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「骸骨ビルの庭」

「骸骨ビルの庭(上)(下)」(宮本輝/講談社)

→宮本輝の最新作をようやく読むにいたる。むかしの作品は、
氏の信仰する創価学会の教学だけでは絵解きができぬ不透明なものがあった。
日蓮仏法でさえ説き明かせぬ命の焔(ほむら)のような輝きを感じたものである。
氏も老いた。かつての反骨心はもうない。
長編小説「骸骨ビルの庭」は、すべて創価学会思想で説明することが可能だ。
だから、よくないというわけではない。
かの教団は、日本最大の宗教団体である。その教義が浅かろうはずがないではないか。
宮本輝の初期小説は奇跡的なものだったのであろう。
奇跡がずっと続くわけがない。もう奇跡は終わってしまったのである。

宮本輝の近作の関心は「他人の子どもを育てる」ことにあるようである。
熱心なファンならこのテーマが繰り返されていることに気づくだろう。
住民らに不法占拠されている通称「骸骨ビル」に、
主人公の八木沢省三郎が管理人として住み込むところから物語は始まる。
敗戦直後、阿部轍正と茂木泰造は多くの孤児をこの骸骨ビルで育て上げた。
ところが後年、孤児のひとり桐田夏美が、
阿部轍正から何度も性的暴行を繰り返されたと訴えたのである。
マスコミはこの訴えをまともに受け、阿部轍正を稀代の大悪人として報道する。
(まるで池田大作のハレンチぶりを報道するジャーナリズムのように!)
この屈辱の最中、阿部轍正は急死する。
阿部と茂木に育てられた孤児たちが、すでに権利の移行した骸骨ビルに居座るのは、
阿部轍正に着せられた冤罪と汚名を晴らすためである。

まずは成功者・宮本輝のお説教を拝聴しようではないか。
事業に失敗しホームレスにまで落ちた男の説教を聞くものはだれもいない。
宮本輝の小説に説教がやたら多くなったのは、作家が完全に成功したからである。

「私が畑仕事で知ったことは、どんなものでも手間隙をかけていないものは
たちまちメッキは剥(は)げるってことと、
一日は二十四時間が経たないと一日にならないってことよ。
その一日が十回重なって十日になり、十日が十回重なって百日になる。
これだけは、どんなことをしても早めることができない」(上巻P170)


成功者に聞いてみよう。「人間は何のために生れてきたのか?」

「自分と縁する人たちに歓びや幸福をもたらすために生れてきたのだ」(上巻P250)

成功者の発言は、成功したがゆえに揺るぎないものとなる。
ならば、成功者に問う。どうしたら成功できるのか?

「何か事を成した人っちゅうのは、みんな無謀っちゅう吊り橋を渡ってます」(下巻P238)

宮本輝も作家になるまえ、数年のニート生活を送っている。
創価学会関連のホテルで働く老母の収入で文学立身を目指していた時代があった。
すでに妻も子もいたのに、なんという危ない吊り橋を渡ったことか。
無謀という吊り橋から大勢の人間が落ちていく。
どうして宮本輝は、無事に吊り橋を渡り終えることができたのか。
「不思議な人」がいたからである。「不思議な人」とは、たとえば――。

「古くからの得意先の元社長で、
いまは息子に跡を譲って隠居している七十三歳の老人がいる。
仕事絡みであろうが、ただの友人であろうが、この人と仲良くして、
つねに接してきた者たちは、ひとり残らず良くなっていく。
運が開けていくと言ったほうがいいかもしれない。
商売が発展していく。
私生活でのいろんな悩みが少しずつ確実に解決していく。
放っておけば命に関わったであろう病気が、
ひょんなことで早めに見つかって大事に至らずに済む……。
とにかく、いろんなことが良くなっていくのだ。
といっても、それが一ヵ月や二ヵ月でそうなるのではない。
五年、十年という歳月を経て、
気がつくと五年前、十年前よりもあきらかに良くなっているのだ。
逆に、その人を憎んだり、悪口を言ったり、裏切ったりして、
疎遠になったものは、見事なほどに落ちていく。
重い病気にかかって亡くなったり、それまで平和だった家庭に波風が生じ、
やがて一家離散という憂きめに遭ったり、
順調だった商売が左前になったり、勤め先を馘(くび)になったり……。
とにかくゆっくりと階段を転げ落ちるように境遇に災いが起きつづけていく」(上巻P251)


宮本輝にとって「不思議な人」は池田大作であり池上義一であった。
池上義一は創価学会文芸部の要職にいた、宮本輝の恩人である。
脱会者は地獄に堕ちると喧伝する創価学会精神を作家は隠そうともしないのが潔い。
創価学会にはこのような「不思議な人」が多い。
それどころか入信すれば、あなたも「不思議な人」になれるのである。
これほどすばらしい宗教団体、創価学会の根本思想とはなにか?
宿命転換であり、願兼於業(がんけんおごう)である。

「骸骨ビルの庭」では、住民の話(物語)を管理人の八木が聞くという形式で進む。
かつて孤児であったものたちが、どのように人生を切り拓いていったか。
孤児たちが阿部と茂木に助けられ、いかにして宿命転換を成し遂げたか。
これは不遇な人間たちが、池田大作によって幸福になったことの暗喩であろう。
宿命転換の秘密は物語にある。物語をどう変えるかで人間は不幸にも幸福にもなる!
たとえば――。
過干渉で虐待さえ受けた子は、あれは親の愛だったのだと物語を作り直せばいい。
とはいえ、こういった物語の変形はなかなかうまくいくものではない。
人間は、不幸の物語をどのようにしたらいいのであろうか?
なぜ不幸にならなければいけなかったのか?
ここで創価学会の根本思想、宿命転換と願兼於業が登場する。

「阿部轍正は、非業の死を遂げたかに見える。しかし、自分はそう思っていない。
阿部轍正は、あのような目に遭って死ぬことで、
我々に降りかかったであろう大きな苦難を消してくれたのだ。
阿部轍正が、すべてを代わりに受けてくれたのだ。
自分は最近、やっとそのことに気づいた」(下巻P242)


願兼於業と宿命転換は究極のプラス思考といっていいのではないか?
不幸には二種類ある。自分の不幸と、愛するものの不幸である。
自分の不幸は、菩薩になることを願って、
あえてこのような業(不幸)に生まれついたのだと思う。
愛するものの不幸は、この不幸はなにかもっと大きな災いの代わりなのだと納得する。
願兼於業だ。宿命転換だ。
創価学会は、あらゆるマイナスをプラスにしてしまう!
諸君、笑え! もう不幸はない! 
どんな不幸な物語(宿命)も、勝利を目指す幸福な物語に転換できるのだから!
肩を組んで進もう! さあ、みなのもの!
どうして願兼於業の理(ことわり)を悟り宿命転換を目指さないのか!

「骸骨ビルの庭」において阿部轍正は池田大作、茂木泰造は宮本輝を模す。
どうして阿部轍正=池田大作は、世間からバッシングを受けなければならないのか?
茂木泰造=宮本輝は憤っている。激怒している。
おそらく骸骨ビルは、創価学会をイメージしているのだろう。

「骸骨ビルのことは、もういろんな新聞が報じてたけれど、
奇特な青年の人道行為を美談仕立てにしただけのものもあれば、
底意地の悪い、どこかに揶揄を感じさせるものも多かったの。
阿部轍正という男には何か魂胆があるに違いない、
いずれは孤児たちを利用して悪辣なことをやるつもりなのだ、
おい、お前たちは何を企んでいるのだ……」(上巻P165


骸骨ビル=創価学会、阿部轍正=池田大作として読むと、よく意味がわかるでしょう?
いま創価学会に最大のピンチが訪れているのは、みなさんもご存知かと思う。
カリスマである池田大作が死んだのちに巨大宗教団体はいったいどうなるのか――。
池田大作の死は、東京大地震に比す衝撃を日本に与えるだろう。
人はみな死ぬ。
この事実に、青年の宗教・創価学会が目をそむけてきた報いなのかもしれない。
宮本輝=茂木泰造は怒る。

「フグを食べ終わってから、茂木のおじちゃんはこう言った。
お前たちは、いつまで傍観者でいるつもりなのか、と。
根性のねじ曲がった嘘つき女がいて、大恩も忘れて、
自分を育ててくれた人に最大の恥辱を与え、あまつさえ死に至らしめた。
世の中には悪いやつがいるもんだ。
そんな性根を隠しているやつと気づかなかったはこちらの運が悪い。
まあいずれ天罰が下るだろう」(下巻P79)


茂木泰造が成長した孤児たちを叱り飛ばすのは、
あたかも宮本輝が創価学会員を叱咤するかのようである。

「いまから、ひとりひとり、自分が阿部轍正にしてもらったことを語れ。
どんな些細なことでもいい。ほんの少しでも心に残っている思い出をすべて語れ。
素面だったのは酒を飲めない茂木のおじちゃんだけで、
みんな気持ち良く酔っ払ってしまっていたが、全員一瞬にして身が縮んだようになり、
最初に木下のマコちゃんが居ずまいを正して語りだした」(下巻P80)


「それだけか? 池田大作というお方が、お前にしてくれたことはそれだけか?」
「それだけか? たったそれだけなのか?」
と怒りの目で宮本輝は、創価学会員の読者たちに訴えかける。
宮本輝が、創価学会をここまであからさまに小説に描いたのは初めてではないだろうか。

還暦を迎えた作家・宮本輝は創価学会と心中する腹を決めたのであろう。
「骸骨ビルの庭」は小説家の信仰宣言書のようなものである。
ということは、残念ながらもう宮本輝の作品に期待しても無駄であろう。
かつてカトリックへの信仰を持つ遠藤周作という作家がいた。
作家は円熟期、イエスを裏切ったユダに関心を持つ。
果たして、イエスは自分を売ったユダを許したのか?
おそらく許したのであろうと解釈して作家が書いた「沈黙」は大きな波紋を呼んだ。
遠藤周作が信じる宗教は、裏切りものまで許してしまう寛容性がある。
しかし、宮本輝は許さない。創価学会を裏切ったものは地獄に堕ちよ!
池田大作先生を誹謗中傷するものは、みなみな野垂れ死にしてしまえ!

「骸骨ビルの庭」での裏切りものは、桐田夏美である。
この夏美を主人公にして物語を書いたら、宮本文学に新境地が拓かれることだろう。
ぜひとも読んでみたいが、どうやら宮本輝はもう芸術的野心を捨ててしまったようである。
簡単に言えば、文学よりも宗教を取ったのである。
芸術家的冒険よりも、宗教的安心を選択したのである。
さみしいことだが、作家の決めたことだ。
しかし、毎日、先生と奉られ、美食を喰らい、説教を垂れ流す生活がそんなに幸福だろうか?
いや、これは創価学会の限界である。
創価学会の目指す幸福は、極めて俗物的なものゆえ仕方がない。
名誉・収入・地位・賞賛・美食・ゴルフなどはるかに凌駕する芸術家的昂揚があることを、
創価学会は教えてくれないのだろう。
だが、開祖・日蓮は、間違いなくそれを知っていたはずである――。


(おまけ)宮本輝作品の官能性が好きだった。
作家の糖尿病が作品を変質させる原因になったのか。
たとえば「骸骨ビルの庭」では、ここがいちばんよい。
住民のひとりオカマのナナちゃんは、
「一見、ボーイッシュだが、性的蠱惑(こわく)といったものが全身から放たれている」。
ナナちゃんの思い出話(=物語)はぞくっとするほどいやらしい。

「自分は絶対変だ。オチンチンが付いてるけど、
ほんとは女なんだって思うようになったのは、小学校四年生くらいからかな。
それを決定的に思い知ったのは五年生のときよ。
当時三十二、三くらいだった担任の先生がね、
放課後、理科の実験室においでって誘うからついて行ったのよ。
子供にも何かを予感したのね。禁断のリンゴを食べるイブの心境に似てたわ。
あれ? リンゴを食べたのはアダムだっけ? まあ、どっちでもいいわよね。
担任の先生はねェ、理科の実験室に入ると、
ドアにつっかい棒をして、私の腰を両手で抱き寄せて、
言うとおりにしてくれたら二百円やるってささやいたの。
言うとおりにしてあげたわよ、フェラを。
「お前、うまいなァ、最高だ」って褒められて嬉しかったし、
異常に興奮して鼻血が出たわ。そしたらその担任の先生、
「おっ、初潮か?」って言って、私の鼻血を舌で舐めて拭き取ってくれたの。
とんでもない変態教師よね。日本の教育現場の荒廃ここに極まれりよ。
でも私、卒業するまで週に一回、
土曜日の放課後、理科の実験室に通ってご奉仕したわ。
二百円貰えるのも嬉しかったけど、私もそうすることが楽しかったのよ。
そいつ、教育委員会のえらいさんになっちゃって、定年退職してすぐに、
何とか褒章っていう勲章を貰いやがったわ。笑っちゃうわよねェ……」(上巻P160)


とてつもなくエロくねえか、おい!
老作家はコレステロール値、中性脂肪値の改善法を「骸骨ビルの庭」で教えてくれる。

「寝る前に、根昆布を三、四個、水に入れた大きめのコップに入れておき、
朝起きてすぐそれを飲むのだという。
その水を飲むとき、戻って膨れた根昆布は捨てる。
昆布の味と粘りのある水を一ヵ月飲みつづけたら、
個人差はあるだろうが、確かに血中の中性脂肪値が下がる」(下巻P96)


調べたら根昆布ってやつが、高いこと高いこと!
いろいろな健康法を用いて宮本輝は、きっと百歳近くまで生きるのではないか?
わたしには宮本輝より長生きできる自信がまったくありません……。

COMMENT

k URL @
10/06 10:57
無駄. 誤魔化して書いてるつもりだろうけど嫌なら読まなきゃいいのにって感じです。
創価学会はキライだけど。

おもしろくないですよ。
Yonda? URL @
10/06 22:03
kさんへ. 

とにもかくにも、こんな長文記事を最後までお読みくださりありがとうございます。
ご気分を害してしまったようで、甚だ申し訳なく思っております。
ご助言は今後の参考に致します。








 

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