「ながらえば」

「ながらえば」(山田太一/新潮文庫)絶版*再読

→テレビドラマシナリオ。昭和57年放送作品。NHK。単発もの。
対置のうまさを学習した。
脚本家は、笠智衆が演じる老人と老妻のつながり(=愛)を描きたいのである。
さあ、どうするか。
病室にいる老妻と笠智衆を物理的(距離的)に離れさせる。
息子の転勤というきっかけを作ったうえでだ。
老妻は重態になる。
虫の知らせか笠智衆は妻の異変に気づき元の在所に戻ろうとする。
このとき偶然に泊まった宿を経営するのが、またまた老夫婦である。
そのうち妻のほうがその晩に亡くなってしまう。
宿の主人は愛妻になにもしてやれなかった後悔を笠智衆にしんみり述懐する。
ある老夫婦と別の老夫婦の対照(対置)が実に巧みである。
さらに笠智衆の娘夫婦の不仲が提示される。夫が妻に暴力をふるう。
親夫婦と娘夫婦の対照(対置)があざやかである。

山田太一は、対置の効果を計算して書いているわけではない。
天才脚本家は、ただただ笠智衆を愛した。笠智衆を輝かせたいと思った。
老夫婦の情感あふれる(ラストシーンの)交流を描きたかった。
このとき自然に、異なる二組の夫婦が脚本家の頭に浮かんでくるのであろう。
自然というものを作家は強く意識していたはずである。

旅客の隆吉(笠智衆)は妻への思いを宿の主人・謹造に語る。

隆吉「自分の、ことばっかし(と平伏する)」
謹造「いえ、よう分りますちゃあ」
隆吉「――(一礼)」
謹造「明日――一番で――早う、奥さんに逢(お)うてあげて下はれ。
仏があんたはんを、うちへ泊めたのかもしれん。
明日、しっかり逢うて、ええこと、いうてあげて下はれ、ねェえ」
隆吉「――(平伏する)」(P69)


正しくは仏ではない。山田太一が笠智衆をこの晩この宿に泊めたのである。
しかし、なんとも仏がいたらばやりそうなことではないか。
仏ならばこのような出逢いを演出してもおかしくないと思わないか。
このような「不自然ではない偶然」を描くのが良質なドラマなのだろう。
こんなことは実際にはないだろうが、あればいい、いや、あってもおかしくない。
根本に山田太一の夢想(願望)があるのは言うまでもないことである。

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