「ストリンドベルィ」(アトス・ヴィルターネン/宇津井恵正訳/理想社)絶版 →ドイツ人によるストリンドベリの評伝。著者がどんな人物なのかは不明。
おそらく学者だろう。ほとばしる才気といったものは感じないが、
それがかえって本書においては幸いしている。
著者はストリンドベリの自伝や関係者の証言に誠実に依拠し、
可能なかぎり正確なスウェーデン文豪の全体像を描こうと努めている。
邦訳されたストリンドベリの研究書は極めて少ないため本書は貴重な資料である。
この記事では本書の流儀にならい事実の紹介を中心にしたい。
日本に10人いるかわからないストリンドベリ・マニアのための仕事である。
(ちなみに宇津井恵正の翻訳は手抜きというほかなく、
ストリンドベリへの愛情がまったく感じられない)
ストリンドベリは青年期を回想して、
かれの人生を決定づけたふたつの根本法則を認める。
ひとつは「疑い」である。かれはあらゆる思想を批判した。
そのうえで独自の思想を発展させた。あるいは複数の思想を組み合わせた。
もうひとつの根本原則は、「圧制に対する敏感さ」である。
圧制とは既存の権威のことだと思う(ちゃんと訳せよ宇津井恵正!)。
権威を否定するためにストリンドベリのとった手段はふたつ。
自分自身の水準を高める。権威の高級ならざることを証明する(P18)。
ストリンドベリの表現活動は劇作からスタートした。
演劇界への最初のアプローチは、20歳のときドラマ劇場の俳優に応募したこと。
シラー「群盗」を読み熱狂し、主人公カールの役を熱望したのである(P20)。
*ストリンドベリは生涯「群盗」のカールを演じていたともいいうる。
作家35歳のおりフランスで出版した短編小説集「結婚」が瀆神罪を犯すとして起訴される。
該当箇所は以下であるらしい。めったにないほどのひどい翻訳だが引用する。
(日本語障害者・宇津井はストリンドベリのドイツ語訳を日本語に訳している)
「そして春には彼は堅信礼を受けた。支配階級が労働階級に、
後者が前者のすることにかかわりあうことがないようにと、
キリストの屍と言葉にかけて宣誓させるこの戦慄すべき出来事は
長く彼の心にのこった。
千八百年前に処刑された人民の煽動者であるナザレのイエスの血だ肉だといって、
牧師の手で手渡される一かん六十五エーレの安ぶどう酒や、
一ポンド一クローネのレットストレームのとうもろこしの聖餅をつかって
まるめられる嘘八百はまったく彼の意識には上らなかった。
なぜならその頃は、世の人の常として深く考えないで、
むしろ≪雰囲気≫に身をあずけたからだ」(P89)この文章を教会から告発されたことがきっかけで、ストリンドベリは被害妄想を発症する。
作家の被害妄想的態度は死ぬまで継続する。
そう考えると、この一節が全生涯の災厄のたねになったともいえるのかもしれない。
世界最大の女性嫌悪小説「痴人の告白」で、
ストリンドベリは最初の妻の不貞を告発・弾劾している。ふたりは離婚するにいたる。
後年、この夫婦の長女が語っている。
「あたしの母はその夫と喜びや悲しみをともにした時代を
何年も後になって回想しますごとに、だまってひとり泣いていました」(P98)芸術にはつねに犠牲が供せられなければならないのだろうか。
「青書」に、晩年のストリンドベリがこの元妻と再会したくだりが書かれている(P219)。
芸術家は元夫人へのひどい仕打ちをまったく反省していなかった。
ストリンドベリが3度目の結婚をしたときのプロポーズの言葉が残っている。
3番目の妻ハリエット・ボッセはこう回想する。
「彼(ストリンドベリ)は、生活にはいかに苛酷かつ非情な目にあわせられているか、
いかに彼が光輝、つまり彼と人類や女性自体とを和解させてくれるような
女に憧れているかを語りました。それから彼は手を私の両肩にのせ、
私を深々とあたたかく見つめて質問しました。
≪あなたは私と赤ん坊を共有したくありませんか。ボッセ嬢。≫
私は膝をまげて会釈し、完全に催眠術にかかって答えました。
≪そう致したいのです。≫こうして私たちは婚約したのです」(P60)いつか真似をしてみたいと思う。なあ、おれと赤ちゃんつくらんか?
いくつかの作品にまつわる話――。
大傑作「死の舞踏」は、姉妹のひとりの結婚生活をモデルにしたとのこと。
校長をしていた旦那は激怒してストリンドベリへ絶交を告げる。
といっても、後年、交際は復活したらしい(P158)。
この義兄弟が死んだのちにストリンドベリはつぐないとして作品を創作した。
晩年の大作「黒旗」もまた同様にストリンドベリの人間関係を破綻せしめる。
急進派からも保守派からも認められず、
一部の崇拝者をのぞいてまわりは敵だらけになったという(P148、P165)。
「黒旗」に描かれた悪魔思想と絶縁するために書かれたのが「青書」である。
「青書」は神秘主義思想家の
スヴェーデンボリに捧げられている。
ストリンドベリにこの思想家をすすめたのは2番目の妻の母である。
烈しい精神病の渦中にいたストリンドベリはスヴェーデンボリに救済を見いだす。
かれは自伝小説「地獄」にこう記している。
「この瞬間から僕はスウェーデンボルィに鼓舞されて、
自分はヨブだ、実直で非のうちどころのない男だ、
誠実な男が不当に加えられた苦しみを耐え得るのを悪人ばらに見せつけるために
神によって痛めつけられているのだと思いこんだ」(P53)壮大な被害妄想が創作のみなもとなのかもしれない。
余談だが、あれほどの地位と収入を獲得した稀有な果報者、
日本のカトリック作家・遠藤周作もまた、
最晩年の病床日記でみずからをヨブにたとえている。
ストリンドベリのこの記述を考えるうえで興味深い。
作家はどのように作品を創造するか。いちばん知りたいのはこれである。
ストリンドベリ研究はわたしの仕事ではない。
ストリンドベリはどのようにして名作の数々を執筆したのか。最大関心事である。
作家はみずからの生活を「地獄」に書きとめている。
作家は眠る。朝を待つのだ――。
「しらふですごした晩とたっぷり眠った夜があけて、
朝になりベットから起きると、生きること自体が楽しくなる。
なんだか死者たちのなかからよみがえる気がする。
全精神力が新たにかたちづくられ、
眠ってかちえた力は何層倍にもなったように思われる。
すると何だか、血気にまかせて世界の秩序を変革し、諸国民の運命を制し、
戦争を宣言し、王朝を廃することができるようなつもりになる」(P150)激烈な躁病傾向と誇大妄想、恐れを知らぬ全能感を作家が有していたことがわかる。
ストリンドベリは早朝の散歩を日課としていた(P42)。
この散歩のあいだに脳内に沸き立つ思考を整理するのだという。
さあ、仕事の時間である。
「それから帰宅して書きもの机を前にすると、私は生気がでてくる。
私が戸外であつめた力は、不調和という切替え開閉器によるのであれ、
調和という整流器によるのであれ、今や私のいろいろな目的に役だつ。
私は生気をたぎらす。私が描くすべての人々の生活を私は多様に生きる。
陽気な物とともに陽気になり、悪人とともに悪くなり、善人とともに善良になる。
私自身という人物からぬけだし、子供の口調、婦人の口調、老人の口調でかたる。
私は王になり乞食になり、高官になり暴君になり、
また最も軽蔑されるものになり、しいたげられた暴君の敵になる。
私はあらゆる見解をもち、あらゆる宗教を奉ずる。
あらゆる時勢に生き、みずからは存在することをやめてしまう。
これはいうにいわれない幸福をあたえる状態だ」(P150)創作のえもいわれぬ快楽をこうも赤裸々に告白する文章はめずらしい。
ストリンドベリは不幸の人である。
かの偉人の生涯は不幸の連続だった。安息するいとまもなかった。
ストリンドベリは周囲の人間を不幸にし、そのことで自身も不幸になった。
他者と自己をやむことなく苛(さいな)みつづけた。
だが、ストリンドベリは幸福であった。
ものを書いているあいだだけはストリンドベリは幸福の絶頂にいられた。
この(創作の)幸福のために(実生活の)不幸が必要とされたのではないか。
「貸と借」はストリンドベリの手による一幕劇の表題である。
人生の採算および貸借関係を作家はよく問題にした。
みずからをヨブにまで擬したストリンドベリの膨大な不幸は、
人生を合算するとあんがい幸福と帳尻が合っているのかもしれない。
芸術創作という過程においてのみ不幸は幸福に変質しうる。
我われがストリンドベリの壮絶な人生から学びうる真理のひとつである。