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「青書」(ストリンドベーリ/宮原晃一郎訳/日月書院)絶版

→ストリンドベリ最晩年の随想集、箴言集。
日本の読者には山本周五郎が愛読した「青巻」としてもっぱら知られている。
書誌的な情報を記しておくと「青書」と「青巻」は同一書物の日本語訳。
「青書」の翻訳のほうがより新しい(とはいえ昭和18年だが)。
どちらも英語からの重訳で、なおかつ原書の全訳ではない。
だが「青書」のほうが「青巻」よりも収録している内容が多い。
大衆作家・山本周五郎青年期の愛読書ということで
探し求めているかたがネットで散見されたが、
山本周五郎への興味から読むのならあまり得るものはないように思う。

訳者の宮原晃一郎は本書を「一大奇書」と評しているが言い得て妙である。
発表当初から「狂人の戯言(たわごと)」ではないかと冷笑するものも少なくなかった。
ストリンドベリは極端な性格の持ち主であった。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」とはシラー「群盗」のなかのせりふだが、
青年ストリンドベリはこの劇作に感銘を受けて演劇界に入る決意を固めている。
ストリンドベリの生涯を概観すると、
この作家は青年期から一貫して二者択一の両極端な人生態度を好む。
ストリンドベリの愛したゲーテやシラーはたしかに劇を書いた。
だが、ドイツ文豪にとって劇はあくまでも書くものに過ぎなかった。
ところがストリンドベリにいたって、
劇は書くのみならず、そのただなかを生きるものになった。
「全か無か」は劇中人物が悩まされる究極的な問いのひとつだが、
ストリンドベリは実人生でこの二者択一を闘い抜いたといえよう。

凡人には測りがたき天才によると、
どうやら万物において両極端は最短距離で通じているようである。
生の歓喜の瞬間に人間は空虚から死を思う。
そして、死に直面した絶望の淵に人間は生の芽吹きを見て取る。
究極の愛とは、烈しい憎悪にほかならぬ。
狂人とは最高の賢人、すなわち天才のことである。
狂熱地獄に焼かれながら老ストリンドベリは
正常人には断じて見えぬまったき真実に直面する。
この真実が「青書」の内容である。
猜疑心の異常なほど強いストリンドベリは
世界全体をあらゆる学問的見地から疑ったのである。
行き着いた結論はなんだっかた。全無であった。なにもかも無であった。
このときストリンドベリは有頂天になったに相違ない。
なぜなら熱愛は憎悪だからである。天才は狂人だからである。苦悶こそ愉悦だからである。
世界において生は死で、死は生であるからである。
これらの事実はストリンドベリ自身が実人生の狂熱でまざまざと経験したことである。
ならば諸君! 
全無が証明されたとき、とうとう全有が明らかになったと考えられはしないか!
神はどこにもいなかった! ならば、全能の神があらゆるところに遍在している!
天にまします我らの父よ、あなたの膨張した男根は、甘露のごとき白濁天水を撒き散らす! 

きみは論理が通じぬと言うか?
あわれな凡愚よ! ストリンドベリは幸福の絶頂から哄笑する!
繰り返すが、両極端は通じているのである。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」と「群盗」の青年カアルは神に訴えた。
蒙昧なる人間の嘆きである。
老ストリンドベリは苦闘のすえ人間を超えたのである。
青年よ、完全な自由とは死にほかならぬではないか!
自由か死かではない。自由は死なのである。全か無かではない。全は無なのである。
人生は二者択一ではなかった! 
この美しい統合がきみには見えぬというのか? 人生の完全美が!?
愚かなきみはストリンドベリを狂人とあざわらうか?
なぜ超えぬ? 人間を超越せよ! 
統合は失調などしておらぬ! ああ、完全無比なる統合の美しさよ!

人生に偶然などないのである。すべては必然であった。
笑いがとまらぬ。ならば、すべて偶然ということになるのだから。
人間に自由などあるもんか。すべては決められている。死だ。死は自由だ。きみは自由だ。
だから自由人は森羅万象に感動するのである。

「偶然だ! 実に恐ろしい偶然だ! これには私もやられた!」(P350)

「青書」は読者をしてかように狂わしめる危険性がある。
読書ちゅう二度ほど目まいがして、重度の不眠症のわたしがその場で眠り込んでしまった。
そのときに見た悪夢は吐き気をもよおすほどひどいものであった。
「青書」には読解不能の部分が多数ある。
おそらくこの箇所が読者をおかしくさせるのだと思われる。

いまから我われ凡人でも理解できるところを、いくつか引用する。
一般的には、ストリンドベリは「青書」で無神論者から神秘主義者に転じたとされている。
常識人のつまらぬ評言だが、念のためみなさまにお伝えしておく。

「青書」は先生と弟子の問答形式で進行する。
まず人間世界はいかなるものか。先生は語った――。

「此世は生きて行くのに難しいものだ。そして人の運命は様々である。
或者の運命は朗かであり、他の者のそれは暗い。
だから人は如何に人生を処すべきか、何を信ずべきか、如何に行動すべきか、
如何なる見解をもち、どの党派へ仕へようかといふことを知るのは容易でない。
此の運命は避け難い盲目の宿命ではなくて、
人各々に割当てられた任務、為さざるを得ない罪科である。
神智学派は是を業とよんで、
我々が只漠然と記憶する過去と関係するものと見てゐる。
早くその運命を発見して、緊密にこれに寄り縋り、自己の運命を他と比較せず、
他の善き運命を猜まない者は、己れを発見したもので、
人世を安らかに送るであらう」(P66)


人間は運命とどう向きあうべきか。先生は言葉をついだ――。

「或者は名誉と黄金とを、他の者は只名誉だけを、
更に又他の者は単に黄金だけを獲るやうに生れついてゐる。
多数の者は屈辱、貧困、又は病弱に生れついてゐる。
所謂、貨幣の極印が打つてあるのだ。
人は各々その運命を和らぐるには、自己を屈し適応すること――
要するに諦めることによつて、これを為すことができる。
それによつて獲られる内心の悦びは一切の外部の繁栄にまさつてゐる。
この結果貧者、病者が、富者、強者に羨まれることにもなる。
神に仕へる者は、一切を最も善きことに用ひ、名誉と黄金とに憧れないもの、
何ものも犯し難い、或意味に於ての全能者である」(P67)


あきらめちまえば楽ちんさ、である。だが、あきらめきれぬときがある。

「一番辛いことは世の中に不義の存在を見ることである。
だが、それをひとつの試練と見ることによつて堪へ忍ぶことが出来る。
よしや悪人が栄えようとも、そのままに任せて置くがよい。
我々の関つたことではない。
又その繁栄は、仔細に見れば、それほど大したものではない。
よしや君が不幸に悩まさるるとも、良心がそれを当然と認めないなら、
安んじてそれを受け、試練に堪へることを誇りとし給へ。
必ずや善き日がめぐつて来るであらう。其の時、君は不運は善い事で、
少なくとも、君の忍耐力を試むべき好機会であつたことを発見するだらう。
誰をも羨むな。君は羨まれる者がどんな日を送つてゐて、
どんなものを裏面に隠してゐるか知らないのだ。
それを取換へるとなつたら、君はきつと欲しくないと思ふものだらう」(P68)


まるでおみくじに書いてあるようなことだが。
これこそ老ストリンドベリがあまたの闘争を経たあとで獲得した真理なのである。
真理は国や時代を問わず一定ということなのかもしれない。
現代日本の「負け組」も謹聴すべき託宣だと思う。整理してみると――。
人間には恵まれたものと、そうではないものがいる。
これは前世が関係している。この運命ともいうべきものを速やかに発見しよう。
断じて自分の運命と他人のそれを比較してはならない。
さて運命にいかに堪えたらいいのか。あきらめるしかないのである。
だが、あきらめるのを妨害するものがいる。
自分よりも善行をなしたとは思えぬ「勝ち組」の存在である。
これは自分に課せられた試練と考えよう。放っておこう。
「勝ち組」がほんとうに幸せかわかったものでもない。
毎日の試練を堪えていたら、いつか「善き日」がめぐってくるはずである。
そのとき忍耐力がついたことをむしろ感謝しようではないか。
しかし堪えるのはやはり難しい。どうすれば忍耐することが可能になるのか。

「人が智慧を得て、その智慧によつて、
此の生命はさきの世まで続いてゐるといふ信仰を築くならば、
現世に於て忍ぶことが一層容易になり、
些細なことを骨折つて、追ひ求めることはなくなります。
そこでゲーテの言ふ、神々しい軽い心が持てます。
人はそれによつて、打たれても、罵られても、もはや何でもなくなります。
すべてが柔かに、滑かに進みます。周囲は如何ほど暗く見えようとも
自分だけは明るくて、希望の手燭を携へてゐるのです」(P149)


来世を信じよう、と主張しているのである。
来世のことを考えたら現世で忍耐することがさしたる苦痛ではなくなる。
お気づきのかたがいるかもしれないが、「青書」における人生訓は、
先日わたしが「負け薬」として書いたものと驚くべき類似を見せている。
「青書」を読んだのは「負け薬」を記したあとで奇妙な一致がふしぎである。
(わたしの前世はストリンドベリなんて言ったらキチガイだから言わないよん♪)
ある種の普遍的な苦悩の解決方法なのだと思う。

最後に山本周五郎を感動させた名言を引用する。
「青べか物語」にも採録されたものだが、あちらは「青巻」で訳文がいささか異なる。
「青書」巻末の数行である。

「祈れ、されど働け。苦しめ、望め。一眼は地に向け、他の眼を星辰に向けよ。
座して動かぬやうにしてはならぬ。此の世は只遍路である。
家居ではなくて、駅逓(えきてい)である。真理を求めよ、真理が世に在るが故に。
されど只、自ら道たり、真理たり、生命たる唯一の者に於て」(P411)


どんな聖人が口にしたせりふかと思うむきもあるかもしれないけれど、
あれだけ周囲をかきまわし迷惑をかけつづけた狂人ストリンドベリが深刻な物言いで、
上記のような説教をするのである。
一面「青書」のグロテスクが象徴されているとも言えよう。

(追記)「青書」のなかで人生訓はむしろ少ないほうである。
収録されている内容は多岐に渡る。毎度のごとくの女性嫌悪(P189、P198)。
シェイクスピア、メーテルリンクへの言及(P108、P110)。
宗教学、哲学に対する独自の見解(P212、P379)。
脳科学への疑問(P306)。ゾラ礼賛(P237)。
オカルト信仰(P259)。シンクロニシティ体験(P280)。インド思想(P298)。劇作法(P365)。
印象に残ったところも少なくないが長くなったのですべて割愛する。

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