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「林の中のナポリ」

「林の中のナポリ」(山田太一/新日本出版社)

→戯曲。平成19年上演作品。もしかしたら山田太一先生は、
ちらりとなら「本の山」をご覧になったことがあるのかもしれない。
だとしたらこんな光栄なことはない。
とても拙文には山田太一先生のお目を汚す価値はないと自覚しているからである。

「インターネットで、匿名で、いいたい放題の悪口を書かれたんです」(P154)

山田太一ならぬ高原のペンション「林の中のナポリ」のこうむっている迷惑である。
なんと書かれたか。ペンションの主人が気味悪い。
陰気で暗い男が薄笑いを浮かべるので不愉快である。このためだろうか。
開業3年目のペンションは、この先、春にかけてまったく予約が入っていない。
中年(初老?)夫婦とその娘で経営する「林の中のナポリ」の主人、小野寺真一はいう。

「匿名のいいたい放題が、そんなに力を持つなんて、どうかしている」(P129)

山田太一の新しい文化へのアンテナのよさには驚くほかない。
ともあれ、客の来ないペンションに話を戻そう。
雪のふる日である。
今日も客が来ないと思っていたら、おかしな老婦人(南風洋子)が現われる。
静かな湖面に石が投げ入れられるのとおなじである。
さざなみが生じる。これこそドラマにほかならぬ。さあ、この石の正体を見極めよう。
ペンションの女主人、小野寺直子は70をとうに超えた老婦人をあやしむ。
宿帳に書かれた電話番号も住所も実在しなかったからである。
一泊だけかと思ったら、二泊三泊四泊と際限がない。
老婦人の話すことは、とうてい本当とは思えぬようなことばかりである。
夫の真一はこんな偶然があっていいものかと驚いている。
気味の悪い真一は、客の前に顔を出すことを母娘から禁じられていた。
ところが、うっかりとすがたを現わしてしまう。このとき老婦人の顔を見たのである。
見覚えのある顔だった。夜半、フロントに真一がひとりでいるときである。
老婦人がかれの前に現われる。「あなたにお話があるの」

「齢をとると、こんなことがあるって、テレビかなにかで見たような、
気がするんですけど――」(P168)


老婦人は伊沢かの子と名乗る。このとき38年前の事件が現在によみがえる。
スウェーデンである。真一は車を運転していた。事故を起こしてしまった。
運転していた真一だけ助かり、他の3人は死んだ。
死んだ青年のうちのひとりが井沢かの子の息子だったのである。
まさかこんなところで38年後に再会することになるとは。
真一が陰気なのはこの事件をひきずっているのである。
事件のことは妻にも話していない。いったいこの再会はどういう意味があるのだろうか。

かの子「ありがとう」
真一「なんですか(それ)」
かの子「こんなに長い間、あの事故を忘れないでいてくれて――」
真一「形だけ残ってるんです。身をかくそうという形だけ」
かの子「それでも嬉しいわ。
けろりと元気なあなたに会ったら、きっと淋しかったでしょう」
真一「フフ、暗いのをほめられたのは、はじめてです」
かの子「あの子がお礼をいってと、あなたにひき合わせたのよ」
真一「それは失礼だけど、あなたのつくった物語です」
かの子「そうね、わたしのつくったお話――」
真一「そうですよ」
かの子「だから、お話は続くの」
真一「続く?」
かの子「ありがとうだけじゃ終らない」
真一「終らないって――」
かの子「終りは、あなたが、あの事故からぬけ出して、明るい人になってくれるの」
真一「それは、どうかな」
かの子「井沢の母親が、本人に代って、いいに来た。もう罪に思わないでくれ。
幸福になることをためらわないでくれ」(P212)


かの子の事情も明らかになる。いま失踪しているところなのである。
姑が死んだ。夫も死んだ。天涯孤独の身で老人ホームに行くことが決定していた。
だが、思った。「嫌だ、行くの嫌だって」
かの子はトランク片手に逃げ出したのである。だから捜索願いが出ているかもしれない。
この老女をどうしたらいいのか夫婦は戸惑う。
38年前の事件はすでに妻の直子の知るところになっている。
かの子からとっくに許されていることを知り、
ようやく真一は妻に事故のことを告白することができたのである。
「林の中のナポリ」に予約が入る。女子大生の4人組である。
入れ替わりに自分が出て行くと井沢かの子は宣言する。
どこへ行くのか夫婦は問う。やはり老人ホームに行くべきではないのだろうか。
かの子は旅をつづけるという。自由気ままな旅を。
女子大生4人が登場する。かの子は問いかける。

「19世紀の終りに、ノルウェーにいたノラという女の人のことを知ってる?」

女子大生はだれもイプセン「人形の家」に登場するノラを知らない。ノラは――。

「お金持の夫と、可愛い三人の子どもがいるのに、
ある日、一人で家を出て行ったの。
どうやって食べていけるか、見当もつかないのに、無鉄砲に、無責任に」
「それで?」
「その先は分らない。どうなったのか、誰も知らない」
「はい」
「とにかく無責任に無鉄砲に家を出たの」
「はい」
「あなたたちは、知らないといったけど、ノラという名前を、
いまだに、百年以上たったいまでも、忘れられない人が、沢山いるの」(P238)


井沢かの子は平成の日本に現われたノラである。
老いてはいる。だが、ノラであることには変わりがない。
いいではないか。ノラがいてもいいではないか。一般論がなんだ。常識がなんだ。
平成日本のノラはとびきりの笑顔でペンションから旅立つ――。
陰気で根暗だった真一が精一杯明るくふるまう。
4人の女子大生は、はじめて見るノラにそれぞれの思いで拍手してしまう。
このあときっと観客も拍手したことだろう。盛大な拍手を。

最後に、あとがきの自作解説から。

「(「林の中のナポリ」を)書き出す前も書き出してからも書き終えた時も
南風さんは、会えばいっぱいの笑顔で、勇ましいといいたくなるような気迫で、
舞台について語った。稽古で民藝の稽古場へ行くと
「これはノラですね。常識では無茶でも年寄りの心にある夢ですね」
などとおっしゃった。
私もそれに近い気持ちだった。
南風さんで老人を描いて、リアリズムで終始する物語など書きたくなかった。
気品のある老婦人が、笑いの多い舞台の中を、明るく無茶な方向へすすんで行く。
観客には彼女の行き先の暗闇が見えるが、老婆は終始明るい。
万事承知で明るい。明るいまま無茶な旅を続けていく。そんな舞台を書きたかった」(P250)

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