「わが恋せし乙女」

「わが恋せし乙女」(木下恵介/日本シナリオ文学全集1/理論社)絶版

→映画シナリオ。昭和21年公開作品。
木下恵介は、日本を代表する映画監督。あの黒澤明と比されることも多い。
山田太一のお師匠さんでもある。
脚本家は木下恵介のもとで長いあいだ助監督をしながら映像のイロハを学んだ。
あの山田太一を育てた映画監督のシナリオである。
どれほどのものだろうと期待は大きかった。
ちなみに「二十四の瞳」「新・喜びも悲しみも幾歳月」のシナリオは既読。

結論から先に書くと、このたび6つのシナリオを読んだが、
よかったのは「わが恋せし乙女」くらい。
映画監督としては一流なのかもしれないけれど、
脚本家としては二流、三流と言わざるをえない。
映画を観ないでこのようなことを書くことを批判されるかもしれない。
だが、シナリオのつまらない映画はとても観ていられないのである。
途中で消してしまう。
これがシナリオならたとえ相当に退屈でも最後まで読み通すことができる。
ビデオで借りればいいものを、わざわざ絶版シナリオで読むのはこのためだ。

佳作「わが恋せし乙女」に話を移そう。
センチメンタルでとても美しい話である。
敗戦直後の絶望のなかで、この映画がどれほど観るものを感動させたことだろう。

健康的な光につつまれた牧場の物語である。
甚吾は恋をしている。相手は、小さいころから兄妹として育てられた美子。
ふたりは血がつながっていないのである。
美子は赤ん坊のころ、この牧場に捨てられていた。実母は近くで自死を遂げた。
不幸な生まれの美子だが、さいわいこの家のものに愛されながら養育され、
いまは美しい女性となっている。
戦争から復員してきた甚吾は、美子へプロポーズしようと考えている。
ところが、美子は好きな男がいるという。結婚したいという。
野田というインテリの青年である。負傷兵として戦場から送り返された。
ひどいびっこでまともに歩けないほどの片輪である。
甚吾は迷う。ふたつにひとつである。自分の幸福か、美子の幸福か。
野田に逢ってみようと甚吾は決める。
美子にぜひ野田を牧場につれてくるようすすめる甚吾であった。
この物語の美しさは野田にあるのではないか。恋敵である。
たいていの物語作家なら、この野田を悪人にしてしまうだろう。
だが、木下恵介はびっこの野田を人格的にすぐれた青年として描くのである。
重傷を負い片輪になったことで野田は人間として成熟した。
甚吾と野田は、おなじ戦地におもむいていたことが判明する。

「お互にひどい目に会いましたね」
「思い出してもゾッとしますよ」
   甚吾は野田の口許に見入っていました。
「僕は思うんですけど、死ぬほどの苦しみをして来た人でないと、
本当に生きている事の有難味が判らないじゃないかしら、
そうして又、生きている事の有難味を知っている人なら、
決してくだらない生き方をしないと思うんですけど」
「でも、そんな負傷をしなければ、もっと良かったとは思いませんか」
「そうは思わないんです、このびっこのこの足をこうやってなでていると、
よくも生きていられたと思って、この足が堪らなく可愛いくなってくるんです。
こんな醜い足でさえ可愛いんですもの、世の中のことは何でも可愛いですよ、
まして憎んだり怨んだりする気持にはなりませんから」
   そう言われて甚吾は自分の気持を見詰る」(P28)


甚吾は美子へ愛を伝えることを断念する。
ふたりの幸福な結婚を祝福しようと思い定める。
「わが恋せし乙女」が好いた男と結婚して幸福になるのならいいではないか。
自分はいさぎよく身を引こう。なんと清潔感あふれる恋慕のかたちであろうか。
甚吾の本心を知る母親はこれで本当にいいのかと息子を問いつめる。
甚吾の決心は揺るがない。

「甚吾や、おっ母さんは今夜ほどお前を褒めてやり度いと思ったことはないよ」
   甚吾、笑い顔になって、
「いやだな、おっ母さんから褒められちゃテレ臭いじゃないか、さあ……」
   と二人外に出てゆく。
   外では若人達の唄声が楽しそうに聴えています」(P32)


シナリオを読みながら涙がとまらなかった。敗戦がこの物語を作ったのだと思った。
打ちひしがれた国民がこの物語を必要としたのである。
人間は捨てたもんじゃない。
いくら焼け野原になろうと真に美しいものは焼失せずに残存している。
勝つばかりが能じゃあない。負けたっていいではないか。
恋に敗れたって構わない。そこに美しいものがあれば。「わが恋せし乙女」がいれば。
断念しよう。あきらめよう。それから、笑おう。できたら、笑おう。
敗戦国民のいかほどが映画「わが恋せし乙女」に救われたことだろうか。

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09/20 15:20
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11/21 14:36
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