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「二人の長い影」

2008.7.28

「二人の長い影」(山田太一/新日本出版社)

→戯曲。平成15年上演作品。
これは新宿まで舞台を観にいってぶち切れた記憶がある。
芝居とテレビドラマの異なるところは料金。芝居はカネを取るわけだ。
NHKの舞台中継で無料で見ていたら、あれほど怒ることはなかったと思う。
けれども、6300円も支払って、この芝居を見せられたのだから、
怒りがなかなかおさまらなかったのを覚えている。
2ちゃんねる演劇板に文句を書いたら、自称観劇マニアの連中にだいぶ粘着された。
おまえは演劇がわかっていないだの、なんだの。
たしかこの「二人の長い影」が芝居を観にいく習慣をなくさせたはずである。
芝居が好きなんていう連中とは一生相いれぬと思ったからである。
つぎに舞台を観にいくのは3年後の山田太一作「流星に捧げる」――。

「二人の長い影」は戦争体験がテーマの作品である。
創作過程がこみいっている。
「民藝」女優の南風洋子がみずからの戦争体験を舞台にしたいと思った。
敗戦時、満州から日本へ引揚げてきた体験である。
むろん、いち俳優に過ぎぬ南風洋子に台本を書く才能はない。
このため南風は山田太一に手紙を書いたという。
自分の体験を聞いて、それを舞台台本にしてくれないかという依頼である。
故人に失礼なことをいうようだが、南風洋子は山田太一を見誤っていたというほかない。
この女優は山田太一という表現者の資質をよくわかっていなかったと思われる。
山田太一は本当のことは書けない作家なのである。
熱のこもった嘘によって本当よりも本当らしい幻影を創りあげるのが山田太一の才能である。
実際、脚本家は女優の思い入れのある戦争体験を聞いたものの、
なかなか台本に手をつけられなかったという。
だが、もうひとつの実体験が山田太一を後押しする。
おなじく引揚げ体験を書いた中村登美枝の手記「生きて帰れよ」である。
山田太一は偶然からこの手記を目にして「これで書ける」と思ったそうである。
もっともこの実体験をそのまま舞台にのせたわけではない。
山田太一なりのフィクションを加味する。

かつて婚約していた老女と老人が長い時を経たあとで再会する物語である。
当時植民地だった朝鮮北部で出逢ったふたりを引き裂いたのは敗戦である。
男はロシア軍の捕虜となりシベリアに11年抑留された。
帰国したら、女は結婚している。男もやむなく所帯を持った。
ところが、あれから50年近くが経ち、その妻も死んで4年になる。
軽い脳梗塞になって半身が不自由である。
いつ死んでもおかしくない年齢だ。もう一度だけ逢いたい。
男はかつての婚約者のもとに電話をかける。ドラマのスタートである。
舞台上の現在に過去が圧倒的な勢いで侵入してくる。
メインとなるのは、女の引揚げ体験である。どれだけ辛かったか、である。
再現形式は「語り」。事件は舞台上で起こらず話者から観客へ報告される。
少女の両親はロシア軍に銃殺された。弟も引揚げの途中で病死した。
縁のない30人近い子どもを連れて引揚げてきた苦労話が語られる。
(手記「生きて帰れよ」では両親は発疹チフスで死んだとなっているらしいから、
銃殺されたというのは山田太一の創造したフィクション。
より不幸のレベルを上げることで観客の気を引こうとしたのだろう。
失礼を承知で申し上げるが、いささかあさましいと思う)

いまでも覚えているが、客席で引揚げの苦労話を聞きながら困惑したものである。
だから、なに? と思ってしまったのである。
舞台上では女優が思い入れたっぷりに悲惨な戦争体験を語っている。
可哀想だとは思うけれど、だからいったいなんなのだろう。
演劇ってそういうものではないでしょう。
たとえ本当のことでも事実に満足できなくて、
なにものかになりたいと思うのが役者でしょう。
まさか観客を教育しようと思っているのだろうかとあきれたものである。
戦争を知らない世代に体験を語り継ぐ満足に製作グループはひたっているのだろうか。
事実なんていうのは、ドキュメンタリーやノンフィクションが扱えばいいことである。
芝居として6300円もいただいた観客のまえでやることではない。
客席にいる涙腺のゆるい観客がハンカチを手にする気配を感じて、
取り残されたように思ったのを記憶している。
おまえらは可哀想な話を聞いたら、泣いた、感動した、と満足するのかい?
拍手なんかする気にならなかった。おそらく最初に劇場をあとにしたのはわたしである。
このたび戯曲として読み返してみたが、感想は変わらない。
本当のことはつまらないのである。

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