「図解雑学 ゲーム理論」

「図解雑学 ゲーム理論」(渡辺隆裕/ナツメ社)

→最先端の学問領域を図解雑学シリーズでおいしくいただく。
読書家の知る喜びのひとつである。なにも小説を読むだけが読書ではない。
ゲーム理論は、ミクロ経済学から細分化された専門領域のひとつ。
高等数学の到達点のひとつでもあるらしい。
たとえば、有段者がコンピュータと将棋をやって負けてしまうことがある。
このときコンピュータのやっているのがゲーム理論の計算なのだ。
ルールが一定、なおかつ偶然性が介入しないとき、相手の行動をいかに予測するか。
ゲーム理論は、いまでは企業経営などにも活用されている最先端の学問である。
といっても、経済学だからやっぱりインチキなんだけどね(笑)。

有名な「囚人のジレンマ」を紹介しよう。
美香は伸一と夫婦である。ところが、美香は昇との熱愛に落ちる。
ふたりにとって伸一は邪魔な存在である。伸一よ、死んでしまえ!
美香と昇は伸一を殺害する。
刑事は重要参考人として美香と昇を警察署へ引っ立てる。
このときの状況をゲームとして考えてみるとこうなる。
ふたりに許された行動はふたつ。自白するか、黙秘するか。
1.美香と昇がともに黙秘したら無罪放免。
2.美香が黙秘して昇が自白したら、美香が主犯となり懲役10年。昇は懲役2年。
3.美香が自白して昇が黙秘したら、昇が主犯となり懲役10年。美香は懲役2年。
4.美香と昇がともに自白したら、共犯が成立し美香も昇も懲役7年。

図にしたらわかりやすく、ふつうはそうするのだが、技術がない。すんません。
このゲームの解は決まっているというのがゲーム理論の主張である。
解は必ず4になるという。ふたりとも自白する。
本来なら1になるのがいちばんいいのである。どうして1にならないのか。
美香の身になって考えてみよう。
美香はふたつの選択肢がある。自白するか黙秘するかだ。
もし自分が黙秘して、昇が自白したら主犯にされてしまう。
自分が自白して、昇が黙秘していたらわずか懲役2年で済む。
どちらも黙秘していたら最高なのだが、
狡猾な刑事は昇が自白したことをにおわせることだろう(たとえ事実でなくても)。
よって、美香は必ず自白する。
おなじような論法で昇も間違いなく自白する。
したがって、このゲームの解は4以外にないというのである。

応用してみたい。
今度のプレイヤーは創価学会と日蓮正宗。ふたつの宗教団体は反目している。
取りうる選択肢はふたつあるとする。
ひとつは、相手を誹謗中傷する。もうひとつは、相手の長所を認める。
このゲームの結果として予想されるのは4つ。
1.創価学会、日蓮正宗ともに相手の長所を認める。
2.創価学会が日蓮正宗の長所を認めて、日蓮正宗は創価学会を誹謗中傷する。
3.創価学会が日蓮正宗を誹謗中傷して、日蓮正宗は創価学会の長所を認める。
4.創価学会、日蓮正宗ともに相手を誹謗中傷する。

このなかでもっとも良いのは1である。
最悪なのは4。誹謗中傷合戦は一般人から気持悪い、怖いと思われてしまう。
創価学会にはふたつの選択肢がある。誹謗中傷か相手を認めるか。
もし創価学会が相手を認めて、日蓮正宗が誹謗中傷してきたら、
信者の何割かが向こうに行ってしまう。
日蓮正宗が創価学会を認めてくれ、こちらが日蓮正宗を誹謗中傷できたら、
向こうの信者の何割かが創価学会へ入ってくれる。
こう考えたら取りうる選択肢は、相手を誹謗中傷するしかない。
日蓮正宗もむろんおなじように考える。このため宗教ゲームの解は4しかない。
創価学会と日蓮正宗はいがみあうしかないわけである。
一般の日本人は、ふたつの宗教団体を見て引いてしまう。
これは創価学会にも日蓮正宗にもプラスにならない。けれども、結果は変えようがない。
まさしく「囚人のジレンマ」である。

なるほどと感心してしまったあなたはだまされている。
ゲーム理論の根本にあるのは、プレイヤーが合理的に行動することへの信頼だ。
ところが、人間は実のところ、まったく合理的ではない。
このことこそ逆説的にゲーム理論が証明してしまったことなのではないか、
という考察さえも可能かもしれない。
たとえば、最初のケース。美香は情熱的な女である。ほんとうに昇を愛している。
だから自分が黙秘して、昇が自白しても構わないと考える。
愛する昇の懲役年数が減るのならいいではないか。
このときゲーム理論は誤まったことになる。最先端の学説が齟齬(そご)をきたす。
宗教戦争とておなじことである。
創価学会名誉会長の池田大作氏が本物の宗教者なら、
他宗を誹謗中傷などしないはずである。断じてさせないはずだ。

ゲーム理論の弱点は人間を舐めているところである。
人間など知れたものと高をくくっているところがたぶんにある。
人間は自利(我欲)だけで利他は行なわぬと決めつけてかかっているのだ。
人間は一銭の得にもならぬことでもがむしゃらに遂行する存在である。
あえて損をするようなことさえなしうる。わざとゲームで負けることもある。
ゲーム理論の主張では「走れメロス」のメロスは帰ってくるはずがないのである。
ところがどっこい、メロスは戻ってくる。
文学やドラマは、ゲーム理論にあてはまらない人間を描くものといえよう。

企業戦略にゲーム理論を取り入れようという風潮があるらしい。
おのおのをプレイヤー、全体をゲームとしてとらえるやりかたである。
ゲーム理論に成功の秘訣があると思い込む企業人もいる模様。
だが、ゲーム理論の主張など大したことはないのである。
要は「相手の立場になって考えよう」なのだから。
これは大昔にカーネギーが成功哲学の古典「人を動かす」に書いたことではないか。
ゲーム理論的ビジネス作法など、実はめずらしいものでもなんでもない。

インセンティブというカタカナもゲーム理論の用語。
インセンティブとは動機、誘因のこと。
たとえば、保険契約。
ひとたび保険に加入してしまうと気がゆるみ病気になりやすくなる(暴飲暴食)。
たとえば、固定給。
給料が定額だと社員が努力をしなくなる(適当に働いても給料はおなじ)。
どちらもモラルハザード(道徳の荒廃)から生じると考えられる。
この場合、インセンティブをつければいいとゲーム理論は主張する。
保険では、10年間病気をしなかったら10万円のボーナス。
職場では、よく働いたものに臨時ボーナスの支給を約束する。
こうしたら全体の利益が上がるという経済学の知見である。

ほんとうにそうだろうかと思ってしまう。
ゲーム理論は、人間を甘く見ているところがないか。
たとえインセンティブなどなくても、石橋をたたいて渡る健康オタクもいるのではないか。
たとえ固定給でも仕事に誇りを持ち、立派に職務を遂行している労働者はバカなのか。
人間は合理的ではない。
安価なものと高価なものがあったとき、あえて高価なものを買うのが人間だ。
たとえ1億円貯金があっても自殺してしまうのが人間ではないか。
ゲーム理論なんぞに洗脳されて企業経営をしたらとんだ失敗をするはずである。
経済学は趣味にとどめるべきで決して実践に移してはならないと思う。

COMMENT

おざわ URL @
02/21 00:58
インセンティブの弊害. はじめまして、Google検索から流れてきました。
私のサイトに、インセンティブ(賞罰)を使った教育の弊害を説いた心理学の本の引用があります。おそらく大人でも同じような心理になると思います。よろしければ参考までにどうぞ。

罰の弊害
http://ronri2.web.fc2.com/data/oyagyo01.html

賞の弊害
http://ronri2.web.fc2.com/data/oyagyo02.html
Yonda? URL @
02/22 07:03
村石太レディ&聖徳太子さんへ. 

どうなんでしょうね。 むずかしい問題です。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/1840-7f74391c