「図解雑学 ミクロ経済学」

「図解雑学 ミクロ経済学」(嶋村紘輝・横山将義/ナツメ社)

→経済学の目的は、なるべく多くの人間の欲望を充足すること。
そのためには、どのようにカネを扱えばいいのか。経済学の問題である。
経済学には、大きくわけてふたつの潮流があるという。
新古典派経済学とケインズ経済学である。
人間が欲望のままに商取引をすると市場の「見えざる手」が働きすべてうまくいく。
需要のないものは値下がりして買われ、高価なものは供給過多により値下がりしていく。
放っておけば市場のメカニズムが機能して万人が満足するという、いわば楽観論である。
これが新古典派経済学と呼ばれている。

もうひとつは、市場というのはそんなに万能ではないのではないかという疑義から始まる。
もっと政府が市場に介入したほうが結果的にうまくいくのではないか。
たしかに自由競争はいいのだが、放置しておくと市場がとどこおる。
政府が規制を加えることで、より自由な競争、つまり市場が活発化するのではないか。
そのためにはどうしたらいいかを問題にするのがケインズ経済学である。
新古典派経済学とケインズ経済学。
ふたつのうちどちらが正しいかという問いはナンセンスらしい。
ある局面では新古典派経済学を応用し、べつの場面ではケインズ経済学で解決する。
いまの経済学のありかたである。
傾向としては、マクロ経済学ではケインズ経済学との関連が深い。
ミクロ経済学は、おもに新古典派経済学のもとに理論が進められる。

マクロ経済学では市場全体の効率が考えられたのとは対照的に、
ミクロ経済学では名の通り個々の家計、商店、企業の経済が問題となる。
ミクロ経済学においても、一見もっともらしい計算式やグラフが登場する。
自営業者ならだれでも耳にする損益分岐点なんざもミクロ経済学出身の用語。
経済学という学問が経営のノウハウまで指導してくれるのだ。
ミクロ経済学のインチキはマクロ経済学よりも証明しやすいように思う。
たとえば、ミクロ経済学が専門の大学教授が商店を経営したら必ず成功するか?
ここにミクロ経済学のウソが明確に現われてしまう。
つまり、役に立たないのである。
おそらくミクロ経済学をまったく知らないで成功した商売人も多いはずである。

赤字経営の居酒屋があったとする。
ミクロ経済学的には操業停止点(=やめなさい!)という判断がくだせるとする。
けれども、居酒屋の大将は店を閉めません。
人間には見栄があるからである。この見栄を経済学ではとらえきれない。
居酒屋のオヤジなんていう人種はツブシがきかない。
いまさら他店の皿洗いなんてプライドが邪魔をしてやれないのだ。
こうして経済学的には意味のない赤字経営をつづけている。
すると近所のビルにテナントが入り、そこの社員がお得意さんになってくれた。
もしくは火事に巻き込まれる。火災保険が入り、逆にもうかってしまう。
このような偶然を経済学はからきし予想することができないわけである。
ミクロ経済学は見たところ役立ちそうだが、その実、机上の空論なのであろう。

ミクロ経済学から教わったことをまとめてみる。
まあ、どれも当たり前のことと言えなくもないのだけれど。
通常、価格が下がると需要は増え、価格が上がると需要は下がることになっている。
けれども、必需品(食料、住居、電気、ガス、日用雑貨)は価格と需要の相関性が少ない。
たとえ価格が上がっても需要はさほど変わらないということだ。
野菜が豊作になるとかえって農家の収入が激減してしまうことの説明はこれでつく。
供給が多いと価格は下がるものの需要はあまり変わらないゆえである。
この事実をもっともらしくグラフで説明するのがミクロ経済学だ。
いっぽう奢侈品(しゃしひん=必ずしも必要ではないもの)は必需品とは異なる。
安くすれば、そのぶんだけ売上も上昇する。
家電量販店が安売合戦でかえって利益をあげているのはこのためである。

閑話休題。みなさまに質問。書籍は必需品か奢侈品か。
通常の場合だとむろん奢侈品に分類されることと思われる。
けれども、いくら安くなろうと興味のない本は(ゴミゆえ)いらないでしょう。
いっぽうある種の活字中毒者にとって書籍は食料同然の必需品となる。
かといって、いくら高い本でも買うというわけではない。
無学を恥じる高卒の経営者なぞは、読みもしない高額な書物を頻繁に購入する。
この書籍の例ひとつをとってもミクロ経済学では説明のつかないことが多過ぎはしないか。

なぜ映画館には学割があるのか。
これをミクロ経済学的に説明すると、つぎのようになる。
大人は価格弾力性が小さい(価格に鈍感)ゆえ値下げによる増員は期待できない。
だから1800円である。
学生は価格弾力性が大きい(価格に敏感)ゆえ値下げによる増員が期待できる。
だから1500円である。
なんだかわかったような気分になったあなたはだまされている。
学問っぽい気がするのは「価格弾力性」という専門用語があるため。
これがなかったら、なにが学問なんだという話になる。
映画館の学生割引は経済学的な意図はなく、ただの慣習とも考えられはしないか。
そもそも経済学自体、慣習や慣行の追認に堕している部分が少なくないと思う。
俗に言うところの後出しジャンケンである。この点、社会学と一脈を通じる。
数々のハレンチ行為を引き起こした経済学者・植草一秀、
別名ミラーマンはかれの専攻する学問を象徴する存在のように思えてならない。

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