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「しまいこんでいた歌」

「しまいこんでいた歌」(山田太一/「テアトロ」2003年3月号)

→戯曲。平成15年上演作品。実際に劇場へ行って観た芝居である。
観劇したときはえらく感動して、その場で戯曲の掲載された雑誌を購入したものだが、
こうして時を経て再読してみると、どこがよかったのかわからなくなっている。
もっとも稽古中にそうとう直しを入れたようで、
上演台本と掲載戯曲にはかなりの相違があるということである。
戯曲を読んで感動が薄いのはこのためなのかもしれない。

ドラマのきっかけは内部告発である。
ガス器具メーカー研究所の所長である高杉繁は、
就職を世話してやった娘が内部告発をしようとしているのを知りあわてる。
教えてくれたのは娘の母親である。
この母親がおかしいなことをいう。
謝罪のつもりか「私を好きにして」と誘惑してくるのである。
それはともかくとして、もし内部告発などされたら自分は馘(くび)になってしまう。
なんとかして止めなければならないと繁は思う。
そもそもなにを内部告発しようとしているのだろうか。

ドラマを推進するベクトルはふたつである。
本当のことってなんだろう。熱い生きかたをしたい。このふたつである。
ふたりの青年の発言を引こう。大学院でモラトリアムを過ごす繁の息子のせりふ。

「オレたち、本当ばかりで生きていません。
ニセ薬で、驚くほどなおったりするんです。
本当に深入りしちゃいけないんじゃないというか――」(P146)


もうひとりは内部告発の首謀者である。繁のかわいがっている部下。若い。

「俺は実は一方で、あたりさわりのない世界好きなんだよ。
みんなクールで、立入らなくて、何事もないの好きなんだ。
でも同じくらいそれが嫌なんだ。
告発するぞって、会社をゆさぶり所長をゆさぶり、大騒ぎになって、
大本はオレだとバレて周りから白い眼で見られて、
孤立して、ヒリヒリして、苦境に立って、
そこから脱け出そうとするような、カッカした人生を歩きたいんだ」(P148)


本当のことはなにも明らかにならない。
芝居の最後はギリシア悲劇のデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)のように、
繁の老いた父がラッパを持って登場する。貫太郎である。
貫太郎はむかし軍隊でラッパ手だった。軍隊はそれはひどい世界だった。
個性なんてはぎとられ上官から殴られるばかりの毎日である。
ある日、しごきに耐えられないで便所で首をつった新兵がいた。
死体を運び出すところに偶然ぶつかったのである。
光景が頭からはなれなくなった。
3日ほど経って、貫太郎が反逆を試みたくなったのはこのためである。
消灯のラッパで、切ないほど甘い恋の歌を吹いて、みんなに呼びかけたくなった。
ところが、いざやろうとすると、まともに音が出やしない。
プープープーである。上官から半殺しの目に遭って営倉へほうり込まれた。

「八十すぎて、ふっと思い出すとな。(「うん」)
俺の一生は、あれがなかったら、なんだったんだと思うんだ。
あとは、ずーっと自分をおさえて干からびちまったよ。(「そんな――」)
いやあ、あんなに大勢に向けて、気持をワーッとはき出すようなことは、
それからあと、なかったよ。(「そうか」)
男の一生は、自分をおさえる一生みたいなところがあるからな。(……)
いまとなると、あんなみっともない、忘れたかったことが、
生きてた証拠のように思える」(P153)


だから内部告発をやってしまえと老人は若人をけしかけるのである。
もとより、そんなことをされたら息子が馘になってしまうのだけれども。
山田太一の芝居らしく、答えは舞台上で示されない。
観客各々の宿題として残るのである。

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