「春までの祭」

「春までの祭」(山田太一/新潮文庫)絶版*再読

→テレビドラマシナリオ。平成元年放送作品。フジテレビ。単発もの。
山田太一先生とはいえ、なにも特別なことをしているわけではない。
古来よりある王道のドラマ・シチュエーションを用いて描きたいシーンを書く。
書きたいものがテクニックを呼び込み、そのテクニックが先の話を決めていくのだろう。

安藤逸次(笠智衆)と安藤香奈(吉永小百合)に血のつながりはない。
逸次の息子の嫁が香奈なのである。香奈には高校生になる息子がいる。
ところが、問題なのは旦那が3年前に亡くなっていること。
なんといっても吉永小百合である。男が放っておくはずがない。
逸次は、偶然にも香奈が見知らぬ男の、それも外車に乗り込むところを目撃してしまう。
この「偶然、盗み見る」はドラマの古典的な手法である。
逸次としては複雑である。嫁に男と付き合うなと面と向かって言える筋合いではない。
だが、美しい香奈への心配も隠せない。結果が、以下のような会話になるのである。

●台所
香奈、米をといでいたボウルから、米を炊飯器の釜に移す。
釜のままとぐとコーティングがとれるので、そうしている。
逸次「(現われ)香奈さん」
香奈「はい」
逸次「余計な心配をしとるのかもしれんが」
香奈「はい?(水加減を見る)」
逸次「なにか困っとることはないかね?」
香奈「どういうことでしょう?」
逸次「んにゃあ、外に出りゃあ、なにかとあるだろう」
香奈「――はい」
逸次「相談相手にもなれんが」
香奈「大丈夫です。多少のことは、ありますけど、なんとか切りぬけていますから」
逸次「そうかね」
香奈「ご心配なく」
逸次「そうかね」
香奈「はい」(P299)


葛藤の弱さ(=細やかな感情の描写)が絶妙でしょう。
どこぞのシナリオスクールのバカな講師は、こういうシーンのよさがわからない。
香奈が包丁を持って逸次に向き合えば、葛藤が強くなるんじゃないの?
逸次に嫁を引っぱたかせたらドラマがおもしろくなるよ。
アホな講師なら本当にこんなキチガイめいたことを言いかねない。

このつぎのシーンで山田太一は逸次をひとり、息子の仏壇に向かわせる。
心情描写は「ひとりシーン」というドラマの古典的な手法を使っているのである。
逸次は息子の遺影に紅がついているのを発見する。
眼鏡をかけて見てみると、息子の写真の口もとに口紅のあとがある。
逸次は指で紅をぬぐう。指先に香奈の口紅が赤くつく。
これまた古臭い小道具=写真を使っているに過ぎぬのに、このうまさといったら――。
山田太一はテクニックの使用を惜しまない。
なんのためにか。書きたいシーンを書くためである。
どのシーンからも作者の熱い思いが伝わってくる。
この仏壇のシーンは、おそらく視聴者のだれよりも、
山田太一自身が見たかったのだと思われる。
あるシーンを自分が見たいから、書きたいと思う。
「見たい」「書きたい」という、ふたつの「たい」が山田太一の武器なのであろう。

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