「夢か現か」

「夢か現か」(高井有一/筑摩書房)

→独酌しながら老作家の随筆集をひもとくのは人生の悦びである。
2006年初版。老作家の眼に現代はどううつるのか。
ちなみに高井有一は山田太一より2歳年上で、ほぼ同年代である。
比較すると山田太一の若さには恐れ入る。

恩師の原一男先生が、
自分は青年が初めて書いたようなみずみずしい文章が好きだと仰せになったのを思い出す。
わたしはどうしてか荒削りな文章より枯淡を好む傾向があるようだ。
新しいものはすぐに古くなるが、古いものはそれ以上古くならない。
だが、こういった保守的な態度はよくないと反省している。
師匠を見習って常に最新のものにアンテナをはりめぐらせたいと思う。
さて、著者の高井有一はわたしにとって特別な作家のひとりである。
著作は、かなり読んでいるほうである。
高井有一は母の自殺をテーマにした「北の河」で芥川賞を受賞した。
言うなれば、先行作家なのである。
少年時代に不幸を経験した作家が老年となり、
現在どのように母を想っているのかが興味深かった。

「その年の十一月に、生活の方途を見失つた母が、近づく冬の気配に怯え、
町に沿つて流れる河に身を投じて死んだ。文学少年だつた私は、
その体験をいつか小説に書きたい、書かなくてはならない、
と早くから思ひ定めてゐたが、書き上げるまでには途方もない時間がかかつた。
何度も書きかけては止め、
また気を取り直して書き出しては挫折する事を繰り返した。
大学へ入つて直ぐ、疎開時代にあつた事のすべてを連作形式で書かうと思ひ立ち、
一部を雑誌に発表したものの、それも中絶した。
やうやく「北の河」と題して五十数枚の小篇に纏められた、一九六五年であつた。
書けなかつた理由は、
私が体験の意味を正確に把めてゐなかつたといふ一事に尽きるだらう。
現実にまともに向き合ふ勇気をなかなか持てなかつたせゐだ、
とも言へるかも知れない」(P33)


「北の河」は不幸から20年もの時を必要としたのかと思うと先が思いやられる。
あと12年生きなければならないと考えると暗澹(あんたん)たる気分である。

「母方の叔父に引き取られて東京へ帰つて間もなく、
お母さんはどうして死んだのか、と他人に訊かれたとき、
冬になつたからです、と答へた覚えがある。
咄嗟に口に出たこの答は、人が死ぬ理由なんて判るものか、
と頑なに思つていた私の気に入つて、その後何度も繰り返した。
若し母が戦後も雪の積もる土地で生きる勇気を持つてゐたら、と私は思ふ時がある。
むろんその結果、私たちが仕合せになれたとは限らない」(P131)


同感である。もし母があのとき死ななかったとして、
あの母子関係が将来の仕合せに結びついたと断言することはできない。
わたしが長生きすれば仕合せになれるのかもわからない。
死ぬときは人間、死ぬのだろうと思っている。

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