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「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」

「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」(カール・ヤスパース/村上仁訳/みすず書房)絶版

→著者は精神科医にして哲学者。
ヤスパースは本書において、ストリンドベリとゴッホを精神分裂病(統合失調症)と診断し、
ふたりの創造者のうちにひそむ病気の本質に迫ろうとする。
わたしはゴッホには詳しくないので、
ストリンドベリについて書かれた記述を注意して読んだ。
ストリンドベリは生涯にわたって自伝的(告白)小説を多数書いている。
順に「女中の子」「或る魂の発展」「痴人の告白」「地獄」「伝説」「不和」「孤独」――。
ヤスパースはこれらの自伝小説から、
通常なら得られぬ価値のある病誌(病状の記録)を採取できると指摘する。
ストリンドベリの主観的な記録のみならず、著者は作家の友人・知人の証言まで参照する。
実に丁寧な仕事ぶりに感心した。
またヤスパースの筆致は平明で、医学的知識の乏しい一般人にもわかりやすい。
卓越した書物であるといえよう。

キチガイという言葉がある。精神病という疾病が存在する。
では、そもそも気が狂うとはどういうことだろうか。
なにゆえ精神病患者と天才が混同されるような事態が起こりうるのか。
人と違ったことをする。これがスタート地点である。
ある人がみんなのしないような行動を取る。
この行為を見て大多数のものが「あの人は狂っている」と言う。精神病の始まりである。
換言すると、多数の人間が理解できない行動を起こすものが狂人とされる。
そうだとするならば、狂うというのは相対的な判断に過ぎなくなる。
絶対的な狂気が存在しえぬということだ。
ある異常な行動が時代や国をかえれば正常なものとみなされることもありうるのだから。

とはいえ、それでもなお狂人はいなくならない。
人と違ったことをする。だれにも理解されぬことを言う。
いいではないか、天才的ではないか、と狂気を是とするものは、
おそらく真の狂人を知らないのだろう。
たしかにふつうの人がしないような行動や発言は、天才を証明するもののひとつである。
だが、これを忘れてはならない。奇行は迷惑なのである。
通常なら人が言わないようなことを言いふらしてまわる男は迷惑極まりない。
危険でもある。
だから、かれは周囲から狂人と恐れられ、ときには監禁されても仕方がない存在となる。
医師による治療が必要と判断されるのはこのためである。
もっともストリンドベリの存命時は、薬物療法が発明されておらず、
医師はもっぱら狂人の診断をする審判者としての役割に甘んじていたのだろうが。
当時、狂人の治療は、転地、安静、監禁くらいしかなかったようである。

いよいよストリンドベリの狂気に踏み込もう。
なぜ天才ストリンドベリが精神病患者とみなされなくてはならないのか。
この男の取った異常な行動が、
分裂病患者の極めて類型的なパターンに当てはまるからである。
ヤスパースはストリンドベリの分裂病過程の開始を1882年に見る。
33歳のストリンドベリが体験した(と自伝小説に記す)神経発作からの判断である。
作家が「赤い部屋」で世に出た、わずか3年のちのことである。
ストリンドベリの人生における、最初の分裂病増悪期は1887年(38歳)。
妻シリへの嫉妬妄想が爆発する。
これは翌年に書かれた「痴人の告白」からの診断である。
わたしもこの小説を読んだとき、作者の分裂病的嫉妬妄想を疑ったものである。
精神科医ヤスパースは、小説の内容を事実無根の典型的な妄想だと断定する。

「(ストリンドベリにとって)妻のすることはすべて嫌疑の種となり、
そのすべての行動は意味をもつ。
彼が病気から恢復(かいふく)しても、妻が冷淡なように感じられ、
彼女が親切にすれば、それは欺瞞的な阿諛(あゆ)と判断される」(P33)


ストリンドベリは妻の不貞を疑い、手紙の無断開封から探偵のまねごとまで行なう。
ストリンドベリ、天才の証左である。妻が淫乱な浮気女だとストリンドベリは思う。
だが、このことを知るのはストリンドベリただひとりである。
周囲のものは、だれも女優の妻のことをそんなふうには思っていない。
ふたつにひとつである。ストリンドベリは述懐する。

「確かな証拠を握るか、死ぬか、どちらかだ!
犯罪が行なわれたか、私の気が狂ってるか、どちらかだ!
真実を知らねばならぬ。(……) 必要なのは詳しく知ることだ!
そのために私は徹底的に科学的に調べよう。
最近の心理学のあらゆる手段、暗示、読心術、精神的拷問なども用いよう。
侵入、窃盗、手紙の開封、署名の偽造などの昔からの方法も用いよう。
私はすべてを試みるつもりだ」(P36)


ほとんど泣きながら夫に「真実を白状せよ」と迫られた、
ストリンドベリ夫人の心中を思うとやりきれない。
ふたつにひとつ。ストリンドベリは狂っているのか、狂っていないのか。
ストリンドベリは生涯で多くの医者の診断を仰いでいる。
ある医師は精神病だといい、また別の医術者はまったくの正常だと判断した。
ヤスパースの診断はクロである。わたしもヤスパースに同意する。
いちばん重要なのはストリンドベリ自身がどう判定をくだすかである。
ストリンドベリは「自分は狂っていない」という結論に達した。
この病識(病気の自覚)のなさこそ、精神分裂病患者の特徴だとヤスパースは指摘する。
我輩は断じて間違ってはおらぬ! 誤まれしは汝らなり!
ストリンドベリは「狂気か正常か」のふたつにひとつに悶え苦しみながら、
常に最終的には後者の「正常」を信じるにいたる。
結局、ストリンドベリは女優の妻を離縁する。

嫉妬妄想が生じたのとおなじころ追跡妄想、被害妄想も発症する。
ストリンドベリは自分がなにものかに狙われている、マークされていると感じる。
殺されかねないとのおびえまで生じる。
この不安状態の段階で踏みとどまったら、かろうじて正常でいられるのである。
だが、ストリンドベリは行動に移す。
追っ手からの逃亡を企てる。暗殺者への反撃を計画する。やられるまえにやれである。
追跡妄想、被害妄想はやむことなく続いたが、
ヤスパースの診断によると、もっとも増悪したのは1896年とのことである。
これは自伝小説「地獄」からの推測である。

追跡妄想、被害妄想の具体例を見てみよう。1892年のことである。
ベルリンにストリンドベリを支持するものがいた。
ローラ・マルホルムとその夫オラ・ハンソンである。
ふたりは窮乏するストリンドベリのために金をこしらえてやった。
友人としてドイツにストリンドベリを紹介したのである。
ところが、ストリンドベリは恩人ともいうべきローラ・マルホルムを危険視する。
この女は恐るべき犯罪者だと確信するようになる。
マルホルムは全女性と同盟してストリンドベリを精神病院に監禁しようとしている!
ストリンドベリは夫婦のもとを逃げ出す。
そのうえで恩人マルホルム夫人の悪意あるデマを社交界に流すのである。
ストリンドベリ本人は正当防衛のつもりなのだから、分裂病患者は恐ろしい。
こうして知人はふた手に別れざるを得ない。
ストリンドベリの狂言を信じるものと、とてもついていけないものと――。

「彼(ストリンドベリ)の追跡妄想の発作は次第に頻繁になった。
彼は極端に精神病院を恐れていた。彼は根拠のない疑念を訴え、
『敵』がそれを問題にしないで冷静にしていると、失望し、激しい憎悪を抱いた。
そのため一度睨まれた人は一生迷惑した」(P53)


マルホルム事件のとき、ストリンドベリの味方となった友人がいる。
パウルである(かれはストリンドベリの思い出を書いている)。
ストリンドベリがつぎの標的に選んだのが、友人パウルなのである。
1893年、ストリンドベリは2度目の結婚をしていた。
ところが、結婚生活は破綻寸前。
ストリンドベリは妻から征服される危険を感じ家庭から逃亡する。
友人パウルのもとに身を寄せる。
ストリンドベリにはパウルもまた「敵」に見えてしまうのである。
のちに自伝的小説「不和」でかつての友人を作家は裁く。

「イルマリーネン(パウルのこと)は以前と違い、冷たく当惑した様子だった。
(ストリンドベリは)この男が何か企んでいるように感じた。
……かれ(ストリンドベリ)はこの詰らぬ、
教養のないイルマリーネンを引き立て、彼の仲間に入れてやった
……ところが今では、彼の傍に居ても何も利益がないと判ったので、
この助手は彼から逃げ出そうとするのだ」(P61)


ひどい中傷である。パウルにとっては、ストリンドベリのほうこそおかしかった。
パウルはこのときのストリンドベリをこう述懐する。

「彼(ストリンドベリ)はいつも機嫌が悪く、他人にも不愉快な感じを与えた。
彼は自分の不機嫌や人生厭悪を他人に伝染させるのに妙を得ていた。
自分に面白くないことは、他人も面白がってはいけないのだった」(P62)


ストリンドベリとパウル、果たして正しいのはどちらだろうか。
ヤスパースはもちろん、後者を正常とみなす。
ストリンドベリは自分に好意を寄せるものをことごとく「敵」と判断するのである。

「ストリンドベルク(ストリンドベリ)はこのように直ちに計略、照会、
手紙などによって、防禦手段を講ずる。彼は自分の力に自信を持っている。
『私は他人にやっつけられはしない、反対に敵をやっつけてやる』。
最後に彼は何の理由もなく、パウルとも絶交する。
そして彼に書く(一八四九年七月三十一日)、
『君はこれから決して無事では居られまいよ』」(P65)


こんな脅迫の手紙をもらったらしばらく震えがとまらないと思う。
だが、ストリンドベリとは、このような男なのである。
友人や恩人を「敵」と憎悪し、さらに「復讐」されるのを恐れる。
がために「やられるまえにやれ」。相手を容赦なく攻撃する。
ストリンドベリにとって真実はひとつなのである。
おのれは間違っていない。不正をなしているのは周囲のものである。
晩年のストリンドベリは夜ごと悪人の死を願いながら祈祷したという。

なんという精神病の恐ろしさではないだろうか。
何ヶ国語にも通暁している知識人ストリンドベリがついに知りえなかったこと。
それがおのが狂気である。
みずからが狂っていることを最後まで秀才ストリンドベリは自覚できなかった。
だが、ストリンドベリの天才は分裂病の世界を見事な作品に仕立て上げた!
「死の舞踏」や「黒旗」が、重度分裂病患者の作品とは信じられない。
いや、重い精神病患者にしか書きえぬ名作だと思う。
このあたりはヤスパースとわたしの意見が相違する。
ヤスパースは本書で、ストリンドベリ後期作品を駄作と論ずるパウルの文章を引く。
そもそもヤスパースはストリンドベリ作品にまったく興味を持っていないという(P223)。
精神医学的に関心を抱いたに過ぎぬらしい。
また、だからこそ、本書のような冷静沈着な分析が可能だったのであろう。
わたしはどうしようもなくストリンドベリの愛読者である。
ふつう分裂病を罹患したものは、なだらかに人格荒廃にいたるという。
ストリンドベリの人格は晩年の作品を見るかぎり、まったく荒廃していない。
かえって分裂病体験を養分にしているとさえ思う。
ストリンドベリの人生は、精神病との闘いであった。
おそらくヤスパースはこの闘争の軍配を精神病に上げるのだろう。
けれども、わたしはわかったものではないと思っている。
もしかしたらストリンドベリは難敵の精神病に……勝ったとは言わない。
それでも一矢報いてはいないだろうか。

「ハンソンも一九〇七年頃ストリンドベルクを訪問したことがある。
同じように彼は郵便箱の蓋を開けて外を見た。
十五年会わない間に容貌が変っていた。
我々は赤い鼻と、小さい涙ぐんだ眼を持ち、無限の不安の表情を表わした顔を見た」(P97)


ストリンドベリは旧友ハンソンに、先ごろ精神医学者の罠から逃れた自慢をしたという。
気狂いかどうか診察しに来たのを、機転を利かしやり過ごした。
興奮しないで親友のように遇してやった。
生涯幾度も自殺の衝動にかられたストリンドベリの死因は胃ガンである。享年63歳。

最後に私事を記しておきたい。
わたしは自分がどうしてこうまでストリンドベリにひかれるのかわからなかった。
著書はほとんど絶版入手不可で、なおかつ古書価格も高騰している。
なにゆえストーカーのごとくこの男を追い詰めなければならなかったのか。
名著「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んでようやく理由がわかる。
ストリンドベリの精神構造が死んだ母とそっくりなのである。
わたしの眼前で飛び降り自殺をした母は、膨大な量の日記を遺していた。
読むとどのページも周囲のものへの悪罵がつづられている。
自死を遂げる直前の記録がつらかった。
息子であるわたしの悪口が細かい字で大量に書かれているのである。
日記だけではない。死ぬまえの母はほんとうにひどいものだった。
「おまえは私の敵だ」「おまえにはサタンが乗り移っている」「私はおまえに殺される」――。
母からかけられた言葉である。挙句、目の前で飛び降りられるのである。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかまるでわからなかった。
だいぶ苦しんだ。
あれから8年が過ぎ、今日ひと段落が着いたように思う。
すべて精神病がいけなかったのである。典型的な追跡妄想、被害妄想ではないか。
むろん、むかしからそんなことはわかっていた。だが、納得できなかったのだ。
この記事で引用した部分(黒強調文字)は、
みなみな母の行動と驚くべき相似を見せている。
そうだったのかと思う。母もこんなふうに考えていたのか。
ヤスパースはストリンドベリを精神分裂病と断定する。ならば母も――。
それにしても精神病とは、なんと恐ろしいものだろうか。
悪魔のように不可解で理不尽である。
いきなりなんの理由もなく、自分の味方を攻撃するのである。味方を敵とみなし憎悪する。
ひとり残らず味方を敵と見まがえ排撃した母は、最後に息子のまえで息絶えた。
精神病から生みだされる地獄絵図である。
この地獄を活写(=生き生きと描写)したのが狂人ストリンドベリである。
そして、ストリンドベリの狂的世界がわたしにはとても懐かしい。
狂ったっていいじゃないかと思う。いいじゃないかと思いたい。

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