【ご報告】8月13日に買った本

終戦記念日の2日まえ「西武池袋本店夏の古本まつり」へおもむく。
おかしなものである。ちかぢか読書をやめようかと思っている(当時)。
「本の山」もやめてしまおうかと(過去推量形?)。
それなのに古本祭があると、ついつい行ってしまうのだから。
自分に言い訳する。本は読むだけのものではない。
本を読むのは、むろん楽しい。だが、買うのはそれ以上の快楽なのであーる。
おらおら、考えておくれやす。
旅行しているときよりも、航空券を取ったときのほうが満足感がありませんでしたか。
とすると読書中よりも、本を買う瞬間のほうが楽しいのは、
むしろ人間として自然なことかもしれない。

しょっぱなから見たくないものを見てしまう。
ストリンドベリの古本(大正時代)が安価で投げ売りされているのである。
去年迷いに迷ったすえ2100円も支払い入手した戯曲集が
たったの300円で売られている。
「ストリンドベルク戯曲全集2 自然主義劇と一幕物」
これだけではなく、状態は良くないもののストリンドベリの未読小説がある。

「或魂の発見」(ストリンドベルク/和辻哲郎訳/岩波書店)絶版 500円

だれもこんな細かいことに関心はないと思うが、すまん許せ。
「或る魂の発見」は自伝小説「女中の子」の続編である。
「女中の子」は「下女の子」と訳されて出版されたこともある。
「女中の子」は読んでいるのである(戦後に出版された創元文庫で)。
だが、「女中の子」と「下女の子」は訳している分量が異なる。
「女中の子」では訳されなかったものが「下女の子」に入っている。
たぶんこの詳細をわかるものは書き手のわたし以外いないだろう。

「下女の子」(ストリンドベルク/小宮豊隆訳/岩波書店)絶版 300円

もはやだれも耳を傾けてくれぬ独り言になっていると思うが、
わたしは大正時代出版の「下女の子(女中の子)」もまた所有しているのである。
ところが、いま手に取っているものが、うちにあるのと同一のものかがわからない。
ストリンドベリは大正時代に大ブームがあり、訳本がいくつもあるのである。
うちにある「下女の子」と、いまここの「或魂の発見」がうまく接続するかがわからないのだ。
たかが300円である。だのに、わたしは購入を躊躇するのだから。
結局、おれは将来かならず大作家になるのだからと自分に言い聞かせ(きみいくつ?)購入。
このわずか300円の冒険は成功だった。
うちにあったのは岩波書店ではなく新潮社の「女中の子」。当然、訳者もちがう。
もしこのとき買わなかったら、あとでどれだけ後悔したことだろうか。

ともあれ、古本散策のスリルと興奮をご理解いただけたら幸いです。
断わっておくと、この日の段階で既に「本の山」のストリンドベリ記事は終幕を迎えている。
いまさら買うのかと思うが、これが本を愛するものの実相だ。
見習え。いな見習うな。地獄ゆえ。いな天国かも。いかん、混乱している、いけません。
池袋リブロの古本まつりに戻ろう。文庫本を2冊。

「近松物語の女たち」(水上勉/中公文庫)絶版 210円
「インド思想史」(J・コンダ/鎧淳訳/中公文庫) 262円


ガガーン。「インド思想史」は岩波文庫で復刊されていた。

「世界文学の歴史」(阿部知二/河出書房新社)絶版 800円
「私の小説作法」(毎日新聞社学芸部編)絶版 315円


「世界文学の歴史」はとにかく美品だったから購入。
まえの所持者がたいせつにしていたものだとわかる。
おそらく内容は知識自慢だろうが、わたしも読むとしたら「知ったか」目的ゆえOK。
わたし、意外と海外古典文学に穴があるんです。
(みなさんもそうでしょ、現役の作家さん評論家さん!)
「私の小説作法」は初めて見た。
小説家になりたいな。作家になったら書籍購入代金は経費で落とせるのでしょうか?

「現代演劇 テネシー・ウィリアムズ」(現代演劇研究会編/英潮社新社) 420円
「野生馬狩り」(アーサー・ミラー/岡崎涼子訳/早川書房)絶版 300円


ウィリアムズとミラーは、日本の春樹と龍のようなもの。
テネシー・ウィリアムズの邦訳戯曲はぜんぶ収集した。
あとは読むかどうか。
もしかしたら「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」、この2作だけの作家なのだろうか。
まさにこの2作品を読んでウィリアムズのファンになったのだが。
アーサー・ミラーはわたしが唯一、定価(新刊)で全集を購入した劇作家である。
「野生馬狩り」は短編小説集。
本は読まなくてもいいのだ。買うのがこんなに楽しいのだから十分に元を取っている。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/1812-93bdd984