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「霧の道」

「霧の道」(井上靖/文春文庫)絶版

→物語を考えるうえで持って生まれたものというのは最重要条件ではないか。
「霧の道」はつぎの一文から始まる。

「三弥子が自分の顔に痣(あざ)があることを、なんとなく意識し出したのは、
小学校へ上がるようになってからである」(P225)


この痣が物語を作ってゆくわけである。
少女は思う。自分は他人と決定的に異なる。
女学生のころ親友の家で逢った画学生を三弥子は忘れることができない。
学生はふたりの似顔絵を描いた。三弥子の似顔絵には痣が描かれていなかった。
逆上した少女はクレヨンを取り上げ絵に痣をつけくわえる。
すると画学生は悲しそうな眼で言ったのである。

「莫迦(ばか)だな、自分の顔も知らないで!」(P240)

画学生は画用紙をびりっと破り、庭に捨てた。
この一回だけの出逢いが三弥子に恋心を抱かせた。
後年、少女は画家となった男に再会する。
画家のそばには美人で知的なきぬ子がおり、しきりに求愛していた。
ところが、画家は美少女ではなく痣のある三弥子に求婚するのである。
以降、画家をあいだに挟んだ三弥子ときぬ子の対立が、物語を進展させてゆく。

「芸術家なんて、持っているものは結局のところ一生変りはしないさ。
顔が一生変らないと同じことだと思うね。
ただその変らない顔が、空々しくなったり、ゆったりと落着きを持って来たり、
極く少しどこかの部分が変るんだな」(P324)

「『痣があるからわたし特別なのね』(中略)
痣そのものに対する特殊な意識からは解放されたが、小さい時から、
長い間痣のために自分が持って来た特殊な考え方は、
あるいは特殊な感じ方は、今もそのままそっくり自分は持っていると思った」(P335)


だれもが見える見えないにかかわらず痣を生まれ持っているのかもしれない。
このどうしようもない痣は人間をときに孤独にし、ときに寄り添わせる。
痣は見えないことのほうが多いだろう。
だが、どれほどわれわれはこの痣に生きかたを制限されているか。
物語とは、気ままな自由人の交歓ではない。
痣に縛られた囚人たちのうめきではなかろうか。痣は死ぬまで取れないのである。

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