「詩学」(アリストテレース/松本仁助・岡道男訳/岩波文庫)*再読

→アリストテレスの「詩学」は世界最古のドラマ論である。
古いから正しいというのは誤まりだが、ものの本質を考えるうえで古さは利点となりうる。
大昔のギリシアでドラマはいかなるものとされていたか。
繰り返すが、アリストテレスが言っていたから正しいというのは誤り。
だが、ドラマとはなにかを考えるうえで本書は有益だと思う。
以下、気になった内容をわかりやすく(言い換えて)箇条書きにしていく。

・ドラマの原義は行為である。行為する人間がいる。
かの人間の行為を再現することがドラマ本来の意味である。
換言すると、物真似がドラマの原初イメージに近い。
勇敢な若者が狩りで大物を射止めたとする。
その夜、かの若人はたき火に集まる仲間のまえで狩りの様子を再現するだろう。
これがドラマの起こりと言ってもよいのかもしれぬ。
ドラマ=行為とは、すなわち思弁ではないということだ。
「考える人」はドラマではない。かの人物が動き始めたとき、ドラマの幕が開く(P24)。

・民主制の誕生が、喜劇を発生させた。
なぜならば、民主制は批判や風刺を内在する政治システムだからである(P24)。

・行為の再現(=ドラマ)はなにゆえ行なわれるか。
行為の再現は、見るものに喜びを与えるからである。行為の再現は見ていて楽しい。
この喜悦の原因を、アリストテレスは学習のためだと指摘する。
なにかを学ぶことは、哲学者のみならず、人間にとって最大の楽しみ。
人びとは行為の再現(=ドラマ)を見ることによって、ものを学ぶ。
したがって、ドラマの機能のひとつは学習である(P28)。

・本書で「俳優」と日本語に訳された古代ギリシア語は「hypokrites」。
この「hypokrites」の本来の意味は「解釈し説明するもの」「質問に答えるもの」。
我われはいわゆる「説明ゼリフ」を稚拙だと嘲弄するが、
「俳優」の原義に「説明するもの」といった意味合いがあるのは興味深い。
「説明ゼリフ」は、むしろドラマになければならないもの。
いや、もっと言ってしまえば俳優による説明こそドラマの実相なのかもしれない。
ギリシア悲劇を思い返すと、どれも過剰な説明で展開されていることに気づく。
ギリシア悲劇では舞台上で人が死なない。
舞台の外で人が死に、だれかがその様子を説明しにやって来るのである(P30)。

・俳優は行為の再現(=ドラマ)によって、
観客の恐怖(おそれ)と憐憫(あわれみ)の感情を刺激する。
結果として、このふたつの感情が浄化されるに至る。これをカタルシスという。
カタルシスは、古来ふたつの解釈がなされてきた。
1.医療的(排泄)行為
2.宗教的儀式
上にドラマの愉楽は学習にあると書いた。
ここで提示されたのは、その他の機能である。
ドラマには医療代替行為としての面がある。
たとえば、落ち込んだときにドラマを見て元気になる。
それからドラマはお祭り(宗教儀式)の華やぎがある。
たとえば、人気ドラマ(「北の国から」)は国民的な祭事に比される(P34,P139)。

・繰り返しになって恐縮だが、ドラマとは行為の再現である。
だとしたら、行為とはなにを意味しているか。行為によってなにがわかるか。
行為者の性格と思想がわかる。
言いかたを替えたら、行為の原因は人間の性格と思想である。
以上をまとめると、このような結論に帰着する。
行為の再現たるドラマは、ある人物の性格と思想によって形づくられる。
さらに進んでいこう。行為は人間になにをもたらすか。成功と失敗である。
図示すると下記のようになる(P35)。

ドラマ=「性格と思想」→「行為」→「成功 or 失敗」

・歴史家は起こったことを語るため、かの人の仕事は個別的な表現といえよう。
一方、劇詩人は起こりうること、起こる可能性があることを語るため、
かの人の仕事は普遍的な表現ということができる(P43)。

・ドラマにおけるさまざまな行為は、因果関係で結びついていると効果的である。
すなわち――。
○「ある出来事がある出来事ゆえに起こる」(ドラマの効果を高める)
×「ある出来事がある出来事のあとで起こる」(ドラマの効果を弱める)
このドラマにおける因果関係は、必然性という評価基準に行き着く。
ある行為がどれだけ必然性をもって観客に了解されるか、ということである(P47)。

・本書で「不幸」と日本語に訳されている古代ギリシア語は「anekeston」。
「anekeston」の元来の意味合いは「取りかえしのつかないこと」。
「取りかえしのつかないこと」は、
山田太一ドラマの「ありふれた奇跡」で何度も口にされた言葉である(P174)。

・性格も出来事の組み立ても、「ありそうなこと」でなければならない(P60)。

・「詩作は、恵まれた天分か、それとも狂気か、
そのどちらかをもつ人がすることである」(P66)

・アリストテレスは、いわゆる「ハコ書き」をすすめている(笑)(P66)。

・物語りでは不自然に思われないことでも、
うっかり舞台化すると不自然さや嘘くささが露呈してしまうことがあるので要注意(P93)。

・ドラマにおいて――。
×「信じられないけれども可能であること」
○「ありそうでありながら実際には不可能であること」
とはいえ、不合理な要素はなるべく避けたほうがいい。
どうしようもない場合は、進行中ドラマの外に置くべし。
不合理な内容をドラマで見せるのではなく、聞かせなさいということだ(P94)。

・ドラマには「事実のとおりでない」という批判がつきものである。
その場合、こう反論するしかない。
「そうあるべきものとして再現されている」から構わないではないか。
事実をそのまま再現するのがドラマではないということである(P98)。

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09/19 13:15
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