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「ひろさちやの「無関心」のすすめ」

「ひろさちやの「無関心」のすすめ」(青春出版社)

→敬愛するひろさちや先生に死期が近づいているのではないかと心配した。
本書の出版は2008年9月。
70歳を超えた先生はどうやら悟りを開かれたように思える。
いままでシガラミから言えなかった自己の宗教的主張を本書では決然と打ち出している。
仏教者・親鸞の思想を正確にたどれば、
このような考えにいたるのは自然なのだが、それなりの立場のある人間には難しい。
わたしの人生観は、以下に長く引用するひろさちや先生のそれとまったくおなじである。
これは難解な思想家と思われている福田恆存先生の人生観、人間観にも通じている。

コラム全文を引用したい。タイトルは「人生はお芝居だ」――。

「どんな自分であっても、それはほとけさまがその人に預けられた自分です。
だから、「もっとこういう自分にならなければ……」とか、
「自分はこうあるべきだ」などと考える必要はさらさらありません。
「わたしは、こういう自分をほとけさまから預かっているんだ」
と胸を張っていればいいんですね。
反感を買うことを承知で言えば、たとえ犯罪に手を染めても、
「俺はほとけさまから頼まれて犯罪をやってるんだ」
というくらいふてぶてしく生きたらいいのです。
もちろん、わたしは犯罪をすすめているわけではありません。

しかし、犯罪をおかす人間はだめなやつで、
おかさないのが立派な人間ということではないんです。
犯罪をおかすのは「縁」なんですね。
どんな人間でも縁によって犯罪者になります。
たとえば、自分の最愛の娘が目の前で乱暴されてるといったとき、
そばに拳銃や刃物があったら、
それで相手を射殺したり、刺殺したくなるかもしれないでしょう。
それがふつうの感覚です。
そうした縁が準備されていれば、だれでも犯罪者になる可能性があるんです。
わたしたちは自分で生き方を選び、
人生を切り拓いていると考えているかもしれませんが、じつはそうではありません。
それぞれが与えられた役回りを演じているだけです。

シナリオライターはほとけさまであり、神さまです。
ほとけさまが描くシナリオは遠大です。
地球の誕生から滅亡まで、すべてを見通したシナリオなんですね。
われわれはそのうちのたかだか八十年間、何かの役を演じるにすぎません。
それがシナリオ全体のテーマの中で、
どんな意味があるのかなどわからないし、わからなくていいんです。
ただ、与えられた役を演じきることです。
割り振られたのが善人役だろうと悪人役だろうと、
犯罪者だろうと殺人者だろうと。
「俺はこんな役は嫌だ。もっと違った役にして欲しい」
などと文句を言う筋合いのものではありません。
どんな役を演じても、最後はお浄土に行くんだと、わたしは思っています。

お浄土では、いい役割を演じた人も悪い役に回った人も、
ほとけさまからねぎらいの声をかけてもらえます。
主役級には「よくやったね、ご苦労さん」くらいのことかもしれませんが、
悪役にはより多くの言葉を尽くしてくださるでしょう。
「おまえにあんなつらい役割を与えて、しんどかっただろうね。
でも、おまえがあの役をやってくれたので、わたしのシナリオは光ったんだよ。
あの悪役ぶりは立派だった。ほんとうによくやってくれたね」

浄土真宗を開いた親鸞上人の有名な言葉にこんなものがあります。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
ほとけさまは悪人にこそ、あたたかい目を向けてくださる。
そう信じましょうよ。そして、自分に与えられた役を好きになって欲しいんです。
暴力団員の役を与えられたら、立派にその役をやりとげればいい。
犯罪者なら、犯罪者を演じきればいいんです。
たとえば、暴力団員であっても、堅気の人間にやさしく親切な人もいます。
堅気の人をいじめ、迷惑をかける暴力団員よりも、
やさしい暴力団員のほうが立派ですよね。その役を演じきることです。
「やくざは悪だから、足を洗いなさい」
なんて言うのは、ほとけさまのシナリオにケチをつけていることにほかなりません。
そんなお節介は、もう願い下げにしましょうよ」(P134)


自分以外に親鸞思想をここまで理解(誤解?)している人が現世にいるとは思わなかった。
まさか、まさか、である。

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