「シナリオ創作論集」

「シナリオ創作論集」(松本孝二編/映人社)絶版

→月刊誌「シナリオ」に掲載された作家の創作論を集めて1冊にしたものである。
初版は30年まえだが、この時代からすでに映画で食べていくのは難しかった模様。
作家たちを支えている映画への情熱に圧倒される。
実のところ、わたしは映画に関心がない。
むしろ、嫌いと正直に言ってしまったほうがいいのかもしれない。
思えば3年まえに原一男監督の新作を観て以来、映画館へ足を向けていない。
映画の押しつけがましさに辟易するのだ。
監督の思い入れが強いぶんだけ、そのワタクシ性に重苦しいものを感じてしまう。
たとえれば、自慢話をえんえんと聞かされる不愉快に似ている。
「おれの話を聞け」「おれの映画を観ろ」――おれおれおれである。
完全娯楽映画なら観ても構わないのだが、あいにくテレビで間に合っている。
わざわざカネを払ってまで観たいとは思わない(そのうちテレビで放送されるしね)。

では、なにゆえこんな書物を読むのか。
不遜な話で恐縮だが、シナリオなら書けるかもしれないと思ったからである。
とにかく風景描写が苦手である。シナリオは場所指定だけで描写が不要。
これならばと甘く考えたのだ。
さいわい戯曲なら人よりも数を読んでいる。
うまくいけばカネになるものを書けるかもしれない。
言うまでもなく、創作はそんな動機で志すものではない。
あらためて本書から教えられたことである。
創作の根本には表現欲がなければならぬ。

「私の場合も、最初はコンスト(箱書き)なんかは作りませんでした。
こういうことを書きたい、こういう事件を描きたい、こういう理不尽なことを訴えたい、
さまざまな衝動はあるでしょうが、その衝動にかられて、
いきなり思いついたファースト・シーンから書き、人物名もその場その場で考え、
とにかくワン・シーンを書いたら、次のシーンが自然に浮かんで来る。
浮かぶというより、自然の流れとしてそうなる」(P150 国弘威雄)


「……シナリオを書いた。書いたというより書きなぐった。
そしてあっという間に書きあげた。
他人に読んで貰うとか、シナリオ・ライターになりたいとか、
欲も得もなかった、ただ書きたかっただけなのであった。
シナリオ・コンクールに当選したがそれはあくまでも結果であり、
とまどい以外のなにものでもなかった」(P311 勝目貴久)


まったくその通りだと思う。書きたいことがないものは、書かなければよろしい。
書けないのなら、書かなくていいのだ。
しかし、時間というものがある。時間が解決することもまたあるのではないか。

「以来九年間、私はスクリプターとしていろいろな映画造りに参加して
病気の為に廃業したが、いつまでもブラブラしている訳にも行かず、
志してから約十年目に、初めてシナリオを書いてみた。
師となる人はいなかったが、書けば書けたのである」(P277 小山内美江子)


「大学を卒業したものの、私はあまりに晩学に過ぎて、思うような就職口がなかった。
在学中からのアルバイトを続けることで糊口をしのいだ。
学校へ行かなくてもよくなっただけ暇ができた。
そこで、思い出したように、実に十年ぶりでシナリオを書き始めた」(P307 松田昭三)

COMMENT

- URL @
09/19 16:06
. もうゴタクはそのあたりにしたらいかがですか?

どうして結果を出さないのですか?

自分を誤魔化すのもそろそろ限界ではありませんか?
Yonda? URL @
09/19 16:31
千葉船橋の名無しさんへ. 

だよねえ。わたしもそう思います。限界です。








 

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