わたしのどもり

持って生まれた吃音症に悩んでいた時期がだいぶありました。
吃音、どもりです。みなさんのクラスにもひとりはいたのではありませんか。
つっかえて言葉がうまく話せないため、笑いものになっていた児童です。
村上春樹は「ノルウェイの森」でどもりの青年を嘲笑的に描写しています。
死ねよ春樹と思いましたが、一般の人間の吃音者への認識はこの程度なのでしょう。
当事者はたいがい死ぬほど苦しんでいるんですけどね。
言葉がつっかえて出てこない状態の人って健常者から見たらそんなにおかしいんですか。
あわてないで落ち着いて話せばいい、なんて思っているのでしょう。
ちがいます。吃音は癖というよりも神経症の一種です。つまり、病気なんです。
治るかといったら、ほとんど治らない。軽くなることはあるらしいですけれど。
わたしがどもりになった原因は判明しています。
父も吃音症。疑いもなく遺伝です。
父もどもりのせいでそうとう偏狭な性格になっています。
うまく言葉が話せない。相手と意思疎通ができない。
鬱屈した思いをかかえるのは必然です。
父の3人いる兄妹にどもりはいなかったと聞きます。祖父母も吃音とは無縁。
それなのにどうしてか父はどもりになってしまい、息子のわたしが引き継いだ。
子どもを作る予定(相手かな)はありませんが、万が一、子どもが生まれたら、
やはりどもりになるのでしょうかね。遺伝子学的に興味があります。
この調査に協力してくださる女性がいらしたらメールをお待ちしています。

文学的な両親を持ったものだと思います。
父は神経症(どもり)、母は精神病なのですから。
どもりはみごと遺伝されました。精神病もおそらく遺伝的には入っているのでしょう。
発病するかどうかは、ちょっとわかりません。
わたしの持って生まれたものです。
作家になりたいのは、この吃音が大きく関与しています。
うまく話せないのがいやなんです。たとえば、友人と酒をのんで話している。
寸鉄人をさすようなせりふが思い浮かぶ。ところが、言えないんです。
つっかえてしまう。なんとか言いにくい言葉を避けて内容を伝えたいと思う。
言い回しを変えて、必死のていで言い終えても、ぜんぜん意味をなしていない。
相手の理解していないのがわかるのです。
ああ、頭に浮かんだ通りのことが言えたらどんなにいいだろう。
吃音者は人生で数知れぬほどこの苦渋を味わわなければならないのです。
どもりはおもしろい話が浮かんでも相手にうまく説明できません。
話し言葉はつっかえるからです。発声できない言葉があるからです。
ところが、書き言葉だったら、たとえどもりでも自由に使用することができます。
思い浮かんだ最適の言葉を、計算通りの順番で、相手のまえに提示することができる。
吃音者にとって、こんな嬉しいことはありませんよ。
文章を書くのが好きなのはこのためです。
ここに書いたようなことをわたしは相手にうまく話せないのですから。
小説とは物語だと思っています。物を語る。
ねえねえ、こんな話があったんだよ。聞いて聞いて。
日本のフィクションの源流はこれではありませんか。ホラ話で場を盛り上げる。
わたしがやりたいのもこれなのだと思います。
ところが、どもりだから話者にはなれない。書き手になろうと思ったゆえんです。

他人に向かってどもりであることを告白するのは冒険なんです。
本人は吃音を隠してうまく話しているつもりですから。
吃音者はひとり残らず自意識過剰です。疾病がそうさせるのです。
この人間がどもりをカミングアウトするのは、どこかから飛び降りるような荒行になります。
吃音者はどもりであることを自身の根幹たる秘密として持たざるをえません。
わたしがどもりの悩みをはじめて他人に告白したのは9年まえの夏でした。
大学生で、夏休み。映画「ゆきゆきて、神軍」で知られる原一男監督の
主催するシネマ塾の合宿に参加していました。山口県の萩です。
若人よ、日本を揺り動かすような表現をぶちかましてみないか、というアジがよかった。
原一男先生には、当時通っていた早稲田大学で教わっていました。
合宿の夜、打ち上げみたいなことがあります。
原先生は全共闘世代なんですね。みんなで酒でものんで腹を割って話そうじゃないか。
師弟の別をとっぱらった和気あいあいとした世界を好む。
わたしは缶ビール片手に原一男先生のそばに近づいていきました。
大学の授業でも、なぜかわたしは原先生にかわいがってもらっていたのです。
なんの前置きもなく、ぽつりと告げました。
「原先生、わたしどもりなんです」
映画監督・原一男は「そうかあ」と受けとめてくれました。
ほんと受けいれられた、理解してもらったという気分になったものです。
このときわたしは生まれてはじめて他人に心を開いたのかもしれません。
たかだかどもりで笑われるかもしれませんが、当事者には深刻な問題です。
「そうかあ」と原一男先生はわたしの悩みを上手に引き取ってくださった。
「いいか」と名前を呼ばれました。
「どもりのやつ。指が欠けているやつ。カタワもんだな。
こういうやつらは刑務所に多いんだ」
原一男先生はひと息置きました。
「だがな、芸術の世界でもおなじだ。指の欠けたやつや、どもり。
障害を持ったものが多い」
だから、がんばれよと励まされました。それから――。
「おまえはかならずものになる」
これは教え子全員に言っているサービス精神あふれた言葉なのかもしれません。
生涯でいちばんの思い出となっているすてきな夜の話です。

いまではすっかりどもりを克服しています。
吃音症が治ったというわけではない。どもることが気にならなくなったのです。
きっかけは母の自殺です。さんざん書いたように目のまえで飛び降りられてしまった。
悪口ざんまいの日記を遺されたうえです。
どう言ったらいいのか。ちっぽけな不幸がでかい不幸に塗りつぶされた。
どもりが地獄だと思っていたら、ところがどっこい、そんなものは地獄ではなかった。
母の自殺によって、どもりなんてどうでもよくなったのです。
もはやどもりどころではない。どもりがどうした、という開き直りです。
母の自殺のあとだいぶ原一男先生のご厄介になりました。
父がどもり、つまり神経症で、母が精神病であったこと。
どのようにして神経症の父がエキセントリックな母を愛するようになったのか。
父の成育環境から、母の生い立ちまで話しました。
ふたりは出逢った。結婚してわたしが生まれた。
母が息子のまえで絶命するまでの物語をわたしはふしぎとどもらずに話しました。
原先生はどんなカウンセラーよりもうまくわたしの話を聞いてくださいました。
最後に感想らしきものをひと言、いただいたのです。
「親の因果が子に報いるって言葉があるが、そうとしか言いようがないな」

表現を命がけで志してから早9年。さっぱり、ものになりません。
好きなことをやりつづけてみろ。かならずだれかがおまえを見ていてくれるからな。
ひよるな。表現をするなら大きなものを目指せ。日本を揺り動かすような表現をしてみろ。
恩師・原一男先生のお言葉を懐かしく思い出します。
しかし、ほんとうに師の恩に応えられない不肖の弟子です。
いちばんの恩返しは、世に出て、
いまのわたしがあるのは原一男先生のおかげです、と感謝することなのですが。
いささか吃音症から話が飛躍してしまったかもしれません。
いや、飛躍してはいない。
いまもってこの生まれ持った業病は、わたしの精神の根深いところで幅をきかせている。
ちっともどもりを克服していない。
吃音は治すものでも、克服する対象でもないというのが正しいのかもしれません。
なぜなら持って生まれたものだからです。
父と母が与えてくれたものを棄てて人は生きるわけにはいかない。
わたしはわたし以外のなにものにもなれない。表現の原点です。

(追記)どもりの有名人として知られているのは大江健三郎と重松清ですね。
大江健三郎の吃音は治ってしまったようです。
後年、どもりの会(言友会だったか)から公演を依頼されて、
にべもなく拒絶した大江は笑えます。
重松清はどもりを商売道具にしています。テレビに出演してどもりまくっています。
すわ吃音利権を奪われたか、と悔しがったものです。
このつぎに狙うべきなのは自殺利権でしょうか。

COMMENT

なぎさ URL @
10/29 00:45
. こんばんは
先はご丁寧な返事を頂き、こちらこそ有り難く拝見しました。

「本の山」を続けるお気持ちがある、とのこと、それだけでも素直に嬉しいです。
もし、ヨンダさんの予測のなかにある「破滅」に向かうとしても、私は自称・愛読者として、今後とも、お邪魔させて頂きたいと思います。

自殺利権ですか…
私は自傷利権が欲しいです。
ですが……こちらは席、空いてなさそうですね。
coco URL @
10/29 01:20
. 
奇遇と申し上げてよいのか、わたしの弟が吃音症です。
根アカのどもり、元来おしゃべり好き。
これまであまり気にとめずにきてしまった。
Yonda?さんの記事を拝読して、
弟の思春期に影を落としていたであろう苦悩に
しばし思いをいたす秋の夜長です。

親が与えてくれたものはけっして棄てられませんが、
幸不幸なにが主題であれ、親の脚本は捨てていいのです。

来年早々山田太一の連ドラが始まりますね。楽しみが増えました。
そのうちYonda?さんと、山田太一や仏教の話(地味すぎ?)で
盛り上がってみたいものです。
Yonda? URL @
10/29 19:18
なぎささんへ. 

> もし、ヨンダさんの予測のなかにある「破滅」に向かうとしても

やはり破滅へ向かうべきなのでしょうか。
見ているほうは、そちらが楽しい……。
すいません。意地悪な考えをしてしまいました。
なぎささんのコメントに悪意がないのは存じています。
どうも人間がゆがんでいるのでいけません。

そういえば自殺利権に空きはないかもしれませんね。
最近、プロの作家がどれほど偉大か身にしみてわかりました。
Yonda? URL @
10/29 19:31
cocoさんへ. 

それはそれは奇遇であります。
吃音症の罹患率はどのくらいなんですかね。
精神病とおなじで100人にひとりか。
圧倒的に男性がなるようです。
男女の脳の相違が関係しているとか、なんとか。
むかしどこかで読んだ記憶があります。

枯れ葉舞う秋。
自分の人生にも秋が、そして冬が来るような予感がしてなりません。
弱気で恥ずかしいです。

> 親が与えてくれたものはけっして棄てられませんが、
> 幸不幸なにが主題であれ、親の脚本は捨てていいのです。

どうやったら捨てられるんですかね。
ほんと参っちゃいます。
参った、参ったと日々、あたまをかかえております。

山田太一ドラマ「ありふれた奇跡」ですね。
大げさすぎますが、これを見るまでは死ねないと思います。
考えてみれば、リアルタイムで山田太一の連続ドラマを視聴したことがないんです。
脚本家はこれが最後の連続ドラマと言明しています。
わたしにとって最初で最後の山田太一連続ドラマになります。

以前、教えていただいたアドレスにメール送りました。
サメティ URL @
10/30 17:02
. (;´Д`) 私の父も ”精神分裂病” で、 ”壁や空気” と会話をしてましたyo!
     んで、母親は ”飲み歩き” で ”借金作り” の名人・・・

(´д⊂) 私の青春がどんなだったか分かるでしょ?
      長男だったし・・・w

(^-^)/ 「不遇の人間」には、その人間にしかない ”味” がある!
       Yonda? さん、カンバ!
       
Yonda? URL @
10/30 22:12
サメティさんへ. 

(;´Д`) これはこれはなんともヘビーですねえ。

(´д⊂) 思えば、わたしもろくな青春がなかったです。

(^-^)/ サメティさんを見習ってがんばるお!

仕事ほしい……。
サメティ URL @
10/31 10:22
. >仕事ほしい……。

(^-^)/ Yonda? さんは「どもり」かもしれないけど、
       健康で ”体格いい” んでしょ?
       んじゃ、取り合えず ”肉体労働” でもやって、
       身体を動かしながら考えよう!
Yonda? URL @
10/31 20:06
サメティさんへ. 

(夢だった文筆の)仕事ほしい……です。

書きかたが悪かったのだと思います。
あと、かならずしも健康なわけではありません。
いくつか疾病を持っております。
サメティ URL @
11/01 08:25
. (;´Д`) なぁ~んだ、「金銭的生活苦」とは無縁でしたか・・・

(´д⊂) こちらこそ、読みが浅くてすんません。
Yonda? URL @
11/01 11:17
サメティさんへ. 

ネットにぜんぶ書くわけにはいかないでしょう?

ご助言は嬉しかったのですが、顔文字連発はちょっと……。
申し訳ありません。
mokku URL @
11/04 06:42
出会いなんて. と思ってきましたが、原一男先生とは「そんなこともある」貴重なきっかけでした。素直に飛び込めない僕には、そんな機会はなさそうです。本の中に出会いを求めているのかもしれません。
Yonda? URL @
11/04 06:47
mokkuさんへ. 

いまではたまに思うことがあるんです。
原先生に逢わなかったら、
人生こんなめちゃくちゃにならなかったかもしれないと。
いや、そんなことはないんでしょうね。
逢う人とはどうしても逢ってしまう。
人生の喜びも悲しみもこの法則から逃れえないのかもしれません。
akky URL @
11/05 01:04
. 私はYondaさんは非凡だと思うし、何か違う仕事で生計を立てるのは結構ですが、あきらめるのは早いような気がします。とりあえず同じような文筆業で生計を立てている方や志している方と情報交換されてはどうでしょうか。MIXIとかありますし。
Yonda? URL @
11/05 01:14
akkyさんへ. 

わたしごときにはもったいないご助言ありがとうございます。
あきらめているわけではないのです。
断じて、あきらめられるものではありませんから。
情報交換のすすめ、しかと聞き入れました。
今後の参考にいたしとうございます。
コメント、ほんとうにありがとうございます。
- URL @
11/09 21:50
承認待ちコメント. このコメントは管理者の承認待ちです
Yonda? URL @
11/09 22:13
Dockyardさんへ. 

吃音は人間存在の根幹とかかわる疾病だと思います。
「おれはどもりを治した」と威張る阿呆にはやりきれません。
治るとはなんなのか。治ればいいのか。複雑です。

> 「愛と悲しみと時 アウグスト ・ストリンドベルイとの二年半」

たしか共著で、いろんな偉人のノンフィクションが収録されているものかと。
「日本の古本屋」にありましたが、買いませんでした。

ほかにはストリンドベリ最後の恋人が書いた暴露本(?)があります。
実物は、池袋リブロの古本市で見つけました。
ところが1万円! ふざけるなと思い、買わなかったです。

ところで、ふたたび吃音者。
けっこうな割合でいるはずなのに、ほとんど街では見かけません。
まさかみんな刑務所や工場にいるとは思えません。
いったいどこに生息しているのか。ふしぎです。
Yonda? URL @
11/13 22:22
こほん♪. 

本日ひとつのコメントが消えたのは、
わたしが削除したのではなく、
文責者様のご判断であります。

ちなみにパスワードを設定すると削除改変可能になります。
「本の山」はなるたけ、いただいたコメントを削除しない方針です。
(このコメントは近日中に削除するかもしれませんが)

いま仕事探しに明け暮れております。
コンビニや警備員しかないのだろうかとです。
- URL @
11/15 20:21
管理人のみ閲覧できます. このコメントは管理人のみ閲覧できます
すぐり URL @
11/16 13:22
がんばれ~♪. 
Yonda?さん、いま、お仕事を探しているところなんですね。

どんなお仕事に就いても、Yonda?さんなら、新しい苦楽を鮮やかな文章に仕立ててしまいそうですね。
Yonda?ワールドの新展開を愉しみにしています。

季節の変わり目、お身体には気をつけて、
お仕事探し、どうぞ、がんばってくださいね♪
ムー大陸from携帯 URL @
11/16 22:40
管理人を介さないやりとり. ↓さわやかや~W
Yonda? URL @
11/17 21:00
すぐりさんへ. 

お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
応援ありがとうございます。
調べてみたら、いろんな仕事があるんですね。
なにかできるものがあるかもしれません。
最後にどかんと読書をするつもりです。
「本の山」は読了報告がメインなので、
日記のようなものを書くかはわかりません。
Yonda? URL @
11/17 21:19
ムー大陸さんへ. 

ムー大陸さんがむさくるしいなんていつ言いましたか?

あと携帯とパソコンのコメント欄では、矢印が反対になるようです。
パソコンから見ると、まるでわたしがさわやかなようです。ぽっ。
- URL @
11/19 18:58
承認待ちコメント. このコメントは管理者の承認待ちです
Yonda? URL @
11/20 06:08
kotobayoiさんへ. 

失礼ですが、ご商売かなにかでしょうか。
よく意図がわかりません。
わたしはどもりをあきらめています。
軽くなることはあっても、治りはしないでしょう。
kotobayoiさんは、なにをご希望されていますか。
「本の山」はメールアドレスを公開しています。
yondayonda@mail.goo.ne.jp
ヨムヨム URL @
04/03 12:57
突撃隊. こんにちは、はじめまして。

Yonda?さんの記事をみて、なるほど実際に『ノルウェイの森』の突撃隊のところを読んで、どもりの青年が嘲笑したもので許し難いと感じられる方がいるのだなと思いました。どもりの症状に悩んだかたは特にそのように感じやすいのかと。

ただご自身どもりの症状を持ちながら、かつこの突撃隊の描写を問題とせず、村上春樹を評価している作家といえば、僕の知る限りでは大江健三郎さんや村田喜代子さんがあげられるのではないかと思います。

小説は様々な解釈があり得るので、もちろんYonda?さんの解釈や受けとられた感じ方を私は否定するものではないのですが、私が『ノルウェイの森』の突撃隊をどのように捉えたのかも書いてみたいと思います。

突撃隊は成長過程にある主人公のワタナベが自分の姿を映す鏡として出会った他者の一人で、青春の過程で出会い衝突し愛情を育んで失ったかけがえのない存在として登場しているのではないか。

実際、ワタナベは同居者としての突撃隊がいかに困った奴でコミカルなキャラクターなのかという事を多少意地悪な視線で描写し直子を笑わせます。ここで直子は差別的な意図で突撃隊を笑ったのではないと思います。ただYonda?さんも指摘される通り、どもりの症状で苦しむ人がいるということについての普通の男の子や女の子の問題意識は、このようなもので、それほど鋭敏では無いんですね。そういうところに、ワタナベや直子の平凡さや未熟さ限界、一言でいえば若さが的確に表現されていると思います。ただ登場人物であるワタナベが未熟であることと作家本人の人格とはまた違う問題です。『ノルウェイの森』においても、作者が突撃隊のようなどもりの青年は笑いものにして良いというメッセージで取りあげているのか、読者に突撃隊の気持ちを喚起してワタナベの問題(あるいはどもりに対する一般の感覚)を見せているのかというところです。私は作家の意図はむしろ後者ではないかと思いました。

最後に突撃隊が去った後の一節をちょっと引用しています。
>突撃隊がいなければ僕がその清潔さを維持するしかなかった。僕は毎日床を掃き、三日に一度窓を拭き、週に一回布団を干した。そして突撃隊が帰ってきて「ワ、ワタナベ君、どうしたの?すごくきれいじゃないか」と言って賞めてくれるのを待った。 しかし彼は戻ってはこなかった。
Yonda? URL @
04/03 20:09
ヨムヨムさんへ. 

貴重なご意見ありがとうござます。
よくわかりませんが、ヨムヨムさんは熱心なハルキストなんですね。
好きな作家がいるというのは、とてもいいことではないでしょうか。

正直にいまの本音を申し上げますと、「ノルウェイの森」とかどうでもいいんです。
最近、腹の底から悟ったのですが、小説なんて有閑階級の暇つぶしですよね。
いざ生活苦に追われたら、小説なんてどうでもよくなります。
そして大半の人は、小説なんてどうでもいい。
それどころではない。
世間知らずで幼稚な当方がこのところ身に染みて実感した真理であります。
たぶん期待されている返答ではないでしょうから申し訳ありません。
議論したいわけでもございません。
もう世界のハルキもどうでもいいんです。ごめんなさい。
ヨムヨム URL @
04/03 20:29
Yonda?さんへ. お返事ありがとうございます。

村上春樹さんは私にとって比較的に好きな作家の一人で、かつ尊敬している小説家の一人でもあります。ただ私自身についてはハルキストという形で自己同定してはいません。一番好きな小説家は他にいますし、春樹さんは多くの好きな作家のうちのお一人だという位置づけです。

>最近、腹の底から悟ったのですが、小説なんて有閑階級の暇つぶしですよね。

そうですか。小説に対する関心を無くされたのですね。私自身、有閑階級とはとても言いがたい苦難のなかにありまして、むしろ物語ということに強い関心を抱くようになりました。

ただYonda?さんのおっしゃるように今日では多くのかたが小説なんてどうでもいいのではないか、たいした重要性なんか無いんじゃないかと捉えているのは事実ですね。

もちろん議論する意味では無いのだけど、私の場合はむしろ苦難のなかでもうどうにも自分の生き続ける動機や心持ちのあり方が確認できなくなった時に、つまりこのまま歩き出せないと思った時に、初めて「物語」ということが大事な意味を持ち始めました。

いろいろな捉え方、生き方があるのだと思いました。お邪魔しました。
Yonda? URL @
04/06 23:20
ヨムヨムさんへ. 

現実と物語ってなんなんでしょうかね?
現実が嘘で物語が本当ということもございますでしょう?
その人の信じたものが本当になるようなところがあります。
世界のハルキ・ムラカミは大学卒業以後、まったく読んでおりません。
たぶんわたしの現実とまったく無関係の物語だったからでしょう。
だから、悪いというわけでもありません。
ありきたりな言葉ですが、ま、人それぞれであります。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/1876-9ee7d22a