「私の文学漂流」

「私の文学漂流」(吉村昭/新潮文庫)絶版

→どうして成功者は苦労自慢をしたがるのだろうか。
失敗者が苦労自慢をしても、ただの愚痴としか思われない。
しかし、おなじものを成功者が口にすると、なぜか美談になってしまうのである。
みなさまもこのからくりにはうすうす気づいているはずである。
繰り返しになるが、強調しておきたい。
言説は、なにが主張されているかが問題ではない。
だれが論じているか。これがすべてなのである。

人間を肩書きでしか判断できない「もてない男」の小谷野敦氏は、
この本を真に受けてたいそう感動したそうである(「評論家入門」)。
「もてない男」よりはるかに手練手管に通じているライターの日垣隆氏は、
本書における苦労自慢のいかがわしさを冷静に指摘する。
吉村昭の実家の尋常ならぬ裕福さを察知するのである。

めでたしめでたし、と言いたいところですが、「受賞前の貧乏時代」も実はちょっと曲者です。最も苦しかったはずの昭和三四年に、この夫妻は都内に五〇坪の土地を買い、平屋の家を建てているのですから。このときも吉村氏は兄の一人から援助を得ているのですが、そのあたりのぼんぼんぶりはここでは措くとして、昭和三〇年代には、ろくに注文のない貧乏文士でも都内に家が建てられた、という点に注目しておくことにしましょう。地代が安かったからです。


「ガッキーファイター」より
http://www.gfighter.com/0030/20041227000078.php

どうして人間は人生が運不運だと認めたがらないのだろう。
成功者はみな自分の苦労が実を結んだと、こうまで声高に主張しようとするのか。
人間だれしも性別、美醜、貧富、才能を選んで生まれてきたわけではない。
なのに、ふしぎと成功したときだけ、それを自分で選択した結果のように思う。
ほんとうにあさましい所業である。

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