「偶然のチカラ」

「偶然のチカラ」(植島啓司/集英社新書)

→めったにないほどの名著である。
いまのわたしの関心のありどころにドンピシャリの本。
病院の待ち時間で一気に読んでしまった。
あまりにおもしろいので数日後、家で入念に再読したほどである。

人生における、ありとあらゆることが偶然であるわけでしょう。
ところが、人生万事が必然だという考えかたもできなくはないわけだ。
どちらが正しいのかはわからない。なぜなら、もはや宗教の領域だからである。
宗教人類学者の植島啓司は、
果敢にも偶然と必然の間隙(かんげき)に潜入せんと試みる。
学者が手にたずさえるのは学問的知見だけではない。
おのれの賭博者としての体験から得た(=失った)血涙を武器にして、
植島は偶然の本質を見極めようとする。

サイコロを振る。どの目が出るか。
偶数か奇数かなら、ふたつにひとつである。
これに賭けるとする。すなわち、つぎに出る目を予測するわけである。
著者が問題とするのは、賭けるという参与行為である。
金銭を賭けなければ、サイコロの出目が偶数でも奇数でも大した問題ではない。
偶然と言われたら、そうかもしれないと答えるだろう。
サイコロを振ったときの手の動き、空気抵抗によって出目は必然と説明されたら、
たぶんそうなのだろうとあいまいにうなずくことだろう。
けれども、おカネを賭けていると、そうそうのん気なことは言っていられない。

これまでどの学問領域も、賭けないポジションからサイコロの出目を論じようとした。
著者が凡俗な学者連中と異なるのは、賭けに参与するところである。
確率的にいえば、偶数も奇数も1/2の確率で出現すると断言することが可能だ。
1万回、10万回と実験数を増やしていけば、
どんどん統計は1/2に近づいていくことだろう。
だが、それは「私」が賭けたときのサイコロの出目ではないじゃないか。
「私」が高額な金銭を賭けた際のサイコロの出目はいったいどうなっているのか。
植島啓司の秀才はこの疑問に、なおも学者として向き合ったところにある。
賭けに勝つ者と負ける者の違いは果たしてなんであるのか。
この問題に正しい答えはないとみなさまは思われることでしょう。
ところが、宗教人類学者の植島啓司は正答らしきものを提示してしまうのだから。

問題。ふたりの人間が賭けをしている。どちらが優位か答えなさい。
AとBはどちらも全財産を賭けている。サイコロ賭博である。
偶数か奇数か、ふたつにひとつ。
サイコロが投げられた。コールする(偶数か奇数か言う)のはAとする。
この場合、AとBのどちらが勝つか。少なくとも、どちらが勝つ確率が高いか。

植島啓司は断言するのである――(P33、P119を見てね♪)。

Bの勝つ確率が圧倒的に高い!

本書は斬新な見解で満ちあふれているが(ぜひぜひ拙者を信じて読んでみてくだされ!)、
そのなかでもっとも革新的な論述はここであろう。
著者は偶然の(あまたある)法則(のうちのひとつ)を、学問的に解明してしまったのだから。
最終的には本書をお読みいただくしかないのだが、暇のないかたも多いでしょう。
どうしてなのかをわたしが理解できた範囲で説明したい。
この解答の前提としてあるのは、人間の選択は誤まることが多い。この事実(?)である。
だから、先に選択したほうの負ける確率が高くなる。
このへんは微妙で、書いている当方も、ギリギリだという認識がある(笑)。
植島啓司はオカルトすれすれをくぐりぬけ学問(=正誤)を目指そうとしている。
というのも、上記の問題に関しては実験しようがない。
何百回も全財産を賭けたサイコロ勝負ができるものだろうか。
したがって、学問ではないと言いたくもなるが、
「モンティ・ホール問題」(P17、P119)から考えると、
たしかに学問的に「Bは勝つ」と言明できるのかもしれない。
このところは筆者などよりよほど賢明な読者諸氏にご判断いただくしかないと思っている。

植島啓司は以上の学説をもとにして生きかたのハウツーまでしてしまう。
人はどう生きるべきか。植島は「流れ」に乗ることが重要だという。
ならば、どうしたら「流れ」とやらに乗れるのか。なるべく選択をしないことである。
人間が選択をしないと、どうしてだか、ある方向を進むようになってしまう。
これが最良だと植島啓司は主張する。換言すれば「なるようになる」である。
わたしは植島にかなりの親近感を持ち、同族意識を抱いているが、
こちらの主観をふんだんにふくめた言いかたをすれば、
人間は選択をしないことで何者(=絶対者? 全体? 宇宙?)かの意思に迫れる。

さらなる飛躍を許してください。
宗教人類学者の植島啓司は本書で一回も自然という用語を用いていない。
わたしは万事が偶然でも必然でもなく自然ではないかと思っている。
おそらく著者が本書で言いたかったのも自然のことなのではないだろうか。

以下、引用――。

「人は果たして選択が正しかったかどうかをけっして自分で確かめることはできない」(P28)

「人間はだれしも自分で選んだことにとらわれて自由な判断ができなくなる」(P33)

「つまり、不幸は選択ミスから起こる。では、選択しなければいいのでは?
そう、そのとおり。選択するから不幸が生じる。
妻をとるか愛人をとるか、
進学するか就職するか、家を買うか賃貸マンションに住むか?
海外旅行に行くか貯金するか、いまの会社にとどまるべきか転職するべきか」(P34)

「できるだけ自分で選択しないように心がけよ」(P40)

「大きな幸運を願う人はそれだけ大きな犠牲をも考慮しておかなくてはならないだろう」(P80)

「運の悪い勝ちもあれば、運のいい負けもある」(P130)


(追記)刺激的な良書ゆえ、かならずやみなさまのお時間を奪う価値があると存じます。
関係ないけれど、植島啓司で検索していたら、またもや「もてない男」の小谷野敦(笑)。
植島啓司のセクハラ(大学)辞職疑惑について、である(あくまでも疑惑で真相は不明!)。
この線を調べていくと、植島啓司は人気学者で女子学生からモテモテだったらしい。
この学者先生をかなり身近に感じていたが、マイナス50点といわざるを得ないな(苦笑)。
しかし、アル中というくらいの酒好きらしいからプラス20点を与えておこう。
偉そうで、ごめんよ♪

(参考)
「何も選ばない」生き方のすすめ↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081119/177766/
「偶然のチカラ」を味方につける↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081126/178299/

↑わざわざ面倒な会員登録までして読んでしまったよ……。

COMMENT

yamadaken URL @
11/20 09:10
. 화재를 일으켜버렸던 전쟁의 불씨가 아닙니다 예뻐지게 여러 세제를 사용해서 여러 브러쉬를 사용해서 시도했습니다만 떨어지지 않습니다 제발 죽여 주세요.
Yonda? URL @
11/20 21:07
yamadakenさんへ. 

ごめんなさい。ハングル(?)わかりません。








 

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