたので読みました。
むかし放送された「七人の刑事」というドラマに関する本です。
いまは映像も記録もほとんど残っていないドラマの詳細を著者が調べたものです。
読むと、ほとんどがリストなんですね。
こういうことを言っちゃいけないのでしょうけれど、だれが買うのかと思いました。
同時に著者の情熱には感服しました。
将来またこの著者のような人物が現われるかもしれません。
そのとき脚本アーカイブがあったら、どんなに助かることでしょうか――。

(参考)過去の山田太一講演会↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-2264.html

COMMENT

- URL @
11/06 12:44
. ところでお仕事はされてるんですか?
Yonda? URL @
11/07 00:24
名無しさんへ. 

こないだの国勢調査は脚本家で提出しました。
なお、年収は非公開です、いやーん♪








 

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