「ふぞろいの林檎たち」

「ふぞろいの林檎たち」(山田太一/新潮文庫)絶版 *再読

→テレビドラマシナリオ。昭和58年放送作品。全10回の連続ドラマ。

女「カール・ルイスっているでしょう」
男「あの陸上競技の?」
「うん、そう」
「そのカールが(なんだって)」
「あきらめるなって」
「うへえ」
「ネバーギブアップ。サインを求められると色紙にかならず書くらしいの」
「だから?」
「別に、フフ――(このままでいいのかという思い)」
「そんなことをね」
「え?」
「あきらめるなとかね、言う人はね。カール・ルイスとかいう、あの黒い奴はだね」
「黒い奴は失礼じゃない」
「とても勉強ができそうには見えない」
「――(食われる)」
「どうしてカール・ルイスは勉強をあきらめないで学者にならなかったのだろう」
「それは足が速かったから」
「足が速くないものはどうしたらいい?」
「だから、なにか得意なものを」
「酒。酒なら強いよ。ビールなら何本のんだって酔わない自信がある。
カール・ルイスとのみ比べをしても負けないと思う」
「それは(ちがう)」
「けれども、こんなものは役に立たない。だからといって、ほかになにもない」
「ううん、人間は(それぞれ個性が)」
「建前はやめようよ。なにをあきらめるなって、カール・ルイスは言うんだい」
「だけど、このままじゃいけないでしょう(批判めいたところなく優しい)」
「カール・ルイスがなんだっていうんだ(泣きたくなる)」

引用ではない。即興で模倣(もほう)した山田太一ワールドである。
「ふぞろいの林檎たち」の世界観でもある。
人は建前を口にする。一般論を語る。それらは正論だからかえって始末が悪い。
いちばん支配的なものは――人間はだれしも平等である。だから――。
低学歴でも能力があれば一流会社に入れる。
不細工でも誠実に愛を伝えれば美人に振り向いてもらえる。
ブスでも気立てさえよければイケメンとつきあうことが可能である。
つまり、人間は(平等なんだから)がんばればなんでもできる、というわけだ。
20年も人間をやっていれば、こんなことはウソだとだれでもわかるはずである。
けれども、人はほんとうのことを口にしたがらない。
やりきれないからである。建前に一般論にすがりつきたいのだ。
かくして口当たりのいいウソばかりが社会に蔓延する。
テレビドラマでは美男美女が惚れた寝た別れたと騒いでいる。
行き場のない本音はどこに鬱積しているのだろう。
人間って、平等なんかじゃないと思うな。
そうだとしたら、いろいろおかしかないか。
考えてみないか。泣くしかないような現実に向き合ってみないか。
山田太一が「ふぞろいの林檎たち」に込めた熱いメッセージである。

文庫の解説で漫画家の柴門ふみが放送当時を振り返っている。
世間の女の子は中井貴一派と時任三郎派に別れたという。
どちらもイケメン俳優である。
柳沢慎吾派という娘はひとりもいなかったと述懐している。
さらに漫画家は、自分は中井貴一の兄を演じていた小林薫のファンだったと、
くだらぬ個性を主張している。
わかってないよなと思う。若くして世に出た人気漫画家なぞこんなものである。
「ふぞろいの林檎たち」で最もよかったのは柳沢慎吾だ。
女優陣は手塚理美、石原真理子、中島唱子。
前二者は美人。中島唱子は目を覆いたくなるほどの太目の不美人として描かれる。
おそらく放送当時、男も手塚理美派と石原真理子派に別れたはずである。
ドラマ序盤、風俗嬢としておっぱいを見せてくれた高橋ひとみ派もいたかもしれない。
けれども、中島唱子派だけはいなかったはずである。

「ふぞろいの林檎たち」は三流大学の学生が繰り広げる青春ドラマである。
中井貴一(仲手川良雄)と中島唱子(谷本綾子)の会話を引用する。
ふたりはでピクニックに来ている。サークルの勧誘で知り合ったのである。
綾子は、それなりの女子大に通っている。顔のいい良雄に好意をいだく。

良雄「(下りながら)うん?」
綾子「(下りながら)猫」
良雄「うん」
綾子「肥(ふと)ってるの」
良雄「へえ」
綾子「猫だけなの。私と猫だけ。あと肥ってるのいないの」
良雄「へえ」
綾子「父も母も兄も姉も、みんな普通なのに、
私ばっかり、どんどん肥って、これでも随分努力したの」
良雄「――」
綾子「でも、努力しない姉は肥らないで、
減食したり、体操したりしている私ばっかり、どんどん肥るの(泣きたくなる)」
良雄「よそうよ」
綾子「私、世の中には、どうしようもないこともあるんだなあって、すっごく思って」
良雄「そんな話よそう」
綾子「そうね。すいません。自分のことばっかり」
良雄「いいんだよ。ぼくもそうなんだ」
綾子「肥ってない」
良雄「勉強だよ」
綾子「勉強?」
良雄「自分でいうのも変だけど、これでも――」
綾子「うん?」
良雄「(苦笑して)これでも、かなり勉強した方なんだ」
綾子「そう」
良雄「でも、頭わるいんだな。
結局、大学どんどん落ちて、いまンとこしか入れなかったんだ」
綾子「そんな――」
良雄「あんなにやったのにって思うけど、
きっと顔のいい奴と悪い奴がいるみたいに、脳味噌も平等には出来てないんだよね。
出来ないからって、努力してないわけじゃないんだけど」
綾子「秀才に見える」
良雄「フフ、見えるだけじゃ、仕様がないよ。フフ(と下って行く)」
綾子「――(下って行く)」(P57)


かといって、中井貴一と中島唱子がつきあったりはしないのである。
頭は悪いが性格の良い良雄くんも、さすがにデブスの綾子はいやなのだ。
自分は女を知らないから、へたをすると変な女につかまってしまうかもしれない。
こう考えた頭の悪い良雄くんは、その足で歌舞伎町の風俗店へ向かう。
ここで知っている顔と出逢うのである。有名女子大に通う高橋ひとみである。
どうしてこんなところで働いているのだろう。
ともあれ、頭の悪い良雄くんは、頭のいい半裸の女子大生に射精を手伝ってもらう。
これで(なのか?)すっかり惚れこんでしまうわけである。
ところが、風俗嬢にして女子大生の高橋ひとみには東大卒の彼氏がいる。
この男は頭がよくて顔もいい(国広富之)。
なんでも合理的に考えるため恋人が風俗店で働くことにも抵抗がない。
現在のところの上下関係を明らかにしておこう。
最上位にいるのは東大卒でハンサムの国広富之。
彼にべた惚れしているのが美人で有名女子大生の高橋ひとみ。
彼女に片思いしているのが顔はいいが頭の悪い中井貴一。
最下位にいるのは中井貴一に惚れている中島唱子。頭脳は中流、容姿は下流。
こうして確認してみると、たしかに人間は不平等である(笑)。

最下層の中島唱子が目につけるのは柳沢慎吾(西寺実)である。
柳沢慎吾もさすがに中島唱子はご免と思う。
けれども、美人の石原真理子には相手にしてもらえない。
ただひとり自分を相手にしてくれるのが中島唱子である。
時任三郎と手塚理美は美男美女でよろしくやっていやがる。
今度は中島唱子と柳沢慎吾の会話を見てみよう。
デブでブスの谷本綾子とチビでブサでそのうえバカの西寺実が歩いている。

実「俺はよ、はっきりしねえのは嫌(きれ)えなんだよ」
綾子「はっきりって?」
実「訳分んねえじゃねえか」
綾子「なにが?」
実「仲手川(中井貴一)ンとこへ、薬なんか持って行っちゃってよ。
そいでもって、こっちへも来るってんじゃ、どういう気持か分んねえだろ」
綾子「はい」
実「そこンとこはっきりしねえで、どうやってつき合えんのよ。
率直にいって、あっち(中井貴一)が好きなの、俺(柳沢慎吾)が好きなの?
はっきり、ずばり、ちゃんといってくれよ」
綾子「仲手川さんが、好きです」
実「へ――え――(傷つく)」
綾子「だけど、私なんか相手するわけないでしょう」
実「俺なら、相手するっていうのかよ?」
綾子「そんなこといったら失礼だけど」
実「失礼だよ、ものすごく失礼だよ」
綾子「でも、わりと合ってるんじゃないですか?」
実「そ、そうかねえ(ものすごく遺憾)」
綾子「人間、希望通りにはいかないし、つり合わないと、よくないっていうし」
実「俺の何処がよ? 何処が、あんたとつり合ってるっていうんだよ?」
綾子「ユーモアあるし、やさしいそうだし」
実「やさしい? 俺の何処が、やさしいってエのよ?」
綾子「ほんとは、やさしい人だって」
実「冗談じゃねえよ。
俺はね、やさしさ売り物にするような、そんなヤワな男じゃないのよ」
綾子「でも、心の底では」
実「ケーッ。俺の心の底を、どうして知ってんのよ?
どうして知ってんだよ? (と押す)」
綾子「――」
実「え? どうして――(と押す)」
綾子「(悲しくカッとなり)そういうとこ、直してくれるといいと思います(とひっぱたく)」
実「(ふっとんで、何処かへぶつかり)――なによ、やんないでくれよ、
そういうの(と泣きそうになる)」(P292)


書き写していて、あまりの残酷さにひるんだ。
このせりふを受けられるのは柳沢慎吾の稀有な才能ではないか。
もしわたしがこんなことを言われたら、立ち直れないと思う。

引用した二箇所から山田太一ドラマの特徴がわかる。
リアルであることだ。現実がリアルに描かれている。
では、現実とはなにか。現実はどうしようもないのである。
どうしようもない――まだ曖昧模糊(あいまいもこ)としている。
どうしようもないとは、具体的にどういうことか。
現実のどうしようもなさ、人間のどうしようもなさ、とは、いったいなにを意味するのか。
人間は断じて平等ではないということだ。人間は決して自由ではないということだ。
どうしようもないとは、人間における不平等と不自由のことである。
中井貴一は高橋ひとみにおカネを払わないと手コキしてもらえない。
けれども、東大出の国広富之は、そんな高橋ひとみの心も身体も支配している。
中島唱子はなにをしようとも中井貴一から相手にしてもらえない。
柳沢慎吾はどうがんばったところで美しい石原真理子の裸体を抱けないのである。
山田太一は、中島唱子や柳沢慎吾に死ねとでもいうのだろうか。
いな、である。
どうしようもない事情で不平等に苦しむ人間になにができるか。
どうしようもなく不自由な人間はどうしたらいいのか。
泣けという。泣こう。泣くしかないではないか。
人間は無力である。平等ではないし、自由なんかありはしない。
だが、泣くことはできる。せめてもの許された自由である。泣く。泣こう。
引用箇所でも虐げられたふたりはどちらも泣きそうになっている。
実際、山田太一ドラマでは登場人物の泣くシーンが非常に多い。
わかりやすく定式化する。

「山田太一ドラマ=どうしようもないから泣く」

(どうしようもない=不平等、不自由)


たとえ革命が起きて共産党政権ができても、人間のどうしようもなさは消えない。
いくらお題目をとなえようが、人間のなしうるのは限られたことでしかない。
ブスが美人になりますか? バカが秀才になりますか? 死なない人間がいますか?
「どうしようもないから泣く」は山田太一のオリジナルというよりも、
むしろ古くからわが国にある固有の情緒表現であろう。
たとえば近松門左衛門の世話浄瑠璃は驚くほど山田太一ドラマに通じるものがある。
乱暴にいってしまえば、演歌の世界である。

中島唱子と柳沢慎吾の最底辺カップルはその後どうなったか。
人間、泣いてばかりもいられない。
泣きつくすとすっきりして、なんだか笑いたくなってしまうのもまた人間なのである。
人間はなんのために泣くのか。
おそらく、あきらめるためではないか。あきらめて笑うためではないか。
あきらめるために泣く。笑うために泣く。
「どうしようもないから泣く」山田太一ドラマは笑いに到達するのである。

「山田太一ドラマ=泣く→あきらめる→笑う」

たしかに現実には泣きつづきの人生もあるのだろう。決して少なくないのだろう。
けれども、ドラマだ。笑いたいじゃないの。泣いても最後は笑っていたいじゃないか。
山田太一ドラマを「泣いた顔がもう笑った」と揶揄(やゆ)するのは簡単である。
もとより現実はそんな甘くない。笑いはフィクションかもしれぬ。
だが、ウソでも笑いたくはないか。泣いてばかりではつまらないじゃないか。

どうしようもないから泣く。あきらめる。笑う。
中島唱子の笑顔は、手塚理美や石原真理子の笑いよりも魅力的である。
柳沢慎吾の笑顔は、中井貴一や時任三郎の笑いよりも魅力的である。
魅力的は、人間的といいかえたほうがいいのかもしれない。
美人の笑顔なんざ作り物っぽくていけねえ。美男子の笑顔なんざ嫌味なもんだよ。

どうやら中島唱子と柳沢慎吾だと、まだ男のほうに分があるらしい。
このカップルは柳沢慎吾のほうが優位にあるようである。
中島唱子はたまに小遣いだといって柳沢慎吾にカネをわたす。
こんな自分とつきあってくれてありがとうというのである。
いっしょに歩いていて恥ずかしいでしょう。
さすがにためらう柳沢慎吾だが、家が金持ちだからといわれると受け取ってしまう。
相手が中島唱子とはいえ、もてるのは悪い気がしない。
「ふぞろいの林檎たち」最終回である。
柳沢慎吾は中島唱子に逢いに行く。女の家は古びており、相当いたんでいる。
とても裕福な家には見えない。女は留守であった。「どこ行ったのかなあ」

●商店街
実「(ソフトクリームをなめながら、歩く)」
魚屋の女の人の声「さあ、お兄さん、お刺身今日は安いよ。
一人前四百円でいいよ。マグロだよ、マグロ」
実「(いいって、と手を振って、人がよく笑顔になって)
この辺のもんじゃねえから。フフ」
魚屋の女の人「おみやげにどう?」
実「いいって。フフ(と歩く)」
 ちょっととんで、実、駅に近い道を、口を拭きながら歩く。
綾子の声「(思わず出たように)やだ」
実「(ドキッとする)」
綾子の声「――嫌(いや)ァ(どうしよう、というような本気の声)」
実「(振り向いて、どこから声が聞えたか、と見る」
 店、店、そしてたこ焼きの屋台が見える。
 その屋台に半分身をかくすようにした綾子の姿が見える。
実「(ゆっくりその屋台へ行く)」
綾子「(身をかくすようにしたまま、実の視線にさらされて)フフ」
実「(意外)――フフ」
綾子「やだわ。なに? ここら」
実「(胸うたれていて)お前――さがしに来たんだ」
綾子「用?」
実「ああ」
綾子「お金?」
実「金じゃあねえよ」
綾子「フフ、このバイト、わりと長くやってるの」
実「そうかよ(胸つかれている)」
綾子「暑くなって、あんまり、商売ならないの。フフ」
実「お前、金持ちだっていったからよ、だから俺、気楽に、金、借りてたんだ」
綾子「いいの」
実「こんなことをして、かせいだ金なら、貰(もら)うかよ」
綾子「フフ、いいのよ。私、そんなに美人じゃないから、お金ぐらいあげなきゃ」
実「そんなこといやぁ、俺だって、そんなに、
とびきりのいい男ってわけじゃないんだから」
綾子「ううん」
実「あいこじゃねえか」
綾子「食べて、たこ焼き(とつくりはじめる)」
実「――」
綾子「(つくってる)」
実「お前――いい女だな」
綾子「フフ、きっとね」
実「うん?」
綾子「私のよさ、気がついてくれると思ってた」
実「――ああ」
綾子「そういう、やさしいとこ、ある人だと思ってた」
実「――フフ、そうかよ(と優しくいう)」
綾子「フフ(とたこ焼きをつくりつつ、汗を拭く)」
実「フフ」(P543)

COMMENT

ルカ URL @
08/09 08:37
. でっかくなっちゃった!!!
ルカ URL @
08/09 10:04
. すみません。ローカルの設定が違ってました。自分のパソのせいでした。お騒がせいたしました(汗。
Yonda? URL @
08/09 21:59
ルカさんへ. 

> でっかくなっちゃった!!!

マジですか(ルカさんの下半身をうかがう)。
Yonda? URL @
08/09 22:00
ルカさんへ. 

> 自分のパソのせいでした。

ああ、とんだ誤解を。恥ずかしい。死にたい。
ぬるり URL @
08/10 12:22
努力ですか…. 自慢じゃありませんけど、私はこれまでの人生で努力したことなんて一つもありません。
yonda?さんの仰る通り、私なんてきっと努力したってたかが知れているとは思いますが。
後悔はしています。せめてもうちょっとマシな自分で居られたんじゃないかと。
努力して、自分がクソだと判明してもそれはそれで納得できたと思います。むしろ自信を持って自分がクソだと言えるわけで。
直感的に自分がゴミのような存在であることを自覚していますが、努力しないまま自分をクソと言ってしまうのも悔しいなぁ、なんて思ってます。
努力する才能が無い、なんて甘えだと思われますか?

もう一つおたずねします。
過去の記事にyonda?さんは、「東大にはいるために出来うる限りのことをした」ということを書いていらっしゃいますが、一つ立派な努力をされているじゃありませんか。
もし、その努力をしないままでも、今のご自身と全く変わらない自分だったとお考えになりますか?
Yonda? URL @
08/10 21:18
ぬるりさんへ. 

こんばんは。はじめまして。
このような長文記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
幾人読んでくださるかと疑問に思っていました。

努力ですか……。
なんとお答えすればいいのか。
わたしは人様に意見できる身分にはありません。
肩書も業績もないダメ人間ですから。

ぬるりさんの性別、年齢、容姿がわかりません。
ですから、そもそもお答えのしようがないのです。
いまからの返答は的をはずしたものだと思います。

> 努力する才能が無い、なんて甘えだと思われますか?

いえ、努力できるのも才能のひとつです。
ぜんぜん甘えではありません。
できないものはできない。
どうしてこの告白が迫害されなければならないのでしょうか。

> 一つ立派な努力をされているじゃありませんか。

東大不合格の件ですね。
努力は報われませんでした。
いま思えば勉強などしないで小説でも読んでいるほうがよほど良かった。

この記事は山田太一ドラマの感想に過ぎません。
人生相談めいたことをした非礼をお詫びします。








 

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