9月10日、表参道にあるシナリオ・センターへ行く。
シナリオは思ったようなものを書けないし、2ちゃんねるでは叩かれるし意気消沈気味。
今日は定時に到着。ドアを開ける。今日も受講生は少ない。わたしを入れて3人のみ。
Uさんの様子がおかしい。大丈夫かよと思う。
一心不乱に書類をめくっているのである。めくり終わると、また最初からめくる。
顔色から憔悴(しょうすい)がうかがえる。風邪でも引いているのではないかと心配した。

シナリオを書いてきたのはわたしひとり。
ゼミ開始時刻から5分が過ぎたのにUさんは書類チェック(?)を続けている。
「Uさん発表してもいいですか? ほら、わたしのシナリオは不愉快なんでしょう。
だから、受講生が少ないうちに発表したいんです」
「そうだね、ハハ」
(「いえいえ、不愉快じゃありません」とか社交を言う余裕もUさんにはないのだろうか?)

発表する。Uさんの講評に入るのだが、師の態度が変わっている。
確認の意味だろう。わたしのシナリオを丁寧に最初から読んでくれるのである。
ありがたかった。耳はどうにも信用ならない。
以下、Uさんの拙作「明日は雨でしょう」への講評。
・スーパーで騒ぐ子を「うるさい」と叱りつける男はいないだろうが、いるかもしれない。
・夫婦の会話「うちの血じゃない」うんぬんはおかしい。
妻の実家で母が娘に言うようなこと。けれども、枚数が少ないのだから、これは仕方がない。
・ナンパのところはいい。
・船上デッキでの男女の会話がよくわからない。
わたしは意図を説明したが(=「本当よりも嘘がいい!」)ご理解いただけなかった。
・ふつうはデッキでお互いの事情を話すものだが、この場合は、この場合は(口を濁す)。
・タイトルの意味を問われ答えたがUさんにはわかってもらえなかった。

タイトルの意味。明日の天気予報が雨でも人間は晴れろと祈るものでしょう。
そこに人間のどうにもならぬ姿勢がある。
で、結局、雨は降る。人間は無力で雨が降るのをとめることはできない(例外あり)。
このとき雨もまたいいじゃないかと思うしかない。
晴れには晴れの味わいを、雨には雨の味わいを感じ取るくらいしか人間はできない。
雨だったら雨を味わい尽くすしかない。
知的障害児を持った親御さんは、
将来先々にわたって「明日は雨でしょう」と予報されたようなもの。
晴れろと祈るが、おそらく明日も雨だろう。
ならば――。雨を味わう、この一点に意義があるのではないか。
しかし、天気予報は絶対ではない。天気予報が外れることもある。
人間は明日なにが起こるか究極的には知りえない。これもまた救いではないか。
こういう意図があって「明日は雨でしょう」を書いた。
おそらく、だれにも伝わらなかっただろうことはUさんの反応から理解した。

さあ、ゼミに戻ろう。あと1時間半以上時間が余っているわけである。
くだらない雑談を聞きたくないからUさんに問う。
「シナリオはどのくらいで見切りをつけるものなんでしょうか」
これは暗にUさんのことを聞いていたのである。いつシナリオに見切りをつけたか?
質問意図が通じていないのか(なわけねーよな)Uさんは一般論を語り始める。
黒板に「10年、20本」と書き出す。
U「ふつうは10年やってものにならなかったらダメと言いますね。
それかコンクールに20本、応募してぜんぶ落ちたらあきらめろ。
ボクも受講生から質問されます。才能あるでしょうか、なんて。
才能の有無は、だれにもわかりません。ボクはそう答えています。
肝心なのは書き続けること。要は書き続けることです。書いてください」

どうしてこの先生は自分を高みに置きたがるのだろう。
わたし「Uさんは10年シナリオを書き続けたんですか?」
嫌味な質問をする受講生だよな。
U「ボク? ボ、ボクのことはどうでもいいじゃない。ボクはね、ボクはね」
Uさんが10年書き続けても芽が出なかったのかはわからなかった。
この先生の口癖は「シナリオはテクニックで簡単に書ける」である。
いつか問いただしてみようと思っていた。
今日は(も?)受講生も少ないからいいチャンス。

わたし「Uさんはいまもシナリオを書いているんですか?」
U「ボクはね、ボクはね。きみはボクのことをよく質問するねえ」
わたし「はい、夢にも見ますから(ごめん、嘘よ)」
U「ボクは、夢には見ないが」
わたし「Uさん、一度シナリオのお手本を書いてみてくれませんか?」
U「きみはシナリオ・センターを辞めたたほうがいい」
わたし「Uさんは本当にシナリオを書けるんですか?」
U「きみはシナリオ作家協会(=別のスクール)に行ったほうがいい。
そうだ。そうしなさい。きみはシナリオ作家協会に行きなさい」
わたし「もしかして講師のUさんがシナリオを書けないなんてことは」
U「きみはシナリオ・センターの仕組みをわかっていないな。辞めなさい」
わたし「怖いんじゃないですか。シナリオ本当に書けますか」
U「きみはシナリオ・センターを辞めなさい」
わたし「きっとUさんはすごいシナリオを書くんでしょうね」
U「シナリオ・センターはそういうことはやっていない。辞めなさい」
わたし「音楽の先生はうまく楽器を演奏することができるでしょう。シナリオも」
U「きみはセンターを辞めなさい」
わたし「シナリオを書くのは楽しいですよ」
U「わかったか? きみはシナリオ・センターを辞めなさい!」

ものすごい修羅場が展開されたわけよ。
シナリオ・ライターを目指したはいいが、まったく芽が出ないで五十を過ぎた男。
にもかかわらず、この五十男はいまでも自分の才能を信じている。
おなじように作家にあこがれ、そのくせ才能のない三十過ぎの男。
この三十路もいい歳をしていまだおかしな夢を見ている。
ふたりのロクデナシがいがみあっている。ギャラリーはふたりのみ。
純文学というか、現代の地獄絵図でしょう(笑)。
成功と縁のない無能な人間同士のちっぽけな尊厳をかけた不毛な論争。
このシーンを映像に録画しておいて、夢を見る若者に見せるべきではありませんか。
身の丈に合わない夢を見ていると将来どうなるかが実によくわかる。
才能がないことの切なさが痛みをともなって伝わることでしょう。
冴えない三十路と冴えない五十男のどこにも輝かしいところのない衝突といったら――。

落胆したのも事実である。Uさんのハッタリはものすごいのである。
「シナリオなんて葛藤を使えばすぐに書ける」
「20枚シナリオくらい1時間で書けないこともないでしょう」
「ボクは女性を主人公にしたシナリオを書くのが好きでね」
大言壮語をよく耳にしたものである。
もしかしたらお手本を書いてくれるのかもしれないという期待がなかったわけではないのだ。
そのお手本シナリオが案外おもしろかったりしたらどうしようか、とまで思っていた。
Uさんが男気を見せてくれる可能性をゼロとはふんでいなかった。

どうなのだろうか。わたしはどこまでおかしいのだろうか。
「シナリオなんかテクニックで簡単に書ける」とUさんはしきりに口にしている。
そのうえ、この先生からわたしは自作を幾度か酷評されている。
先週は「他の受講生に聞かせられないほど不愉快」とのご感想をいただいた。
「そこまで言うなら、おまえが書いてみろよ」と主張するのはおかしいのだろうか。

この問答のおかしなところに気づいたかたはいませんか?
質問は「Uさんはシナリオを書けますか?」。
回答は「きみはシナリオ・センターを辞めなさい」。
変でしょう。質問への回答になっていない。
「はい/いいえ」で答えなければならないのをすりかえているのが明瞭である。
どうしてUさんは回答してくれないのだろうか。
「いいえ」でもいいのよ。「いいえ」で構わない。シナセンは授業料が安いのだから。
「ボクはもうシナリオを書けません。けれど、習作をたくさん読んできました。
だから、もしかしたら、みなさんのシナリオ創作のお手伝いをできるかもしれません」
「いいえ」でも、こう回答してくれたら、こちらは納得するのである。
ところが、Uさんは「はい」も「いいえ」も口にできない。
授業では、まるで自分がむかしプロ作家であったかのようなことをうそぶく。
業界人のような口を聞く。要約すれば「書いたら負け」の世界なのである。
Uさんがシナリオを書いた時点で講師ではなくなってしまう。
シナリオを書かない限り、講師として存在することを許される。
Uさんの心ない講評に傷つき涙をのんでスクールを去った受講生もいたことだろう。
このかつての受講生がUさんのシナリオを読んだら、どんな反応を示すか。
繰り返すが、シナリオ・センター講師は「書いたら負け」なのである。

Uさんにはシナリオを書けないやましさみたいなものがないのだろうか。
シナリオ・センター所長のGさんは、講義で時折もう書けないことをにおわせていた。
だから、教えるしかない。いまはそのことに情熱を持っている。
いまでもシナリオを書いている数少ない講師のひとりKさんでさえも、
Gさんに似た含羞(がんしゅう)を持ち合わせていた。
両先生に好感をいだいたゆえんである。
ところが、Uさんからは恥じらいの欠片(かけら)も感じられない。
とんでもない五十男がいたものだと思う。

10回以上「シナリオ・センターを辞めなさい」と言われるとこたえる。
帰宅後、ある人に電話した。
「それでYonda?さんが本当にシナセンを辞めたら、みんなビックリするだろうね」
ああ、そうかと思う。そうだよな。
Uさんは自分で自分の首を絞めていたことに気がつかなかったのだろうか。
もうシナセンを辞められなくなってしまったのである。
ここで辞めたらUさんに負けたことになるでしょう。
Uさんほどではないが、わたしにも多少のプライドはある。
十回以上も高圧的に「辞めろ」と言われたら、男として辞めるわけにはいかないのである。
これでもう引けなくなってしまった。
Uさんは、どんな人生を送ってきたのだろう。
自分が「辞めろ」と命令したら、他者はその通りに動くと本気で信じているのか。
シナセンでは「セリフは嘘つき」と習う。
あのUさんのセリフには他意があったのだろうか。
本当に辞めさせたいなら、ああ言うのはかえって逆効果だとは思わなかったのか。

わたしはこの日のことを一生、忘れないだろう。この屈辱は忘れられない。
この先生のおかげで自分のいまの立場をいやというほど理解することができた。
Uという人は、五十代男性のなかでもかなりレベルが低いほうでしょう。
ところが、わたしのいまの立ち位置ときたらどうだろうか。
最低の五十男から「辞めろ」と(お願いではなく)命令されるのが現在のわたしだ。
おカネを支払っているのに、「辞めろ」と命令されるほど、おのれのレベルは低い。
この悔しさがおそらく今後のわたしに無限の養分を与えてくれることだろう。
残り22本習作シナリオを書いてやろうと決意する。研修科を卒業してやる。
毎週、Uさんを見たら刺激になるだろう。こういう五十男にだけはなりたくない。
だったら、どうしたらいいのか。懸命に書くしかないのである。
平穏無事だと人間はものを書かなくなる。心中のもだえが創作には必要だ。
Uさんは「書いたら負け」で、わたしは「書かなかったら負け」なのである。
「シナリオ・センター日記」の継続をここに宣言する。

「ボクは憤ってます」とUさんが訴える。「ボクはきみに憤っています」
口にしまりがないUさんは、シナセンの裏側を軽々しく話してしまうのである。
なんでも研修科の2回目(7月23日)、
わたしがいやだという理由で受講生がふたり他のゼミに移ったという。
こういった内部事情をうっかり口にしてしまうほど、この日のUさんは動揺していた。
「だから、ボクはきみに憤っています。いまも憤っています」
このとき、Uさんがなにゆえ憤っているのか正直わからなかった。
後日ようやくわかる。Uさんは自分の不人気ぶりを気にしていたようだ。
ぶっちゃけ、U先生はひどく人気がない講師なのよ。
おなじ曜日の人気講師A先生のゼミなんか20人近く出席しているのでは?
ところが、Uさんのゼミは毎回数人。
課題シナリオを持たずにUさんの話を目当てに出席するものは少ない。
資本主義の世界は厳しい。
わたしも最初にUさんのゼミに入ったとき、あまりのひどさに落胆した。
みなもUさんの指導から同様の感想を抱いたのであろう。
どんどんUさんのゼミから人が離れていく。時間がもったいないと出席しなくなる。
このたびは貴重な受講生がふたりもゼミから離れた。
人気講師ならなんでもないのだろうが、Uさんには憤るに価する事件。
こんな本音をぶちまけてしまっていいのだろうか、とUさんのことが心配になる。

ちなみに余談。あのときUさんのゼミを離れたふたりのうち女性のほうが、
いま2ちゃんねるでわたしを中傷している。
この女性に話しかけられて、あまりの意地の悪さにオドオドしたのをよく覚えている。
2ちゃんにその通りのことが書かれているのだから。
たしかにあのときはオドオドして目を合わせられなかったよ。
この女性はおなじ曜日のべつのゼミに移っている。
だから、偶然にシナリオ・センターで逢ってしまうこともありうる。
わたしは彼女の顔もフルネームも把握している。
顔を合わせたら、どうしたらいいのだろう。
おそらくシナセンに来たら殴ってやると書いたのもこの女性と思われる。
いやはや、顔を(名前も)知っている人が2ちゃんに書き込んでいると思うと複雑です。
一応、ばれていることだけは通達しておくからね♪

Uさんによると、わたしの質問は他の受講生(といってもふたり)に迷惑らしい。
「きみは他の受講生の大切な時間を奪っている自覚を持ちなさい」
なんでもUさんは情報の宝庫で、受講生はみなみなそれを知りたがっているらしい。
わたしが質問をすることで、他の受講生はチャンスを失ってしまう。
驚くのは、Uさんが自分の教えに過剰な自信を抱いていること。
この日は1時間20分近くUさんの授業が展開された。
やたらもったいぶった話しかたをするのはどうしてなのだろうか。
いきなり黒板に「企画書」と書いて、企画書の書きかたを話し始める。
なんでもシナセン人気講師Kさんの企画書講座があるとのこと。
U「おっとこれ以上、話したらK先生の営業妨害になってしまう。
ボクは知っているけれど、そういう事情で教えられないから」
他の受講生がラジオドラマの書きかたを質問したときもおなじ。
U「ラジオドラマの書きかたはH先生の本が事務局に売っているから読んでね。
あまり話すと営業妨害になってしまうから、このへんで」
わたしが下読みについて質問したときも同様。
(下読みは応募者の名前がわかるのか?)
U「おっとこれ以上は企業秘密だから話せないな」

Uさんの自己イメージは、自分はシナリオについてなんでも知っている博識の先生。
だったら、もったいぶらずに話せばいいと思うのだが、わけわかんないよな。
成功と縁のなかったUさんの人生を考えるともうどうしようもないのだろうが、
この先生の見栄、虚勢、ハッタリには目を覆いたくなる。
見ていて痛々しいのである。もう少し自虐の技術を学んだほうがよろしい。
まあ、あまり自虐をされるとUさんの場合、とんでもないことになりそうだが……。

ラーメン屋さん。客が来て「まずい」と言う。「代金はいらないから帰れ!」
これは正しい。代金を取っておいて「帰れ!」はない。
ラーメン屋ならおいしいラーメンを作る努力をしなさい。
シナセン講師なら、いかに受講生を満足させられるか一生懸命に考えなさい。
アリストテレスの件もそうだが、Uさんは勉強不足。
いまNHKでやっているドラマの名前でさえパッと出てこなかった。
来週も出席者は少ないだろう。どんな名講義を聞かせてくれるのか楽しみである。
いちばんいいのは自分の話をしてしまうこと。
コンクールに落ちたときの悔しさ。再度挑戦するまでの気持の運びかた。
初めて自作の3分アニメがテレビで放送されたときの喜び。
こういうUさんでなければ話せないことを、わたしは教えてもらいたいと思う。
見栄や虚勢を捨てて裸になったU先生のお姿はすばらしいと思いますよ。
それは成功とか失敗に関係のない人間本来の魅力になるのだから。

こんなことをUさんから言われたな。「きみのことはG先生からよく聞いている」
G先生とはシナリオ・センターの所長さんである。思えば、あの情熱が懐かしい。
わかったのは、わたしの存在が想像以上に内部で噂になっているらしいこと。
これで研修科初日のUさん行動の真相がわかった。
そうとうGさんからわたしの噂を聞いていたのだろう。
Uさんはおかしなハッスルをして、「やっつけてやろう」と思ったに相違ない。
結果、あの不幸な出逢いとなってしまったわけである。

ひとつ心配していることがある。Uさんが壊れてしまわないだろうか。
来年の3月までなんとか持ちこたえてほしい。あと22回お互いがんばりましょう。
というのも、Uさんがちょっとおかしいような気がするのだ。
シナセンには会報の「シナリオ教室」という月刊誌がある。
Uさんのまえにこの雑誌が開かれて置いてある。
見ると、黄色い蛍光のマーカーであちこち塗りつくされているのだよ。
ふつう人は重要な部分にしるしをつけるでしょう。
ところが、Uさんはページ全体を黄色の蛍光ペンで塗りたくっている。
黄色に光る「シナリオ教室」からわたしは狂気を感じてしまった。

悔しいのであえて書かなかったが「辞めなさい」と十回以上命令されてひどく傷ついた。
この長文記事の分量から、わたしの尋常ならぬ苦悶をご理解いただけると信じている。
なんとかこの屈辱をシナリオ創作に生かしたいと思う。
Uさんも追いつめられたところからシナリオを書けばいいのにと心底から思う。
五十代からのプロデビュー。格好いいではないか。
たとえコンクールで入賞しなくても書けばいい。なぜならシナリオを書くのは楽しいからだ。

COMMENT

- URL @
09/14 11:26
承認待ちコメント. このコメントは管理者の承認待ちです
- URL @
09/22 11:07
. 教える人物がそれを自分で行なう能力に秀でている必然性はありません。何か勘違いしていませんか?
「伝わらなかった」「わかってもらえなかった」と何度も書いていますが、仮にそれが相手の理解不足・洞察力不足だったにせよ、ものを伝えることを学んでいる場で相手に伝えられなかったのは自分の能力不足です。そんなこともわからないで何をやっているんですか?

>なぜならシナリオを書くのは楽しいからだ。

だったら書いていればいいじゃないですか。自宅で。
Yonda? URL @
10/04 07:34
名無しさんへ. 

貴重なご意見、ありがとうございます。








 

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